第24話 オレ達と3年生の勝負 ――計算早解き

      ◆



 数分後。

 20000メートル走の放送されているテレビに、ぼくはコーラ片手でかじりついていた。因みに、100メートル走を終えた誠は、グラウンドの端の方で陸上部からの勧誘地獄にあっているため、こちらには戻ってきていない。まあ、放っておいても大丈夫だろう。

 意識をテレビに戻すと、ちょうど夢の声がスピーカーから放たれる。


『現在、二人の距離は大きく離れております。先頭は3年生チームの村田素子さん。やっぱり全国区だけあって速いですね、解説の不動さん』


『……夢。さっきから言っている通り、俺はカメラマンだ……しかし、このペースはベストタイムよりも若干遅いようだな』


『きちんとした解説ありがとうございます。さて、1年生チームの梶原美里さんは今、給水エリアに入った所です。果たして、間に合うのでしょうか。レースはようやく、半分に差しかかる所です』


「……うまいなあ」


 ポツリ、と悠一が言葉を落とす。


「おれ、自信無くしちゃったよ……」


「大丈夫だよー」


 ポン、と杏が天使の様な微笑みを見せながら悠一の肩を叩く。


「杏、お前……」


「だってさー、夢ちゃん、あれで全力じゃないんだよー」


「ぬがーっ!」


「追い討ち掛けてどうする」


「あれー?」


 美里とは違うタイプの天然である彼女の言動には、時々驚かせられる。ふと思ったが、こんな二人と昔から付き合っていたから、夢はあんなにしっかり者になったのだろうか? ……いや、ほぼ100パーセントそれだな。


「おいおい杏よ。もうすぐ出番があるからこれ以上へこませんなよ」


「あ、ごめんねー詩志君ー」


「謝るなら悠一に謝れよ」


「ごめんねー悠一君ー」


「好きだー杏ー」


「悠一君、やけになっちゃ駄目だよー」


「嫌いだー杏ー」


「わたしは悠一君のこと好きだけどねー」


「好きだー杏ー」


「やけになっちゃ駄目だよー」


「どっちなんだーっ!」


「どっちなんだー」


 どんな会話だよ。


「おっし、元気出た」


「そしてお前は何でだよ!」


「ハッ」


 何故か鼻で笑われた。


「おいおい海斗、ツッコミかボケかはっきりしろよ」


「ぼくはオールマイティなんだよ」


「ケッ! このギャルゲーの主人公が」


 また言われた。どうしてぼくは複数の人にそう言われるんだろうか?

 そんなことを悩んでいる横で、無邪気な杏の声。


「ギャルゲーって何ー?」


「女の子が裸になるゲームだよ」


「詩志、てめえっ! 嘘つくな!」


「ええー? じゃあわたし、脱ぐのー?」


「どうしてそうなるこのボケ杏が!」


 ごめん、夢。今までふざけていて本当にごめん。

 こいつらへのツッコミ、めっちゃ疲れる。


 そう右手と左手を絡ませて膝を付き、懺悔をしている所で、


 ピンポーンパンポーン。


 チャイムの武力介入と共に、先輩の声がスピーカーから流れ出る。


『はいはい。マラソンも盛り上がってきましたが、計算早解きの時間になりましたので、こちらに音声を切り替えさせていただきます。マラソンの方は100メートル走の時と同様に、右下にちょこんと表示されますので、そちらの方で』


