第22話 オレ達と3年生の勝負 ――20000メートル走、スタート

      ◆



 午前10時15分。

 両陣営の応援合戦が収まるまで、少々時間が掛かった。静まらないと始められない種目だったため、それに時間を割くのは止むを得ないのだけど。


 種目の順番は2年生の時と同じ。

 午前中は20000メートル走から始まり、併用して100メートル走、計算早解きと続き、漢字書き取りの代わりに入った、ミスコンで終わる。


 というわけで、現在、20000メートル走と100メートル走の走者が、スタート位置にて準備をしている。


 2年生との対戦の時の代表者は、誠とぼくだった。


 だが今回、ぼくはこの種目に不参加。

 そして、ぼくの代わりに、そこにいるのは――美里である。


 長い髪を後ろで一本に縛り、学校指定の体操着を着用して、手足を伸ばしている。余談だが、この学校の女子の下はブルマではない。まあ、どうでもいいことか。

 しかし、ぼくの代わりと言っても、彼女がぼく達の中で一番、100メートル走が早いというわけではない。


 ――と、ここまで言えば判るだろう。


 100メートル走は、誠。

 20000メートル走は、美里。


 二人とも、2年生の時とは出る種目が違うのだ。


「よお、リストラ社員」


 ひっひっひと奇妙な笑い声を上げて、詩志は座っているぼくの頭の上に腕を乗せてきた。


「ぼくのどこがリストラされているんだよ。ぼくより誠の方が速いってだけだろ」


「まあな。ま、誠に電動自転車を使わせたのも、足が遅そうに見える外見に合わせて、相手を油断させるためだったんだよな」


「ここで言うか、それを」


 小説だったら台無しだ。ここから『誠の隠された秘密とは!?』という展開になるはずなのに。


「美里だけは先に言うなよ。どうして彼女が20000メートル走に有利なのか、その理由を読者に考えさせる時間が必要だからな」


「ネクスト・シシズ・ヒント。『か・ぎ・あ・な』」


「関係ねえし……そういや、他のみんなはどうした?」


 テントの中にはぼくと詩志しかいない。


「悠一と杏は、改多と夢の見送りに行ったぞ」


「改多と夢の見送り? ……ああ、20000メートル走の実況か」


 今回も変わらず、先生の車に乗っての実況は行われる。改多は前回と同じく解説だが、実況の悠一は午前中の競技に出るため、代わりに夢が務めることとなった。……ここだけの話、本当は他の放送部員が実況をするはずだったのだが、悠一が夢の困る姿を見たい、とあえて任せたそうだ。日頃の仕返しらしいが、大体いつもあいつが悪いんじゃねえか。

 ……まあ、それはともかく。


「なあ、詩志。本当に大丈夫なのか?」


「ん? 何がだ?」


「バッチだよ。杏だけで大丈夫なのか?」


「大丈夫だよ。杏がバッチを付けるのは、負けたら、勝っても頭脳が戻ってこない可能性がある相手だからだ。ってか、あの種目は勝てないよ」


「なに? 杏よりも美人なのか?」


「そういうわけじゃないさ」


 ふるふると首を振る。


「杏の相手は1年だからな。あいつらが1年生を出場選手として出していいか、とか言うからオーケー出したけど、まさかあいつとはなあ……」


「……伏せなくても大体判るけどな、名前」


「ま、ミスコンも、こいつが出ることも、あっち側の内部事情らしいからな。大方、あの本郷とかいったのが子供みたいに駄々をこねたんだろうな。ま、恐らく、というか必然だが、ミスコンが終わった後、あっち側はかなり揉めるだろうな」


