第8話 オレ達の戦いは既に始まっている

      ◆



「……うん。素晴らしい出来ですね」


 翌日。

 ぼくと詩志の二人は、会議室で、2年生の代表の男女二人と向き合っていた。彼らはこの学校の生徒会のメンバーで、副会長と書記らしい。この学校では基本的に副会長がそのまま会長になるため、文句なしの代表である。それに比べてこちらは偽りの代表。少しは引け目を感じるところである。まあ、ぼくも詩志も、そんなものを感じていないけど。

 で、先程その副会長が述べた言葉は、分厚いというには少々足らない書類を見て発したものである。それには次の項目が記されていた。

 勝負する種目。

 その勝負に対し、1年側が出場する人物。

 そして、各種目のルール。


「一晩で仕上げたとは考えられませんね」


「ま、努力しましたからね」


 にっ、と笑って、詩志は書類を叩く。


「では早速、内容の確認をさせていただきます。異議がありましたら、どうぞその場でご発言ください」


「分かりました」


「あと、これもお願いします」


 そう言って詩志は一枚の紙切れを提示する。

 それは見た所、何の変哲もない、ただの真っ白な紙。


「全てを読み終えた後に問題が何もなければ、その旨をこの紙に書いて、サインしてください」


「え? どうしてですか?」


「書記の方。私達は一人ではないのですよ。だから、例え形だけだとしても、この書類が通ったという証が欲しいのですよ」


 ふっ、と詩志がそう微笑むと、書記の女子は顔を赤くして下を向く。あれは惚れたな。可哀想に。


「おほん」


 副会長がわざとらしく咳をして、眼鏡を直す。


「分かりました。では、次の事項へと移りましょう」


「そう焦らずに」


 くっくっくと詩志が笑うと、副会長は眉を吊り上げる。


「……何か?」


「いいえ。では、まずは1ページ、私達が提案する勝負する種目から説明します」


 詩志は立ち上がり、会議室のホワイトボードに向かった。

 ――だが、そこで詩志は動きを制止させる。


「あれ?」


「どうしました?」


「いや、それがですね、ここに青のペンがないのですよ」


 詩志は困ったように辺りを探し始める。しかし、その動作は非常にゆっくりとしたもの。


「……ああ、もう!」


 強めに机の上に書類を叩きつけ、副会長が立ち上がる。


「別の色でもいいじゃないですか!」


「あ、でもそうなると見にくくなりまして……」


「そんなのどうでもいいじゃないですか!」


「どうでもよくないですよ。怒鳴らないで下さいよ。見にくかったら説明する時に面倒になるじゃないですか」


「――ッ!」


 どういう理屈だ、と思わず噴出しそうになる。それを我慢して副会長の顔を見ると、タコが顔に乗っているかと思う程赤くなっていた。そこでまた吹き出しそうになる。


「もういいです! 先生に言って貰ってきます!」


「あ、すみません」


「いいえ!」


 激しくドアを閉めて、副会長は外に出て行った。残された書記の人は「す、すいません……」と頭を下げて、その後を追って行く。

 会議室の中は、一時的に、ぼくと詩志だけになった。


「……作戦、成功だな」


 そう呟くと、詩志はVサインを見せた。


「ああ。彼が超温厚じゃなくて良かったよ」


「にしても、だ。どうして先生を連れてこなかったんだろうな。放課後にこっちが話したいことがある、って言ったら、普通は警戒して連れて来るだろう」


「さあね。そんだけオレ達のことをなめているんじゃないの」


 適当な口調でそう言った詩志は、不意にポケットからイヤホンを取り出して装着する。そしてポケットの中に手を突っ込んで何やらごそごそといじると「……よし」と、指で丸印を作って、素早くイヤホンをポケットに戻して身体を寄せてくる。


「じゃあ、書類の内容の確認でもする振りをするか」


「おう」


 言われた通りのパフォーマンスをしていると、約3分後に会議室の扉が荒く開く。


「す、すみません。先生が見つからなかったもので……」


 書記の人が青ペンを渡しながら頭を下げてくる。


「……なんで君が謝るんですか?」


 副会長がギロリと彼女を睨む。彼女は、またすいませんと頭を下げる。


「そうですよ。我が侭を言ったのは私達です。謝るのは私達ですよ」


 へらへら笑いながら、詩志は青ペンを受け取る。その態度に副会長は大変ご立腹のようでこめかみを引き攣かせたが、こちらがそれに対し意に介していない様子を見せていると、呆れたように息を深く吐く。