「あ、もうそんな時間になるのか」


『くらあ、後輩! お前の番だろうが! さっさと出てこんかい!』


『はいはーい。今行きますよー』


 そう答える悠一の右手には、再びいつの間にかマイクが握られている。一体、どこに隠していたんだろうか……でも、聞いたら『股間』とか言いそうで怖いので、聞きません。

 ええ、聞きませんとも…………聞けってことですね。


「悠一、そのマイクはどこに隠していたんだ?」

「肛門」


 斜め上だった。


「……もうぼくにそのマイクを向けるなよ」


「冗談だよ」


 知っているよ。ってか、冗談じゃなかったら困る。


「ま、んなわけで……」


 ひょいと、悠一は、今の話を聞いた後だとちょっと拒否したくなるものを渡してくる。


「じゃ、ちょっくら行ってくるぜ」


「まあ、頑張れよ」


「おう、ありがとな海斗。で、大将からはなんかないんですかい?」


「ん? オレか?」


 悠一に振られ、詩志は表情を変えずに一言。


「勝ってこい」

「りょーかい」


 右手の人差し指と中指を額にビシッと当て、悠一は駈けて行った。

 その姿を見送りながら、また詩志が無表情で一言。


「そのマイク、こっちに渡すなよ」


「……了解。はい、杏」


「うんー」


 天然は便利だ。有効利用させてもらうよ。


「……」


 ぼくからマイクを受け取った杏は、眼を丸くしてころころと手の中でいじっていたが、やがて喜色満面になると、


『えへー、マイクテスーマイクテスー』


『こらこら、1年生の子。勝手にやっちゃ駄目でしょ』


『はいー。すいませんー』


 他の誰かが同じことをやったらあざといと思うだろうが、しかしそこは杏。何の作意もなくてやっていると判っては、末恐ろしくなる。これで女性の敵は一見さんだけなのだから、また不思議だ。


「なあ、杏。前から聞こうと思ったんだけどな……」


「んー?」


「お前、どうして女子に嫌われないんだ?」


「えー? 嫌われているのー? わたしー」


「いや、嫌われていないから聞いているんだよ」


「嫌われるようなことしているのー? わたしー」


「ああ。例えばその語尾を伸ばすとことか、あざとい、って思われるんじゃないか?」


「分かった直してみるー……よお、っと、ほいさーっさー」


「……ごめん、無理言った」


「な、何がー、が、ががががが……」


 汗までだらだら掻いて、そこまで無理か、直すの。


「……あれ、待てよ? でもお前、あの会議室で3年生相手にした時に、語尾伸ばしてなかったじゃないか」


「あの時は演技していたからねー。わたし、役者の娘だからー」


「へえ……でも、普通はその語尾を伸ばす方が演技なんだけどな」


「あー! また伸ばしちゃったよー……よー、よー、ヨーレイッヒー」


 駄目だ。ぼくが杏を壊してしまった。

 すまん、夢。後は任せた。


 ぼく彼女を放置して、詩志に話し掛ける。


「悠一の種目はまだか?」


「おう。もう始まるぞ」


 ピンク色でコーティングされたチョコバナナを口に運びながら、詩志はグラウンド中心部を指差す。因みに、先輩の放送はずっと続いていたが、杏とのやりとりで全く耳に入ってきていなかった。


『では、3年生代表の花俵はなだわら孝太郎こうたろう君、バーサス、我が放送部のホープで愚かな少年、轟悠一君の勝負を始めたいと思います。開始の合図は、この私がやりますので、二人とも、鉛筆を置いてください』


 二つのコトリ、という小さな響きが中央部から鳴る。それ程まで会場内は静寂に包まれ、緊張が走り抜けている。


『――では問題用紙を表にして、始めて下さい』


 紙が捲れる音。

 すぐさま、スラスラと紙を走る音に変わる。

 静かな音だけが、空間を支配する。

 ――はずだった。


『はいはーい。ミュージック、カモーン!』


 その声を合図にし、吹奏楽部であろう楽器を持った集団が前に躍り出る。

 そして始まる、『地獄の黙示録』。


 観客席はポカーン、と口を開ける人が続出した。


「……知ってはいたが、カオスだな」


 ぼくはポロリと言葉を漏らしてしまった。

 計算早解きの際に普通に解いてもつまらないからBGMをつけよう、という3年生の提案があり、詩志はそれを「ま、いっか」と承認したので、書類にその項目が追加されていた。そこに以前は盛り込まれていた耳栓をするというものがあったが、妨害にも屈しないように、という意味を含めて、今回の勝負では外されることとなった。まあ、適当な答えを口にして、相手を混乱させるという口での妨害作戦もありになったというわけだ。もっとも、その声も音楽でかき消されるであろうが。