「ああ――だからこっちは勝てないのか」


「そゆこと」


 ぼくは勝手に納得したが、まあ、言わなくても実際見れば判るだろう。


「んで、他の奴は絶対に負けないだろ。ま、美里だけは距離次第だが、そこは予めちょうどよく合わしているから、大丈夫だろ」


「まあ、そうだな」


 さっきの質問は一応訊いただけで、午前中の三競技は、比較的安心出来るのだ。


 だが、問題は午後。

 午後には、ぼくも種目に参加する。


 ぼくは必ず勝たなくてはならないのだ。

 しかも、バッチなしで。


「……なあ、詩志。バッチ二個ない?」


「ないよ。オレ達の人数分、つまりはあと7個ほど同時に製作しているが、まだ一番進んでいるやつでも50パーくらい。異様に時間掛かるんだよ、あれ」


「だよなあ。ぼく、どうしよう……」


「お前は勝てるって。ってか、勝ってもらえなくちゃ困る」


「プレッシャー掛けるなよ。……まあ、出来るだけ頑張るよ」


 不安を振り払うように首を二、三度振って立ち上がり、


「さて、誠と美里に声でも掛けてくるか」


 頭の上で手をヒラヒラと振って詩志に背を向け、ぼくはスタートラインにいる二人の元へと足を運ぶ。


「よお、お二人さん、調子はどうだい?」


「あ、海斗君」


 明るい顔で美里が駆け寄ってくる。


「私はもう全然、調子上々だよ」


「すごいな」


 そう言葉を落とす誠の顔には、苦笑が張り付いていた。


「どうした?」


「いや、美里は余裕を見せて凄いなあ、と思ったんだよ」


「確かにな。相手は全国区だし」


 美里の相手は村田むらた素子もとこといい、いつかの話に出てきた、ハーフマラソンを1時間10分で走る人だった。陸上界では名が知られていて、この学校の陸上部の人気が上昇した要因でもある。オフロードとはいえ、相当なタイムが期待されるだろう。


 この通り、20000メートル走は完璧に相手の畑なのだ。

 だが、そんな相手にも関わらず、


「大丈夫だと思うよ」


 美里は目の前で、こうしてほんわか微笑んでいるのだ。


「なあ、美里。どうしてそう言えるんだ?」

「だって、詩志君は私が勝てると信じているんでしょ? なら、勝てるんだよ」


 根っこから詩志を信用している発言。根拠は詩志が言ったから。そんなものが理由になるような訳がない。

 だが、詩志は――その理由に成り得るだけの実力と信用がある。だからぼく達は、こうして笑いあえているのだ。


「まあ、あいつは言ってたしな。負ける可能性があるのは、杏と改多だけだってな。なら、大丈夫なんだろうさ」


「うんうん」


 大きく首を縦に振った美里は、側方に視線を移し、


「だから大丈夫だよ。誠君も」


「あ、うん。あ、ありがとう」


 頷く誠……って、おや? 誠の顔の様子が……

 ……。……。……。……ほほう、そういうことだったのか。


「だから大丈夫だよ。誠君も」


「ありがとう、海斗。でも、気持ち悪いよ」


「さっきの言葉を汚してごめんなさい」


「え、な、なにを……」


 誠は焦りの表情を浮かべる。それで確信。今まで、気が付かなかったなあ。


「な、なになにっ! 海斗君が誠君を、け、汚したっ?」


「興奮するな美里。美里の言葉を記憶に残したいのに汚してしまったと、謝っただけだ」


「んん? 私の言葉?」


「わーわーっ! な、何を言っているんだよ、海斗!」


 顔を真っ赤にする誠。訳が判らないという顔をしている美里。

 あはは。面白いなあ。


「おい、最低人間!」


「いてっ!」


 後ろから鈍器のようなもので殴られた。まあ、それは人間の拳だったのだが。


「何をするんだよ、詩志」


「これから勝負をする人間を興奮させて疲れさせてどうするんだ。お前は奴らの味方か?」


 かなりお怒りの詩志。いやいやいや、とぼくは眼前で両手を振る。


「二人をリラックスさせようと思っただけなんだよ」


「最初はそうかもしれないが、最後は絶対『あはは。面白いなあ』とか思ってやがっただろ!」


「なんというサイコメトリー」


 二週間前といい、ぼくはサトラレなのか? 妄想全部垂れ流しなのか? うわあ、恥ずかしい……


「そしてこうも思っていたんだろ。『ああ、美里のおっぱい揉みたいな』」


「断じて違う! ってか、前も言っていなかったか、それ」


「前は『触りたいな』だ。グレートアップしてるぞ」


「大差ねえよ! ってか、それはお前の願望だろう!」


「え? 詩志君も触りたいの?」


「詩志君『も』ってぼくを前提に入れるなーっ!」


「いや、自分ので十分だ」


「十分なら人を貶めるなーっ!」


「なあんだ、そうなの」


「お前は少しそっち方面に羞恥心を持て!」


 美里が自分の身体に無頓着なのは今更だが、流石にこれはひどい。まあ、だからこそ詩志はこの話題を口に出したのだろうが、美里には自分の魅力に気がついてもらわないと困る。

