第4話 オレ達は順調な計画の遂行にほくそ笑む

    ◆



「はっはっは。計画通り計画通り」



 誰もいなくなった会議室で、詩志は愉快そうに笑い声を上げる。そんな詩志の横で、ぼくは苦笑を浮かべる。


「ここまで計画通りだと、逆に怖くなってくるな」


「成功を怖がるのは馬鹿のやることだ」


「まあ、そうだな」


 扉の外をちらりと見て、詩志は再び高笑いする。


「2年と3年が簡単に分離してくれた挙句、順番まで思い通り。さらに2週間ずつの期間まで設けてくれるとは」


「おまけに7番勝負にしてくれて、こちらがその種目を決めていいとはな」


「それは譲れなかったよ。何しろ本当は、こっちには8人しかいないんだからな」


「すんなり認めてくれて良かったじゃないか」


「ま、どっちにしろ、その意見を通すための理屈もあったし、勝算はあったけどな」


 こいつのことだから強がりではなく、本当のことだろう。


「しっかし、お前も悪だな」


「何が?」


「そこでとぼけるのかよ……さっき言ったこととクラスのみんなに言ったこととは180度違うじゃないか」


「一部だけだけどな」


「その一部が重要なんじゃないか」


 ぼくは溜息を1つ零す。


「まあ、こうなることは分かっていたけどね。でも、1厘くらいは信じていたんだぞ。ぼく達のものだけで、2・3年全員を勝負させる秘策ってのがあるってのを」


「そんな甘い方法はないさ。というかあいつらの考えが甘い」


「そりゃそうだがな」


「それに、オレ達が勝つんだからどうせ問題ないじゃん」


「それはまるで『どうせ勝つんだから先にちょっと借りていくよ』という駄目な大人みたいだな。まあ、お前のことだから確実に勝つんだろうけどな」


「ってか海斗、『まあまあ』うるさい。言うにしても『あ』にアクセントを置くな」


「唐突に何だよ。口癖だから仕方ないじゃないか」


「そうやってキャラ付けしようとしても無理だぞ。お前はオレ達の中で一番、キャラが薄いんだからな」


「悪かったな。お前みたいに個性的じゃなくて」


「にゃははは。よしよし」


 撫でられた。……何故に撫でられた?


「やめろよ詩志。何でそういう流れになるんだよ」


「ん、かわいいから」


「このぼくを見てかわいいなんて思うのは誰一人いねえよ」


「あ、間違えた。かわいそうだから」


「『い』から『そう』にチェンジしただけでこんなに意味が違うとは。でもかわいそうで結構だ。お前を見ていると、薄いキャラでもいいよと思うよ」


「お前、今の自分のままでいいってのか!」


「怒鳴るなよ。……まあ、少なくとも、お前みたいにはなりたくないけどな」


「何だと! このオレの素晴らしい個性を認めないのかよ!」


「うわっ! 飛び掛かって来るな!」


 詩志は何を思ったのか身体をぼくに投げ出した――だけならまだましなのだが、十字を作った両手をぼくの首元に向かって繰り出していた。当然の如く、ぼくは直撃を防ぐため両腕をクロスさせてガードする。詩志は小柄ではあるが、勢いのついた人間は簡単には止められない。ましてやパイプ椅子に座っているだけの、しかも腕が使えない状態のぼくに支えきれるはずがない。

 至極当たり前に、ぼく達はひっくり返った。


「いってーな! 何してんだよ!」


「……詩志、それはぼくの台詞じゃないか?」


「お前の台詞はオレのもの。お前の台詞はオレのものだ!」


「2回同じこと言ってる!」


「まさにジャイニズムだな」


「だから違うって。……まさか、それはぼくの台詞なのか?」


「あーあ。美里のおっぱい触りたいな」


「それは絶対にぼくの台詞じゃない! というか詩志、少しは今の状況を考えてくれ!」


 色んな意味で。

 と、そこで、


「詩志君、呼んだ?」

「……」


 うわあ、こんなベタな展開があるんだな。というか、もしかして潜んでいたのか?