 そのような状況なので集中力が乱れるのではないかとぼくは危惧したが、詩志曰く「本当に集中していれば火もやっぱり熱し」だそうだ。


 駄目じゃん。


「まぁ、悠一は大丈夫だろうよ」


 詩志は欠伸をしてチョコバナナを齧る。その言う通り、悠一は鉛筆を絶えず動かし、視線を問題用紙に注いでいる。

 問題は、相手も同じ状態だということだ。3年生側の人も悠一と同じように、BGMに集中をかき乱している様子はない。


「なあ詩志。悠一の相手について、先輩は何か言っていたか?」


「うん? 何だ聞いていなかったのか」


 ふわあ、とまた大きな欠伸。


「相手は数学の学年1位で全国模試10位の実力者だよ。そろばん検定はどれくらいだっけか。忘れた」


「へえ、凄いじゃないか」


 相手にとっては役不足な種目じゃないか。

 で。

 問題はここだ。


「悠一が、数学が得意なのは知っているが、そんな相手に勝てるのか?」


「勝てるよ」


 さも当然というように、詩志は断言する。


「前、あいつに高校3年生が受ける数学の模試を半分の制限時間でやらせたことがあったけど、半分の半分の時間で終わらせて、しかも満点だったぞ」


「へえ」


毘沙門天びしゃもんてん恵比須えびすって名前で登録していたから、後でそういう全国模試の解答冊子見てみ」

 変な名前だが、本当に載っているのだろう。全国の高校生が数学一位の名前を見て吹き出す姿が思い浮かぶ。


 ――と、そんなことを思っている内に。


「ほい、出来たユラミン見てちょ」


 早っ。

 悠一がもう席を立っていた。3年生の出場者は目玉が飛び出しそうになるほど驚いており、解答用紙を受け取る由良見先生も信じられないという表情。


 そして数分後。

 吹奏楽部の演奏がまだ続く中、ざわめく会場内に、先生の絞り出すような驚きの声が、鳴り響いた。


『轟悠一殿の解答は……全問正解でさあ』


 吹奏楽部の演奏が止み、会場内からは「え……」と絶句する声。


『よってこの勝負、1年生の勝利でそうろ――』

「ちょっと待った!」


 まあ、当然だろうな。こんなスピードで全問正解。相手が次の疑いを持つのも当然だろう。


「ありえない! こいつ、絶対カンニングしただろう!」


 そうだそうだ卑怯だぞ! と、3年陣営からヤジが飛ぶ。

 そのような状況下で、当事者は


『まぁまぁまぁ、落ち着きたまえ。3年生諸君』


 マイクを右手に持ち、左手の五指を広げていた。


 ……なあ、本気でどこに隠してあった、そのマイク。


『実はぼく、幽霊が見えるんだ』


「おい!」


『ま、幽霊は見えなくても、数学は大好きだからこの程度の問題は暗算で解けるし、むしろ暗算する必要もないくらいだよ』


 理屈が判らん。


『それに、カンニングは絶対出来ないようになっているからさ。作った先生――ゆらみんに聞いてみなよ』


『下手人の言う通り』


『下手人じゃねえよ』


『あ、ごめんね、轟君』


 一瞬、素に戻った由良見先生は、コホンと溜息をつく。


『この問題も解答も公平を規すために、拙者が今朝、作成した。刷り上ったのは勝負の5分前だ。こんな状況でカンニングなど出来ないでござる』


 うわあ、お疲れ様です、由良見先生。


『まぁ、拙者と轟殿が組んで事前に情報を漏らしていたと考える人もいるかもしれないが、それなら拙者の努力が灰燼と帰すわけなのだから、少し悲しい。というか、こんな早く解かれてもう悲しい』


 涙を眼に溜める由良見先生。ミニマムな彼女が泣き出すと幼女にしか見えなくなるから困る。


『……泣かねえもん』


 おお、堪えた。

 ぐすりと鼻をすすりながら、先生は続ける。


『というわけで、文句がある人がいたら……拙者に言うが良い!』


「……」


 みんなの言葉を代弁しよう。


 言えるか!!!


『……ぐずっ。もう、いい?』


『結構です結構です。大変ありがとうございました由良見先生。みんな、先生に拍手ー』


 会場内を包む、暖かい拍手。先輩、ナイスフォロー。


『1年生は強いですね、これで2勝目です。さて――20000メートル走の方の中継に画面を戻します。引き続き勝負をお楽しみください』

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