第26話 オレ達と3年生の勝負 ――彼女の秘密

   ◆



「これはどういうことだぁぁああああああ!」


 3年生の出場選手側からそのような怒声が、槍の様にこちらに突き刺さってきた。マイクも通していないのに、すごい大声だ。

 運動場は一瞬で、物音一つしなくなる。

 その静かになったグラウンドの真ん中を、肩を怒らせてこちらに向かってくる男一人。


 本郷剛。

 彼は中心辺りで立ち止まると、こちらを指差して叫び声を放つ。


「何かイカサマしやがったんだろうが! 代表出て来い!」


「ああ?」


 不機嫌そうに眉を潜め、詩志は前に躍り出た。


「どこにイカサマのしようがあるんだよ?」


「てめえが代表か! ごらああああ!」


「代表同士が集まった会議室にてめえもいただろうが。なに寝ぼけていやがる」


「うるせえ!」


「うるさいのはお前だ」


 その通り。


「さっさと美里のどこにイカサマだと思う要素があるか、原稿用紙3枚以内で述べろよ」


「決まってんじゃねえか!」


 本郷は鼻の穴を膨らませる。


「こっちの代表は全国クラスなんだぞ! なのにそれよりも早いとかありえねえだろ!」


「現にありえているじゃないか」


 面倒くさそうに、やれやれとかぶりを振る。


「こっちの代表も全国クラスだった、というだけの話さ」


「納得いかねえよ!」


「うっさいなあ」


 ハエを追い払うように、しっしっと手を動かす詩志。


「事実そうなんだから黙っていろよ、この下っ端」


「なんだと!」


「納得いかないのは、俺もなんだけどな」


 そう穏やかな声で、荒々しく吼える本郷の肩にそっと手を乗せる男一人。


「阿部……っ! 邪魔をするな!」


「お前は少し黙っていろ。話がややこしくなる」


「てめえ! ……っ」


 左手。

 それを顔の前に出すだけで、本郷は口を閉めた。


「んで、きちんと説明してくれるかな?」


 阿部は、先程まであんなに暴れていた猛獣に背中を向けて、微笑を見せつけてきた。ぼくはその笑みに恐怖を感じたのだが、詩志は何ともなさそうに頬を一つ掻きながら答える。


「きちんとも何も、そのまんまだ。何のイカサマもしてないぞ」


「そういうわけにはいかないよ。そんな人がいたら俺達が見落とすわけがないだろ?」


「意図的に隠していたんだから仕方ないでしょ」


「隠していた?」


「そう。こっちは入学する前から、この現状を変えようと作戦を練ってきたんだ。2週間かそこらで調べられるようなヘマはしないさ。どうせオレ達に対しての調査なんて、ここ1ヶ月の体力測定や学力程度しか調べられなかっただろ?」


 詩志は肩を大きく竦める。


「ま、そうはいっても、あんたらが調べられたことは、全部、オレ達が作った嘘の情報だけどな。1年生で一番足が早いのは海斗。体力があるのは誠、ってな風に思っていただろ?」


「……」


「残念だったね。中学の時まで調べていれば、この事実に辿り着いていたのにねえ」


「……やられたね」


 あーあ、と天を仰ぐ阿部。


「もしかしたら勝てないかもしれないね」


「どういうことだよ! おい!」


 本郷が眼をカッと見開いて、阿部の襟首を乱暴に掴む。


「あと4つ勝てばいいだけだろ! そんなら――」


「ネックはお前なんだよ、本郷」


「……なんだと」


 阿部は静かに本郷の手を払う。


「ここで少なくとも2勝を奪うことができ、後は俺と唯で確実に2勝を得て勝ちだったはずなんだよ。それがどうだ。お前が提案したミスコンに関して俺は策を練っていないし、最初から相手に花を送るための種目だと割り切っていた。お前のワガママの競技で、俺達の負けで終わりだ」


「くっ……」


「それに、例えミスコンで勝っても、お前だけが不確定要素だ。お前は勝てるのか? 勝てると言い切れるか?」


「……ああああ! うっせーなこの野郎! やればいいんだろうが!」


 本郷は拳を握り締め、眼前に差し出す。


「ミスコンも俺も勝ってやろうじゃねえか! それで文句ねえだろ!」


「文句はないが、心配は残るな」


 そう言って阿部はくるりと身体を翻す。本郷はケッと唾をグラウンドに吐いた後、阿部に続いて自分達の席へと戻って行った。

 二人の姿が見えなくなったのを確認し、ぼくは詩志に言う。


「おいおい。嘘言ってんじゃねえよ」


「嘘?」


 とぼけた顔。


「どこに嘘をついたって言うんだ?」


「またまた。あれだよ」


 ぼくは口の端を歪める。


「中学まで遡っても――


「正解」


 詩志も、底意地の悪い表情を返してきた。


「でも、あんなのは嘘と言うのは微妙だろう?」


「まあ、そうだけどな」


「ねー、どういうことなのー?」


 杏が小首を傾げて尋ねてくるので、ぼくは説明する。


「誠は、あの走力を恥ずかしく思っていたから、あまり人前に出さないようにしていたんだ。体力測定の時も相当力を抜いただろう?」


「……うん」


 罰が悪そうに頷く誠。


「ああ、責めているわけじゃないんだ。その副産物として、こうして裏をかけたんだから、結果オーライさ。っていうかさっきも言ったけど、お前のその足は普通にもう誇ってもいいんだからな」