「……では、説明を始めてください」


「了解しました」


 そう頷いて詩志は『赤ペン』で文字を書き始める。(その瞬間、ギリギリと歯を食いしばる音が聞こえた)


「ではまず、種目についてお話ししましょう。私達は予め……1、2、3、4、5、6、7、8……おっと、数えすぎましたね。7つです、7つ。こっちから7人、そちらから7人、故に7対7で勝負するという契約なので、7つあります。つまりは種目は7つあります」


「……分かっています」


「その7種目は次に書く7つとなります」


 無駄な言い回しで7を強調しながら、緩慢な動作でキュキュッと、文字を書き終える。



・『100メートル走』

・『20000メートル走』

・『計算早解き』

・『漢字書き取り』

・『柔道』

・『剣道』

・『格闘』


「――以上の7つの7種目です」


「……地味なのが多いですね」


 副会長は眉を潜める。それに対し詩志は大げさに首を振る。


「仕方がないのです。この宣戦布告については学校側にも認めさせなければならないので、現実的で、しかも、学校の役に立つと思わせるようなものではないといけないのです。だからこんな運動会に毛が生えたような種目が多いのですよ。後は勉学系も」


「成程。そうなんですか」


 うーん、と唸って副会長は縦に首を振る。


「分かりました。種目はこれで決定いたしましょう。こちらも問題ないです」


「ありがとうございます」


 詩志はにこりと微笑み、副会長の手元にあった紙切れを指差す。


「では、そちらに『勝負する種目』の承認をする旨の記載と、サインの記入をよろしくお願いします」


「え……?」


 口がぽかんと開いて間抜けだぞ、副会長。


「ひ、1つずつするんですか?」


「はい。そうしないと作戦の担当の人に怒られてしまうんですよ」


 ……担当なんていないくせに、よくいけしゃあしゃあとそんなことを言うよな。

 事情を知っているこちらの身としては、困った表情をしている詩志がおどけているようにしか見えない。


「わ……分かり、ました」


 頬を引き攣らせながら、副会長は言われた通りに紙に『2年生全体が、この種目での宣戦布告を承認することをここに記します』という文章と、自分の名前をサインした。


「結構です」


 詩志はその紙をじっくりと見ると、ゆっくりと大きく首を縦に振る。


「では次に、こちらから該当する種目に出場する者の名前を提示いたします。2ページ目をご覧下さい」


「……わざわざ2ページ目にしなくても、種目の横に書いておけば良かったのではないですか?」


「そんな細かいことはいいじゃないですか。どうでも」


 詩志が肩を竦めると副会長の肩が跳ね上がる。見ている分にはハラハラするけれど、なかなか面白い。


「この項目については、こちらがかなりの譲歩をしているんですよ。圧倒的不利だというのに、3年生が付け足した条件で、誰が出場するのかを、先に明確に伝えておかなくてはいけないのですから」


「それは3年生が勝手に言ったことです。私達は知りません」


「2年生の意見ではない、と?」


「ええ。3年生も、あなた達に意地悪をしようとしただけでしょう。余計なことをしてくれたものです」


 ……マジか。


 この人は――


「ですよねー」


 驚きの声を心の中で放っているぼくに対し、詩志はへらっと笑って、その発言を流す。


「では、続けましょう。こちらのメンバーは……」


 赤ペンのキャップを取る詩志。(何かが折れたような音が聞こえた。歯は折れると治療費が高いらしいよ。豆知識)


 ホワイトボードに書きながら、詩志は名前を口にし始める。


「まず『100メートル走』は――『陸羽海斗』。そこにいる彼ですね」


 まあ、あの地下室で悠一が話した【ぼく達の中で2番目に早い人】って、ぼくのことだしな。


「次に『20000メートル走』は――『今野誠』……えっと、『計算早解き』は――『真野夢』です。それで『漢字書き取り』は――『梶原美里』。あとは『柔道』が『不動改多』――『剣道』が『名橋杏』――『格闘』が『轟悠一』――以上です」