 そう、ぼくの隣で顔を赤くしている少年のような犠牲者を出さないために。


「……誠、ティッシュいるか?」


「ううん、いらないよ……あれ? なんか急に鉄の味がしてきた」


「誠、それおはじきやない。お鼻血や」


 ぼーっとしている誠にティッシュを押し付け、ぼくは詩志に耳打ちする。


「お前……誠が興奮しちまっているじゃねえか」


「大丈夫。誠は種目が始まる前に、ちゃんと切り替えて集中出来る人間だからな」


 そこでぼくだけに聞こえるような小さく声で、


「……それが例え好きな人を目の前にしてもな」


「お前……分かっていたのか……」


「あ? 分かっていなかった方がおかしいぞ」


「あれ、そうなの?」


 さっきも結び付くまでに相当時間が掛かったし、難問だと思ったんだが。


「……」


 詩志は明らかに呆れた表情になる。


「このギャルゲーの主人公が」


「ギャ……いやいやいやそれだけは勘弁してくれ! ってか、そこまで鈍くないぞ!」


「あーあ。バッドエンドへのフラグが、今、立っちゃった」


「何でだよ! どこが原因だよ!」


「仮面の男に胸をずぶりとやられるな」


「誰だ、その中の人は!」


「コンピュータおばあちゃんだ」


「何だよその前置詞!」


「おっと」


 左手でぼくのツッコミを制御し、残った右手に付けられた腕時計を見る詩志。


「そろそろ始まる時間だぞ、美里」


「あ、ほんとだ」


 スタート位置を見ると、相手選手が凄い形相でこちらを睨んでいた。美里は、あははと笑い声一つ飛ばす。


「あんなに緊張しなくてもいい気がするよね。力が出せないよ」


「へえ、美里は緊張していないんだ」


「あれ? 緊張しなきゃ駄目かな?」


「お前、舞台根性があるなあ……」


 ぼくも人前でもあまりあがらない人間だが、美里のそれには脱帽せざるを得ない。彼女にはどこからどう見ても緊張の『き』の字も見当たらない。それがとても頼もしく見えた。


「よし。普通通りに頑張っていけ」


 ぼくは彼女の背中を押し出す。美里は気合十分という表情を見せ、


「うん。絶対に勝つからね」


 力強く頷き、向こう側へと駆けて行った。

 その後姿を見ながら、誠がふと呟く。


「……完璧だよね、美里」


「そうだよな。まあ、ぼく達のグループの女子、みんなが完璧だけどな」


「おうおう? 杏はどうなんだよ?」


「あれは欠点を利点にしているじゃないか。ってか、利点になっているから、完璧プラスアルファなんだよ。それに、ここでの『完璧』って言葉は、真に完璧だと成り立たないものな」


「ほう、そういうものか……」


「僕もそう思うよ。だって美里だってボーイズラブもの好きじゃない」


「あれは別に欠点じゃないだろ、誠。別に腐女子だからといって欠点だと考えるのは、その道の人に失礼だ。ってか、男も女同士の絡みを想像しているんだから、腐った女子を侮辱するのはおかしいとぼくは思うんだ。そもそも腐ったって言い方も失礼なくらいだ」