「うん……ありがとう」


 誠は少し顔を明るくさせた。


「んで、美里の方は……まあ、これは仕方ない。100メートルが18秒後半の女子の長距離なんて、大したものはないと思うだろう」


「あ、うんー。わたしは女子の平均くらいだけど、それでも17秒くらいだものー」


 杏が答える。


「そうだよね。でも、女子の平均よりもちょっと下のタイムの美里が、どうして国体級の選手に勝てそう……いや、もう勝ったも同然になっているのは、どうしてだか分かるか?」


「それは簡単だよー」


 杏は嬉しそうに手を合わせる。



「美里ちゃんはスタミナが尋常じゃないんだよー」



「その通り」


 至極簡単な話。


「じゃあもう一個質問。この長距離走だけどさ、何で20000メートルにしたんだと思う? 普通だったら42195メートル……つまり、42、195キロだな。ハーフマラソンでも21キロ。そっちの方になると思うんだけどさ」


「えーっと、うーんと……どうしてー?」


「答え。それ以上が、美里が勝てる距離になるからだよ」


 いいか、とぼくはそこら辺にあった今回の勝負の書類を手に取ると、その中身の空白部に数字を書き込んでいく。


「まず、あっちの人の記録がハーフマラソンを1時間10分で走る。これを100メートル走に換算すると……詩志、電卓貸して」


「ほい」


「えっと、70×60して、それを約211で割って……平均19・9秒。まあ本当は違うけれど、彼女は最速15秒、最遅25秒くらいで走っているんだろうと考えてくれ。で、その結果が、平均19・9秒ってわけ。ここまでは大丈夫か?」


「うんー……なんとかー」


「んで、我らが梶原美里は、なんと――


 ここまでくると化物じみているな。因みに美里曰く「大体秋葉原から幕張メッセまでは余裕だね」だそうだ。


 本当に化物か。


「つまりだ。美里の100メートルのタイムを遅く見積もって19秒としても、この時点で相手選手の平均速度を上回っているわけだ」


「うーんー……でも、たった0.9秒だよー?」


「いや、結構でかいぞ。100メートルでそれっていうことなんだから、20000メートルで200倍してみなよ。それくらいは電卓なしで出来るでしょ?」


「うーんとー」


 人差し指をくるくると廻しながら、視線を上の方に向け、数秒、考え込む。


「……………………180秒だねー?」


「分に直すと3分。これはもう決定的な差だろ?」


「ホントだー。すごーいー。でもなんで美里ちゃんがこんなに速いのをみんな判らないのー?」


「それはさ、あれだよ。中学の時の女子って、あんま長距離走しないだろ?」


「うんー。走っても500メートルくらいかなー。おしゃべりしながらだから判んないやー」


「喋るってことは相手に合わせなきゃ出来ないだろ? だからそんなに速い印象を周囲に与えなかったんだよ」


「なるほどー。だから二人をよく知らない人には、そのことが判らないんだー」


「加えて、だ」


 そこで詩志が、何故か両手をクロスさせて、言葉を割り込ませる。


「オレと悠一で、、美里と誠に関して 嘘の情報――真逆のことを流布させたからな。結果、二人の見た目も相まった上に、海斗っていう、ある程度上位の記録を持っている人がいたから、誰も二人の真の実力を知ろうともしなかったんだよ」


「ぼくは上位か?」


「目晦ましが出来る程度にはな。意外と凄いんだぞ、お前」


「そうは思わないけどな。ぼくに言わせると何事も中途半端だからな」


 ……だからキャラが薄いのかもしれない。


 足の速さは誠に負け、

 長距離走は美里に負け、

 数学の成績は悠一に負け、

 料理の腕は夢に負け、

 国語の成績は杏に負け、

 カリスマ性は詩志に負け、

 頭の良さは改多に負け、


 結局、ここ一番というものがない。


 ……ああ、そうか。

 だからこそぼくは……ギャルゲーの主人公なのか。


 大した取り柄もないのに、凄い集団の中にいる。

 普通故に、その中では異端になる。

 大して役に立ちなどしないのに。


「……あー、何か凹んできた……」


「いきなりどうした?」


「ぼくってお荷物じゃん、って思ってさ……なんか、もう、帰っていい?」


「慰めるつもりはないが、お前はお荷物なんかじゃないぞ」


 詩志は、憐れむような眼ではなく、馬鹿じゃねえのという言わんばかりの視線を向けてくる。


「オレはお荷物を種目に出すようなヘマはしねえぞ。それにさ、そもそも、オレがみんなと親友なのは、その能力を持っている人物だからわざわざ親友になった、ってなわけじゃねえよ。お前だってそうだろ?」