「あれ? あなたは入っていないのですか?」


「じゃんけんに負けてしまいましてね」


「……は?」


「冗談ですよ」


 詩志はやれやれと首を大きく横に振る。


「指揮官は前線に出て来るな。そう言われましてね」


「それは……私達をなめているということですか?」


「違いますよ。ただ単に、役に立たないから出て来るな、ということですよ」


 苦笑する詩志。

 ぼくはあえてそこでフォローしないで、そっぽを向く。


「あの……えっと……」


 ぼく達二人を見ながら、書記の人が困惑の表情を浮かべる。そんな彼女を手で制し、副会長は眼鏡を上げて無理矢理話を元に戻す。


「では、そちらの出場選手はそれでよろしいのですね?」


「ええ。いいですよ」


「では、私達の方の選出は約束通り、勝負が行われる週の頭……来週の月曜日までにそちらにお伝えいたします」


「分かりました」


「では次の項目に――」


「おっと、もうお忘れですか? このページに関してもサインをお願いしますよ」


「……ッ!」


「おや、どうしたんですか? 顔が怖いですよ?」


 詩志は首を傾げながら、紙を差し出す。


「い、いえ……何でもないですよ……」


 笑顔を返す副会長。しかし、ボールペンを持つ手が震えている。


「はい。結構です」


 書き終わった直後、さらりと紙を奪い去る詩志。副会長は一瞬呆気に取られたように静止していたが、すぐにその表情を厳しくさせる。

 それに気がついていない振りをしながら、詩志は続ける。


「さて、次の項目に移ります。3ページ目をご覧下さい」


「……」


 憤然とした態度でページを捲る副会長。イライラはかなり積もっているようだ。


「ここには私達が考えているプランがあります。といっても、至極当たり前のことで、今更提案する必要もないことなのかもしれませんが……いや、それでも特殊ですか。何せ……いや、それはまた言葉が違うか……」


「グダグダしていないで、さっさと先に進めてください」


 机の下で、カタカタという音が聞こえる。言葉もぞんざいになってきている。


「ええ、では提案とは……」


 急げという要求をまるっきり無視して、詩志はホワイトボードに文字をゆっくりと記してから、説明を始める。


「では、一つ目は――『種目を午前と午後で分割しましょう』ということです」


「分割、とは?」


「種目を4つと3つに分けて行うということです。これを実行すれば、午前中だけでも勝負が決する場合があります」


「ということは、午前中に4つ、やってしまうのですね?」


「そういうことです」


 頷くと詩志は、ホワイトボードに書かれていた特定の四つの種目の横に、丸印を書き加える。


『100メートル走』


『20000メートル走』


『計算早解き』


『漢字書き取り』


「私達は、この4つを午前中に持ってこようと思います」


「ほう。その理由は何ですか?」


「それが、2つ目の項目に繋がるのです」


 そこでようやく詩志は青ペンを手に取り、2つ目の項目を記す。


「2つ目は――『放送部と協力して、この種目を放送するということ』です」


「放送……?」


「分かっているとは思いますが、私達が勝負する種目は大変地味ですよね」


「まあ、そうですよね」


「ただ見ているのはつまらないと思います。ですがこの宣戦布告は、私達の今後を左右する、とてつもない重大な出来事です。となると、見ないわけにはいかないですよね」


 そこでこれです、と詩志はどこぞのテレビショッピングのように言う。

 但し現品はなく、言霊のみである。


「放送器具を使って、実況付きで、視聴覚室なり体育館の巨大スクリーンなりで放映するんですよ。その時、1年、2年、3年生……は、来ないでしょうが、それぞれ当てる部屋を別にすれば揉め事も起きません」