「素材にされている海斗が言うと、すっごい説得力があるね……」


「おうとも。人類、皆、変態」


「それは極論だよ、海斗」


「まあ、それはともかくだな。美里の欠点は、あの普段はふわふわしている所だろ? 天然だぞ、あいつは。杏とは違う意味で」


「因みに杏は胸も欠点だけどな」


「それはひどいと思うぞ、詩志。貧乳は需要もあるって悠一が言っていたし」


「供給も凄いだろうが」


「おうとも。人類、皆、貧乳。最初は」


「わあ、宇宙の真理だね」


 そこで感心の声を上げるなよ、誠。ノリで言っただけなんだからさ。恥ずかしいんだよ。

 と、そんな貧乳談義に花を咲かせていた所で、


「おや? 随分と余裕なんですね、1年生の人は」


 たっぷりと嫌味を効かせた声で眼鏡をずり上げる者が一人。

 生徒会長だった。


「ええ、随分と余裕なんですよ」


 詩志が肩を竦めて応える。それに対し、生徒会長は、体操服の上着をきっちりと中に入れた姿で顔を歪める。


「ふん。ボク達に本当に勝てると思っているのか?」


「思っていないのに余裕だったら、おかしいでしょ?」


「あれを見てもか?」


 クイッと親指で自分の後方を指差す。そこには、美里と、3年生の女子――村田素子がスタート体勢を取っている。村田素子の方は顔を引き締めていて、美里の方はリラックスした表情を浮かべていた。


「何だ? うちの美里の方がいい顔しているじゃん」


「まぁ、見てな」


『さてさてさてさてささてさて! 皆さん、長らくお待たせしました! 間もなく、というかもう始まります。ってことで、先生方、お願いしまーす!』


 その先輩の声に、スタートラインの横にいる教員が、競技用ピストルを空に向ける。


「それでは、位置に着いて……よーい……」


 パン、と乾いた音が鳴り響く。

 それと同時に、二人の女子がスタートを切る。

 まず、前に出たのは――美里。


「おや? あんなにスピードを出して、体力が持つのですか?」


「……」


 しかし、すぐに抜かれてしまった。


「ほーら。どうですか?」


 得意そうに声を上擦らせる生徒会長。

 そう言っている間にも、どんどん二人の距離が離れていく。


「どう考えてもあの子が村田さんに勝てるわけがないでしょう。彼女は全国でも上位に入る実力を持っていて、高校生なのに実業団から誘いが来ているんですから。こんな風に、君達が勝てる見込なんてものは全くな――」


「さっきからうっさいな、あんた」


「なっ……」


 詩志に同感。下手くそな実況でもしているかと思った。


「耳障りだ。それでも勝てるって言っているんだよ」


「ふん。強がりを」


 完璧にこちらを見下している視線。


「このボクにだって、君達は絶対に勝てないさ。100メートル走でボクに勝てる生徒は、この学校にはいないんだから」


「へえ、あんたは頭脳派に見えるけど、足が早いんだな」


「頭脳派だよ。だから――いじめられたんだ」


「……っ」


 ピクリ、と誠が反応する。


「……いじめられた?」


「だから、パシリとかで走ることは多かった。そのおかげで、こうして俊足を得られたんだ」


 はーっはっは、と高笑いを上げる。


「そう考えるとボクをパシッた奴らに感謝しなきゃな。ま、そいつらはもうただの抜け殻になっているけどな」


「……感謝など、しない」


 心の底から震え上がるような、思い切り低い声。

 その出所は――誠。


「いじめた奴に、どんなことがあっても、感謝など、しない」


「ん? どうしたんですか?」


「あんたには!」


 キッ、と誠は顔を上げ、鬼のような形相で、人差し指を思い切り突き付ける。


「あんたには絶対……負けない!」


「ひ、ひぃ……」


 情けない声を出して、生徒会長が後ずさる。まあ、確かに誠が本気で怒ると、ガタイの良さから相当怖くなるから無理もない。


「ぼ、暴力反対っ! ち、ちゃんと勝負しろよ……」


「ああ。全力で叩き潰す」


「か、覚悟していろよ……っく!」


 肩で息をしている誠に捨て台詞を吐いて、生徒会長は去って行った。

 いやはや、もしかしたら改多よりも怒ることが少ないかもしれない誠が、ここまで怒りを露わにするとはな。


 ……やはり、中学時代のアレがまだ心に残っているのか。


 見た目とは裏腹に穏やかで優しい誠は、中学生の頃、いじめられていた。加えて、悪いことはやってもいないのに全部誠のせいにされ、誰にも信用されておらず、見た目の怖さと相まって孤立していた。だが、そこでぼく達はきちんと裏を取った上で彼を救ったのだ。相手がなかなか尻尾を出さない狡猾な奴だったから、助けるのに1年以上も掛かってしまったのが悔やまれる。入学時には悠一とは友人になっていなかったから、情報収集が思うように出来なかった、という理由もある。


