五 親愛なる自由讃え

#01

 宗一郎から電話が入ったのは、人気のコーヒーショップでカフェラテを買い、エスカレーター付近のベンチに腰を落ち着けたときのことだった。

「周吾郎。今、どこにいる」

「一階東ホールのベンチでコーヒーブレイク中。巷で噂の人気チェーンなだけあって、上等なミルクを使っているね。家や学校からは少し遠いけど、叶うなら毎日でも通ってみたいね。ところで電話してきたってことは、動きがあったのかな」

「ああ、今のところ二人確保した。九分九厘、お前の推理どおりだ」

「よしてよ。僕は……」

 言いかけた言葉を飲み込み、周吾郎はふうと息を吐く。

「周吾郎?」

「……なんでもないよ。騒ぎにはなっていないよね」

「当然だ。お前の言うとおりに、確保だけ済ませてある」

「ありがとう。お疲れ様」

「……本当に行くつもりか、周吾郎」

 電話口の声が、かすかに不安の色を帯びる。

「無理にお前が向かうことはないんだ。犯人の素性、そして目的がわかっているからには警察が確保したほうが安全に決まっている。何より、私はこれ以上家族を」

「今は家族ドラマの時間じゃないよ、父さん」

 聞きながら、周吾郎は笑っていた。

「たしかに捕まえるだけなら警察のほうが格段に優秀だ。そこは覆らない。だけど今は、僕が向かわなければならない。被害を最小限に留めるにはそうするしかないんだ」

「……お前がそう言うのなら、止めはしない。だが約束は守ってほしい」

「節度を持って、弁えた行動を」

「それと、もうひとつ」

 宗一郎は言う。

「必ず、無事に帰ってきてくれ」

 返事はせずに周吾郎は携帯を胸ポケットに仕舞う。

 日曜日はあいにくの曇天だったが、セレモニーは盛大に開かれ、行き交う人々は誰もが浮き足立っていた。その誰もが、あと数時間で命を落とすかもしれない――ということなど露知らず、昼前の館内を巡り続けている。そろそろ行くか、と立ち上がり、周吾郎は雑踏の中へと溶け込んでいった。

「謎は……」

 何度も繰り返した己の矜持を、言い聞かせるように。

「謎は解けるように、できているんだ」



     ***


 時は遡って前日、六月九日。

 土曜日の湊川高校新聞部部室といえば、目立った活動もしていないので閑散としているのが常だったが、この日は何人もの生徒が集まっていた。遅れてやってきた女子生徒――茅島柚希は「待たせた」と一言だけ挨拶すると、鞄から取り出した図面のようなものを机に広げた。

「全四階の見取り図だ。一年近く前のものになるが、設計が大きく変わることはないだろう」

「すげえ、一体どこでこんなものを……あんた一体何者だ?」

「ふむ。きみは御子柴といったか。中学以前は周吾郎が世話になっていたみたいだな。きみもこれからこいつに関わっていく以上は、嫌でも知っていくことになるだろう」

「……危険人物みたいに扱われているのはさておき、ありがとう。さすが茅島だ」

 見取り図を確認して嬉々とする周吾郎に、柚希は尋ねる。

「改めて確認だが、が標的になっているというのは、本当か」

「ああ。まず間違いないと思うよ」

 周吾郎は持参したリュックサックからノートパソコンを取り出す。少し年季の入った、小日向倫也の保有するパソコンだった。

「繰り返しになるけど、僕と小日向さんはここ数ヶ月、ひっそりと小日向さんの兄である小日向倫也の行方を追っていた。彼が残した手紙を元にね。ノートパソコンにたどりつくまでの過程は省くとして、このなかには彼が成そうとしていることに関するヒントが秘められていたことに、僕は気付いたんだ」

「でも、あのときは何も見つけられませんでした」

「あのとき?」

 パイプ椅子に腰掛けていた山崎が、めざとく反応する。

「ノートパソコンを調べたのは、今日が初めてじゃないってことだね?」

「はい。以前周吾郎さんが私の家に来たときに……」

「春瑚ちゃんの家に、橘くんが?」

「あの周吾郎が?」

「しかもふたりきりで、というわけだな」

 柚希は心底愉快そうにくつくつと笑った。ようやく気付いたか、春瑚は頬を真っ赤に染めながらぶんぶんと頭を振る。周吾郎としては、文太までもが意外だというふうに目を見開いていたことに憤慨した。

「ちちちち違います! ああいえ、違いませんが、決してそういうことでは……!」

「たしかにノートパソコンには、何もデータは残されていなかった。見た目はね」

 流れを断ち切る言葉に、柚希は反応する。

「見た目、だと?」

「手がかりをおさらいしてみよう。手紙の流れはこうだ。『実行日についてはある人が答えを握っている。湊川に進学するならきっとわかる。クロワッサンやコーヒーとともに考えるといい。時には言葉遊びも大事だ。日本史はそうやって覚えてきた』」

「湊川に進学すればわかるってのは、湊川高校にヒントを知っている人がいるってことか」

「まあ、そういうことだね。結果として卒業文集だったり、当時の同級生から話を聞いたりすることで、小日向倫也の歩んだ道程はだいたい掴めてきた」

「クロワッサンとコーヒーは……?」

「兄の好物です。休日の朝はこのふたつを自分の部屋で食べるのが日課でした。何をしていたかまではわかりませんが、今、兄の部屋に残されていたのは、このノートパソコンだったんです」

「それで辿り着いたというわけか。残りの言葉遊びと日本史は、どうやら紐付くところがありそうだな」

「鋭いね茅島。やっぱりきみは探偵向きの気質だと思うよ」

「ほざけ」

 周吾郎は文太を見る。

「日本史における言葉遊びといえば、文太なら何を思いつく?」

「俺か? そうだな……」

 少し考え込んだが、文太は思いついたように言った。

「年号の語呂合わせだろうか」

「ビンゴ。僕も同じ考えだよ。つまり小日向倫也は、このノートパソコンに語呂合わせで実行日にまつわるヒントを残していたんだ」

 ノートパッドを開いて、周吾郎はキーボードに指を乗せる。

「データが完全に消去されているように見えても、見えないところに情報は隠されている。そのひとつがだ。パソコンの辞書機能はデフォルトで入っている単語の他に、任意で新たな単語を登録することができる。だから辞書ツールを見れば答えは一発でわかるんだけど、せっかくだから順序立てて推理してみよう。小日向倫也は、一体どんな言葉をユーザー辞書に隠していたのか……」

 ぐるりと見渡し、山崎と目が合う。

「先輩はもう、おわかりですか」

「……なんとなく。同じようなことがあったからね」

 山崎は淀みなく答える。

「名前、でしょう」

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