「それはいい考えだと思いますが……」


「放送部との提携や放送場所など、こちらは全て準備の方は整っております」


 詩志の言う通り、詳しい趣旨は何も知らされていなかったが、とりあえず先生達や放送部との交渉は既に四月時点で済ませていた。


「何かご不満がありますか?」


 詩志は意地が悪そうに微笑む。


「何なら、2年生側が今から準備してくださっても構わないのですよ」


「あ、いや、不満なんてないです。それより」


 コホン、と咳を切って、副会長はホワイトボードを指し示す。


「先程、そちらが言った4つの種目を、午前中に持ってくる理由を話してくれませんか?」


「消去法ですよ」


 詩志はホワイトボードの種目と担当する人の項目の間に、今度はバツ印を書き加えながら説明する。


「『20000メートル走』が明らかに他の競技よりも長引きます。故に、これを午前中に持ってくることは必然となります」


 午後まで掛かってもいいように、ということ。


「次に、その他の種目を選定した理由についてですが、午後までもつれ込んだ時に、『計算早解き』と『漢字書き取り』では盛り上がりに欠けるからです。なので、これも午前中にした方が良いでしょう。そして、残った4つで考えれば、もう一つは――」


「ちょっと待ってください」


 詩志の説明中、副会長が片手を挙げる。


「午前中は3種類のみで良いのでは?」


「休日にやるのですから、午前中で終わる可能性を残した方がいいじゃないですか。それに3種類にした場合ですが、どちらかが1勝もしていない状態で午後にもつれ込む可能性もあるのですよ。そうなったら昼休みにやる気が削がれてしまうじゃないですか」


 圧倒的に負けている中で休憩を入れると、負の感情のスパイラルに落ちやすい。


「そんな状況になってから急遽もう1種目午前中にやるとなっても、選手やカメラの準備が間に合いません。ならば、初めから午前中に4種類にしておいた方がいいのです」


「成程……」


「では、話を戻します」


 ホワイトボードに再び向かう詩志。バツ印は今の所、述べた三種類にしかついていない。


「残る1つですが、これは単純にジャンル分けで考えた時、『柔道』、『剣道』、『格闘』は1つにまとまりますよね?」


「……さっきから言おうと思ったのですが、『格闘』って何ですか?」


「後に説明しますよ。ま、もっとも」


 はは、軽く笑い声を発する詩志。


「先程からずっと説明していることも、これから述べることも、その書類に書かれていますけどね」


 その言葉の直後、副会長のこめかみに再び青筋が浮かぶ。


「……なら、やる意味がないじゃないですか。何でやるんですか?」

「確認のためですよ。そちら側に異議がないかどうかの。なんなら、先のページを読んでいても構わないですよ。ただ、議論の方はきちんとしてくださいね。でないと私が作戦担当の人に怒られますから」


 彼女、怖いんですよ、と苦笑いをする詩志。ほう、詩志のイメージでは作戦担当の人は夢なのか……と、駄目だ。怖い女性で彼女を思い浮かべてしまっては。夢って、そんな怖い人ではないのに。悠一と美里と杏のせいで、そんなイメージに縛られてしまっている。


「では、話を戻します」


 先程の詩志の言葉通りにすぐさま書類に眼を通し始めた副会長が、顔を上げる。


「ええ。どうぞ」


「先程述べた三つは【武道】として一つにまとめられます。そんな理由も含めて、午後に廻そうと思います」


「となると残る1つは……『100メートル走』になりますね」


 でも、と副会長は反論を述べる。


「最初から全種目やる、というのは駄目なのですか?」


「基本的にはマラソンが長いので、その合間に他の種目をする、と構想しています。そこに当て嵌まるとしたら大体あの3つ分くらいの長さではないか、と我々は計算によって導き出しました」


 そんな計算した覚えないけれどね。


「因みに、休日なので早い時間には来たくないだろう、という生徒側への配慮として、10時に開始するという前提で行いました。まだ承認はもらっていませんが、資料にも書いております」


「ふむ、それは構いません」


「あと、午前中に四つ行う理由を挙げるとすると……趣味、ですね」


「趣味、ですか……」


「ええ、単純に。昼休みに午後の種目の作戦を練ったり、生徒側の間で雑談する時間が欲しいのですよ。人間というのは、基本的に会話を共有したい生き物ですから。『あいつ凄かったよな』とか『惜しかったよな』とか、そういう一般生徒の高揚感を出した方が、より応援してもらえるでしょう」