 だから、誠が俊足を手に入れた経緯は、生徒会長と同じなのだ。

 誠はいじめた者を絶対に許さないし、この足も、実は屈辱に思っているのだという。だから、その足を誇りに思っている生徒会長が許せなかったのだろう。


 ……いや、そいつらに感謝出来る程度しかいじめられていなかった生徒会長になんか負けるか、というのかもしれない。

 それとも、彼に現状を重ね、失望したのかもしれない。

 あるいは、ただ単にトラウマが蘇ってきて声を荒げただけかもしれない。


 ぼくには判らない。

 他人の気持ちを本気で理解するなんて、不可能なのだから。


 だが、それでも――肩を叩くことくらいは出来る。


「気にすんなよな、誠」


「海斗……」


「お前をいじめていた奴はぼく達が社会的に抹殺したし、その所為で得た俊足を、ここで生かすことが出来るんだからさ。感謝はせずとも、その足を持っていること自体は誇りであると思うぞ」


「うん、ありがとう。でも、恥じなきゃ駄目なんだ」


 眉間に皺を寄せ、誠は下を向く。


「過去の自分は……今も弱いかもしれないけど、為すがままだった。これはその弱かった頃の副産物……恥じるべきもので、あの人みたいに誇らしげにするもんじゃないんだ」


 成程。だから誠は怒ったのか。


「でもな、誠。あっちも実は誇りに思っているんじゃなくて、そうやって過去の自分の嫌なことを忘れようとしているんじゃないだろうか?」


「それは逃げだよ。単純な逃げ」


「……お前には、逃げでもいいからもうちょっと今の自分に自信を持って欲しいけどな」


「僕は逃げないよ」


 片眼を歪ませる誠。意外と頑固なんだよな、こいつ。


「……でも」


「ん?」


「今の僕は、とても自信が持てるよ。こうして、嫌いなこの足が、役に立っているのだから」


「……そうか」


 ぼくは誠を見誤っていたようだ。

 生徒会長は過去を恥じずに、過去から逃げた。

 しかし誠は過去を恥じ、受け入れ、乗り越えようとしている。

 この差は、とても大きい。

 故に言える。


 誠はぼく達が思っているより――遥かに強い。


 ……もう、励まさなくても大丈夫だな。


「じゃ、もうぼく達は戻るよ」


「あ、うん。ありがとうね」


「おう、頑張れよ。――ほれ、詩志。もうムービー撮っても意味ねえぞ」


「ちっ」


 舌打ちしやがったよ、こいつは。黙っていたかと思えば携帯を取り出して、こちらに向けていたのだ。まあ、撮った所で何の価値もないと思うのだが。


「美里にあげようと思ったんだ……」


「友達思いなのは結構だが、こんな意味のないムービーをあげても喜ばないだろ」


「諭吉さんは固かったんだ……」


「売るのかよ! ってか売れるのかよ!」


「あはは。じゃあ、1割くらいは何か奢ってね」


「お前はそれでいいのか!」


「そうだなあ」


 詩志はしたり顔で人差し指を立てる。


「じゃあ、しっかり勝ったら考えてやるよ」


「よし。じゃあ、本気を出してくるよ」


 力強く微笑んで、誠は軽快に走り去って行った。

 その後姿を見つめながら、詩志が一言。


「娘を婿に出す父親の気持ちが判った気がするよ」


「色々と間違っているぞ」


「どうでもいいじゃん」


 コツリと肘で胸を突かれた。


「さあ、席に戻って観戦するぞ」


「おう」


「ポップコーンはあるかなあー」


「校庭の端で、料理部が売っていたと思うぞ」


「おし、じゃあ、まずそこに行くか!」


 詩志は前方を指差して、鼻歌を歌い始めた。

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