「当たり前じゃないか」


「そうだろ? 種目に合わせて親友になっているわけじゃないんだ。つまり、能力を基にして種目を組んでいるわけなんだが。だからそもそも、お荷物って概念がないんだよ」


「……」


 詭弁なのは分かっていたし、話の持っていき方も滅茶苦茶だ。しかも肝心なこと――お前は使える奴なんだ、とは言っていない。それでも詩志は、ぼくがお荷物なんかじゃない、って一点を主張している。


「……分かったよ。すまなかったな」


 ならば、ここでうじうじ言って物語を停滞させる意味がない。ぼくの気持ちの問題だし、ここ一番を作れるよう、努力すればいいのだから。


「おお、そういえば杏」


 そこで詩志は、話を切り替えるためかどうかは知らないが、思い出したかのように手を叩く。


「なあにー?」


「もうそろそろ、ミスコンの時間じゃないか?」


「あ、本当だー」


 杏は口元を手で押さえる。見るとグラウンドの真ん中には、いつの間にやら特設会場――野外コンサートをやるような本格的な舞台が設置されていた。


 ……って、いやいや、おかしいだろ。そんな数分かどこらで組み立てられるものじゃないし。一体、どうやってやったんだ? ウチの学校の設備設置担当者、有能すぎるだろ。……まあ、いっか。出来ているもんは出来ているんだし。杏は疑問を持っていないようだし。


「着替えてこなきゃー。行ってくるねー」


「おう。じゃあ誠、ついて行ってあげてくれ」


「あ、うん。分かった」


「覗かないでねー」


「あはは。まさか海斗じゃあるまいし」


「失礼な!」


 誠が冗談を言うなんて珍しいが、それは聞き捨てならん。


「女性の着替えを覗くなど、まだ50回にも満たないわ!」


「覗いているのかよー」


「うおっ! まさか杏につっこまれるとは思わなかった!」


「えへへー」


 ……あ、一応言っておくけど、一回も覗いたことなんかないからな。そういうのはむしろ悠一の領域だ。

 そうこう言い訳を頭の中で述べている内に、杏と誠はたったったと小走りで行ってしまった。


 さて、この場にはぼくと詩志しかいなくなったわけだが。


「おい、変態」


「何だ珍獣?」


「返しがおかしいぞ」


 詩志は眉を吊り上げて駄目出しをしてきた。


「じゃあどう言えば良かったんだ?」


「がおー」


「猛獣かよっ!」


「淫獣だ」


「変態! むしろお前が変態だ!」


 そうツッコミを入れた所で、ぼくは本題に入る。


「で、ぼくになんか話したいことがあるんだろ?」


「ん」


 コクリ、と詩志は首肯する。


「ってか、相談があるんだよ」


「まあ、聞いてやるよ」


「あ、ありがとうなんて言わないんだからねー」


「棒読みか? 杏読みか?」


「棒読みだけど、そんなことはどうでもいいだろ?」


「まあ、そうだな。で、相談って何だ?」


「んー、あのな」


 頬をポリポリと掻きながら、眉を下げる詩志。


「この後さ、昼休みの時間に、その……全部、話そうと思うんだ」


「全部……」


「そう、全部。ってか大きく分けたら二つなんだけどな」


 人差し指と中指。


「1つはこのバッチについて。これは話そうとは思うんだが、そうなると2つ目としてこのオレ――獅子島詩志についても詳しく話さなきゃいけなくなる」


「話したくないのか?」


「出来れば」


 眉間に皺が寄る。


「聞いていて気持ちのいい話じゃないしなー。だから隠していたんだけど、でもここまで付いてきてくれたから言うべきかなー、どうしようかなー、って」


「んー……正直言うと改多や悠一辺りは気がついているだろうが、別に言わなくてもいいんじゃないか」


「でもさ」


 珍しく暗い顔の詩志。


「オレはあいつらのことを、本当に親友だと思っているんだ。こんなデカイ秘密、隠していていいのかな、となんか思ったりなんかだったり……」


「……ふ」


「お、おい、何がおかしいんだよ?」


「いや、悪い。ちょっとおならをした」


 勿論それは嘘で、ぼくは安堵の息を漏らしたのだった。この勝負が始まってから――いや、始まるちょっと前からずっと、先陣を切って、リーダーとして突き進んできた詩志。『我、悩まず、我、猛進す』というような感じで、ちょっと遠くになってしまったような気がしていた。しかしこうして悩んでいる所を見ると、ああ、こいつはちゃんと、ぼくが知っている詩志なんだなあ、と思えて、少し嬉しかったり。


「まあ、とにかく。お前が悩んでいることは些細なことで、親友には嘘をついてはいけないなんてことはないから大丈夫だよ」


「……そっか。だな」


 よっし、と詩志が顔を上げる。こんな説得の仕方でいいのかと思ったが、まあ、少しでも気が楽になったようだし、いいとするか。


「さて、そろそろミスコンが始まる時間だな」


 腕時計をちらと見るその表情は、明るいのだから。

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