「……要するに、応援してもらいたいから、ですか?」


「だから趣味と言ったでしょう。これだけは理論的な説明は出来ません」


 副会長は「うーん……」と少し悩むと、腕組みを解く。


「……こちらも、応援はして欲しいですからね。分かりました」


「ありがとうございます」


「では、3つ目の提案を教えてください」


「その前に――1つ、言っておきます」


 詩志は人差し指を立てる。


「これも私達の趣味です。それでもよろしいですか?」


「内容は……ここに書いてあること、ですね」


「ええ。恐らく、そちらが今開いているページかと思います」


「これですか……逆に、私から訊きたいくらいですね」


 顎に手を当て、副会長は訊ねてくる。


「3つ目――『午後の3つは、同時中継にしたい』。これの理由を」


「先程も述べましたが、趣味です」


 そんなに深い理由はありませんよ、と詩志は微笑を投げ掛ける。


「ただ単に、3つに分割された画面でそれぞれの戦いを見たいからです」


「……それだけですか?」


「ええ、それだけです」


「……」


 呆れたように副会長はぼく達を見る。

 こっち見んな。


「……いいでしょう。認めます」


「では、以上でこのページの説明は終了です。これでいいですか?」


「はい。問題ありません」


「では」


 紙を差し出す。副会長は深い溜息をつきながら、ペンを走らせる。


「はい結構」


 書き終えた所で乱暴に取り上げる詩志。

 また副会長の顔が歪む。

 しかし詩志は、知らんぷり。


「では次のページからは書く種目についての細かいルールを説明します。まずは『100メートル走』です」


「ええ」


 副会長は書類に眼を落としたまま、顔を上げないで返事をする。見ていないことをいいことに、詩志はこちらに舌をちろっと出して続ける。


「場所は学校の第1グラウンド。白線を引くだけの簡単なトラックを用います。これに限らずですが、審判は全て先生方にお願いし、了承してもらっています。ま、細かいルールなどは、今から述べますが、その書類に書いてあることのままでよいでしょう」


「ふむ」


「試技は無し。選手変更もなし。例え怪我をしていても、その人に出てもらいます。一本勝負。フライングは1回のみ。2回目を行った場合、その時点で失格です。それと、走行時に相手を掴んだり押したりは勿論、レース中の侮辱やその他の妨害行為は一切禁止といたします」


「はい」


「さらに、スタートダッシュ用の器具の使用は不可。これは不正を仕込まれる恐れがあるためですね。あと、ローラースケートの使用も禁止です」


「ははは。面白い冗談だ。そっちの方が遅いだろうに」


 顔を上げず乾いた笑い声を上げる副会長。態度で判る通り、段々面倒くさくなってきているようだ。


「ですよね。ま、それは置いておきましょう」


 詩志は相変わらず同じようなトーンで言葉を紡ぐ。



 ――さて、ここからは少し省略しよう。


 何せ10分もの間、詩志はずっとこの一つの種目について喋り続けていたのだから。


 事情を知らない側にとっては「何を言っているんだ、そんなことはありえないだろう……」と思われるようなことばかり、延々と語っている。資料にずっと眼を落としていたとはいえ、副会長は見るからにうんざりしていた。軽い表現でいうと『ウザい』と思っているようだ。