 それぐらいタイミングのいい登場だ、美里。

 しかし、


「……っ!」


 その台詞の直後から、何故か美里の眼が、どんどん見開かれていった。

 ………………って、ああ、そうか。

 ぼくは今の状況をすっかり忘れていた。

 誰もいない会議室で、詩志とぼくが、縺れ合って倒れている。

 そう、今のぼく達の状態は――


「きゃああぁぁぁぁぁああああああああああ! えもぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!!」


 彼女にとっての天国だったのだ。


「誰もいない密室で二人きりで詩志君が上で海斗君が下ってことは詩志×海なのね! てっきり海×詩志だと思っていたのにきゃーっ! きゃーっ! こっちもいいかもーっ!」


「…………」


 別にぼくは彼女の趣向を否定しない。ちょっとした天然が入っているが、頭脳明晰で容姿端麗、スタイル抜群の彼女がこういうものを持っていたとしても、まあ別にどうってことない。人はそれぞれだし、男だって女性をそんな見方で見てしまうことがあるだろう。むしろ男性の方が多い。こんな風に騒いでいるのも、ちょっとタガが外れちゃっただけだろうしね。


 でも、今は彼女を止めなくては。まあ、『あること』を言えば一発で直るだろう(治りはしないと思う)けど、それだとまた別な誤解を生むのは必至なので、その手段は諦めることにしよう。とりあえず後から来る人に誤解を受けないよう、詩志を離す。


 ……体重軽いな。


 そういえば、どうして自分から離れなかったんだろうか?