「――と、以上で100メートル走の説明を終わります」


 ようやく詩志が一区切りつけたところで、副会長は大きく息を吐いた。

 そこを詩志は見逃さない。


「あ、待ってください。気を緩める前に、以上のことを了承していただ――」


「一息くらいつかせてください!」


 そこでようやくキレたか。まあ、おおよその予定通りだがな。むしろ良く持った方だと、ぼくは心の中で少しの賛辞を贈る。


「どうして怒るんですか?」


「そりゃ怒るでしょう!」


 ありゃ、まだ敬語か。

 それを確認し、瞬時に、ぼくは気付かれないように掌にボールペンで文字を書く。


『もう一押し』


 それを詩志だけにさりげなく見せる。詩志は一瞬だけ親指と人差し指で丸を作ると、やれやれと首を振った。


「怒りたいのは私達の方なのですけれどね」


「なっ……」


「だってそうでしょう?」


 あえてそこでタメ口を使い、詩志は鼻で笑い飛ばす。


「オレはこうして下手に出て長々と説明しているのに、あんた達はずっと書類を見て、顔を上げようともしない。そういう態度の方がよっぽど失礼だろう」


「そ……そんなの当たり前だろっ!」


 机が割れるのかと思うほど強く叩く副会長。わなわなと怒りに震える彼に対し、詩志は「あーあ」と口の端を歪める。


「感情を制さないと、こうやって場の空気が悪くなるだけだよ。以後気を付けたまえ、なーんてね。あはは」


「……ッ!」


 その眼は明らかに『誰の所為で怒っていると思っているんだ!』と言うような怒りで満ちていた。その視線を思い切り受けている当人は、ふう、とわざとらしく溜息をつく。


「仕方ないですね。話を先に進めましょうか。早く紙に一〇〇メートル走の項目についての承認のサインを早くしてくださいよー。早くしてくださいよー」


「誰がするか!」


「理由もなしにそんなことは出来るわけないじゃん。どこか不満な点でもあるの?」


「不満な点は……な、ない」


「ですよねー。完璧に作ったし」


 見下すように、いや、副会長を見下す詩志。


「加えて、あんた方は既に宣戦布告を受けている。今更止めるなんていう選択肢はないのさ」


「くっ……」


「さあ、まだまだ話を聞いてもらいましょうか、2年生方?」


 いい悪者具合だ、詩志。

 計画通りだ。

 さてさて、ここまで追い詰めたら、選択肢は、あと一つしかないだろう。


「……そ、そうだ!」


 どうやら、垂らした糸にまんまと引っ掛かったようだ。

 副会長は得意げそうに鼻を膨らましながら、詩志を指差す。


「あ、あんた達の書類は、残念ながら反論の余地もない完璧なものだ」


「それはどうも。だからどうなのさ?」


「だからこそ、だ!」


 そう言って、いきなり副会長は分厚い書類を詩志に投げつけてきた。


「おっと」


 すかさず、ぼくは手を伸ばしキャッチする。

 睨もうと思ったが、それよりも手の方が先に動き、投げ返していた。


「へぶっ!」


 顔面にヒット。ざっまみろ。


「……あんた何がしたいんだよ」


 詩志が可哀想なモノを見る眼で副会長を一瞥する。その可哀想な副会長は、頭を大きく振って「と、とにかくっ!」と床に落ちている書類を指差す。


「これを全部見たけど、後は種目の説明とルールだけだった。ザッと見ただけだけど、こちらが不利になるようなことは書いていなかったし、きちんと書かれていた。――おい、おかしな所があったか?」


 突然呼び掛けられ、書記の人はビクリと身体を跳ね上げる。


「い、いえ。全部読みましたが、特に何もありませんでした」


「だってさ! こいつは速読力に定評がある! だから信用していい!」


「で?」


 詩志は呆れたように眉を歪める。


「だからどうなのさ?」


「こうするんだよ!」


 ふん、と鼻を鳴らし、彼は紙にさらさらとペンを走らせた。

 ――その瞬間、ぼくと詩志は思わずにやけてしまっていた。

 そうとは知らず、副会長は得意げに顔を上げ、紙を突き出してくる。


「どうだ!」


「えっと、なになに……『私達2年生は、1年生が提示した種目についての全ての項目を妥当とし、それに則るものとしてここに記します』」


 つまりは、書類を全部確認したけどオッケーだよ、ということであるらしい。


「どうだ! さっき説明することは、この書類通りって言っていたよな?」


「確かに、言いましたね。間違いありません」


「だったら、この書類の内容を全部把握し、了承すれば、もうお前の説明なんか聞く必要ないんだよ」


 勝ち誇ったように、副会長は顎を上げる。


「――ま、そういうことになりますね」


 しかし対称に、詩志はさらりとした表情で紙を受け取り、淡々と言葉を落とす。


「こちらにはあなた方を引き留める理由はありません。では、これにてお開きに致しましょう。お疲れ様でした。あ、書類は持って行っていいですよ」


「誰が持っていくか!」


「わ、私は頂きます」


 そう言いながら副会長が床に投げた書類を素早く拾う書記の人。中々、こちらの人は出来た人のようだ。

 それに比べて……


「では失礼する!」


 乱暴にドアを閉め、副会長は部屋から出て行った。書記の人は一言「申し訳ございません。失礼します」と丁寧に挨拶をして後を追って行った。

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