 ま、そんなことはどうでもいいか。


 とにかく。

 今は彼女を止めることが先決。


「はいはーい。美里、ストーップ」


「はうっ」


 美里の額がぺちんとかわいい音を鳴らす。それだけで彼女は大人しくなった。


「まったく、何をしているんだか……」


「あ、ありがとう、夢」


「お礼は、あんた達が何をしていたか言ってからにしてもらおうか、海斗。美里が暴走するようなこと……」


 と、そこで言葉を止め、彼女はじとーっとした眼でぼく達を見る。


「……まさかあんた達、キスでもしていたの?」


「なにっ!? お前もまさか美里と同じなのか!」


「違うわよ! ……ったく、冗談よ冗談」


 膨れっ面をする夢。そういえば詩志も何故か膨れっ面をしている。まあ、大方ぶつかってきた時に頬をぶつけでもしたのだろう。自業自得だ。


「キスしてたの?」


「そしてお前は純粋な顔で何を訊くんだよ、美里」


 さっきの時といい、純粋すぎるぞ、眼が。まるでこっちが悪いことをしているみたいだ。


「してねえよ。今の状況を考えろ」


「状況を考えたら、キスしていてもおかしくないじゃない?」


 それはそうだが。


「……まず根本的なことから考えを改めろ。この状況下ではキスなんかしないぞ」


「ええ? 何で?」


「何でって……じゃあ今ここでお前は夢とキスするのか?」


「え、ちょ……」


 唐突に振られて慌てる夢をよそに、美里は眼を輝かせる。


「したらキスしてくれる?」


「状況が状況じゃなかったら非常にドキドキする台詞だが、それは保証出来ないよ」


「そっかあ……」


「でも、まず自分がやってみなきゃ、相手は動かないさ」


「……そっかあ!」


「はいはーい。騙されているからねー」


「ひあっ」


 夢は顔をしかめながら、再び美里の額を叩く。どうやらそこが、彼女をストップさせるスイッチのようだ。


「海斗、からかうのもいい加減にしなよ」


 夢は眉を吊り上げる。


「言っておくけど、美里はあんた達に心を許しているから騙されるんだからね」


「いやいやいや、こっち責めるのおかしくない?」


「おかしくないわよ!」


 激高する夢。


「もう少しであたしのファーストキスが奪われそうになったのよ!」


 言った後で夢はハッとして、顔を赤くした。何故だろうか。そんなに恥ずかしがることじゃないのに。


「大丈夫。ぼくもキスをしたことはないから」


「それがどうしたのよ!」


 フォローしたのに怒られた。


「あ、私もキスしたことはないよ」


「じゃあしようとするな!」


 もっともな意見である。去年の夏のことといい、美里は優先順位が何かおかしい。


「ああ、もう! 何でこんな話になっちやっているのよ!」


「まあまあ、夢、落ち着いて。可愛い顔が台無しだよ」


「ありがと。そう思ってくれるなら怒らせないでくれる」


 淡々と返された。ツンデレってくれても良かったのに。


「そういえば――」


 そこで、ずっと黙っていた詩志が夢に向き合う。


「夢、美里、他のクラスの説得は終わったのか?」


「あ、うん」


 美里は大きく頷く。


「私と夢ちゃんは理数系のクラスのとこに割り当てられたじゃない。どちらとも数分で話が着いたみたい。私の方は詩志君の言葉をそのまま伝えたら簡単に了承してくれたよ」


「……まあ、理数系は男ばっかりだからな」


「え? 海斗君、それって何か関係あるの?」


 首を傾げる仕草をする美里。とても可愛らしくて、並大抵の男は皆撃沈するだろう。初めて見た人なんかは、もう絶対に。


「あのな、美里……お前はもうちょっと自分の魅力に気がついた方がいいぞ」


「いやだな、海斗君。そんな嬉しいこと言わないでよ。お世辞だって分かっていても嬉しいよ」


「……今の用法でお世辞になるわけがないんだけどな」


 まあ、いいか。


「んで、夢はどうやって話しつけたの?」


「ん? 美里と同じだよ」


 ただし、と夢は付け加える。


「最後に『いいよね?』と念を押したけどね」


「……まあ、理数系は男ばっかりだからな」


「ん? あれ、海斗? 美里の時と同じ言葉なのに、何か違う意味に聞こえるんだけど?」


「夢さん、笑顔が怖いです」


 まあ、言っていることは事実なんだけど。

 夢は、男子にも物怖じしない性格や、リーダーシップ、誰かのために全力で行動することから男女問わず――特に女子から人気がある。それ故、この学年の男子生徒の心には『真野夢を怒らせることは、全女子を敵に廻すことと思え』という教訓に近いものが刻まれていた。女の子と付き合いたいと思う思春期真っ盛りを過ぎた後の大人への階段を昇りつつある男子高校生には、それはとても恐ろしいことだろう。それが実際に行われると、恐らく、アダルティな本か二次元に逃避してしまうことになるだろう。そうなると、現実の女性に対しての興味が失われ、出生率が低くなってしまう。


「……おお、こう考えると国家問題なのか」


「何がよ」


「お前を怒らせると日本が滅びるんだよ」


「はあ? ……あんた、頭大丈夫かー?」


 また撫でられた。ぼくは男として失格かもしれない。


「と・に・か・く!」


 詩志が手をパンパンと叩いて強引に話を戻す。


「他のみんなもそろそろ終わっている頃だろうし、出来ていないところは説得しに行かなくてはならない。えっと……夢は六組で美里は七組だったな」


「うん」


「ええ、そうよ」


「だったら、あとは普通科の4つだな。改多はあれで説得力あるし、悠一も何とかやるだろうから2組と5組は大丈夫だろう。問題は誠と杏だな。誠はあんな図体だけどだけど気がちょっと弱いから説得に向かないだろうし、杏はアホだからな。……よし、夢と海斗は杏の方に、オレは誠の方に行こう。美里はここに残って、他の人が来たらそいつをオレの方に呼んでくれ。いなかったらそいつの教室に向かってくれ」


「2人ともいなかったら?」


「悠一の方へ行って」


「了解」


 細かいことだが、詩志の下した判断にぼくは唸った。杏の所にはしっかりした夢を連れて行けばいいだろう。だが、杏は、本人は自覚していないのだが色気が凄く、服をきちんと着ていても妖艶なので、もしかしたら女子には不評かもしれない。まあ、アホだから仲良くなればすぐにそんな気持ちは失せるだろうけど、相手は他クラス、ほとんど会ったことのない人々ばっかりである。杏を侮辱する人も出てくるかもしれない。夢は仲間を侮辱したりする行為を絶対に許さないから殴りかかるだろう。そうなったら話はおしまいだ。そこで、ここの中では一番冷静に対処出来る(因みに仲間内での一番は改多。あいつが大声を出すのを、一度も聞いたことはない)ぼくがそのストッパーになるべきだろう。続いて誠の方だが、これは詩志一人で説得しても問題ないだろう。誠は、成績は悪いがアホではないので、詩志は彼の言うことの補足を担当すればいいだけだ。加えて他のメンバーを連れてくれば、いるだけで、一人の時よりも説得力が上がる。だから美里の働きは不慮の事態に備えるためのもの。


 全てが的確。

 もしかして、こんな小さいことまで全て、計画の内に入っていたのか?

 だとしたら恐ろしい。

 恐ろしいが――


「……とても頼もしいな」


「ん? どうした?」


「いや、お前の凄さを改めて認識してな」


「だろ?」


 でも、そう言うぼくの幼馴染の表情は、昔からそのままの笑顔だった。

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