#08(了)
いつもどおりの月曜日、食卓では麻里が真面目な顔でテレビを見ていた。
「美術館、できたばっかりなのにしばらく閉館するんだって。よくわかんない」
見慣れたニュース番組では、鶴見市立美術館・鶴麗が当面の間閉館する旨が速報で伝えられていた。
曰く、美術品のほとんどに贋作疑惑が上がり、鶴見市の信用に影を落とすということで詳しく調査が入ることになったのだという。コメンテーターのなかには、何もかもなくなるのならフリースペースとして憩いの場にすればいいだろう、と提言する人もいた。屋上の件はまだ明るみになっていないようだ。周吾郎は初耳のふりをした。
「百貨店をお望みの麻里さまとしては、ご希望が叶ったということになるのかな」
「どっちでもいいよ。建物がひとつ変わったくらいで帰りに寄る場所が変わるわけでもないし。新しいショップができたところで、結局いつものファーストフードでぐだぐだするのが一番いいんだよね」
「はは、麻里は無常観と縁がなさそうだね」
ニュースの内容が切り替わり、麻里のお気に入りのコーナーになる。麻里がチトさん来たーと喜ぶ前に食いついたのは、周吾郎と麻里の掛け合いを微笑ましく眺めていた宗一郎だった。目の色が変わる。
「あ! チトさんじゃないか! やっとわかったぞ、この間の問題の答えが」
宗一郎は新聞の隅に『チト』の文字を並べて書いて、麻里に突きつける。
「ほら、こうやって狭めて書けば『升』という漢字に見える。こういうことだろう!」
「あー、そういえばそんなのあったね。お父さんもやればできるじゃん。誰かに聞いたの?」
「むっ、父さんを馬鹿にするな! こう見えても昔は敏腕刑事として」
「敏腕なのに二ヶ月かかったんだ」
「むっ、むう……」
麻里はけらけら笑う。宗一郎の落胆を横目に、周吾郎はテレビを眺めた。
升アナウンサーは街頭の人々にこう尋ねている。『美術館が閉館してしまったことについてどう思うか』。なかなかタイムリーな話題だったが、行き交う人々のほとんどは、こう答えた。
『そんなものが、できてたんですね』
まあ、そんなところだろうな――と周吾郎は苦笑した。
朝、教室に山崎がいるのが見えた。あえて新聞部室に逃げた。
昼、教室まで柚希が来た。チャイムが鳴るまで中庭で時間を潰した。
放課後、周吾郎は逃げることを諦めた。
「どうして逃げるような真似をしたんだ橘くん! 私は悲しいぞ!」
「だから、元々放課後に時間をとってお話しするって言ったじゃないですか……」
それでも山崎はぶーぶー文句を言った。
当日の役割として、山崎には得意の情報網を活かして『鶴麗にある美術品はほとんどが贋作にすり替えられているらしい』という噂を各所で広めてもらっていた。警察と鶴見市が隠蔽することを懸念したわけではないが、噂が広まるのは早いほうがいい。
結果として美術館は偽物だらけという認識が一挙に広まり、鶴見市の責任問題にまで膨れ上がっていた。周吾郎の考えたささやかな『助け』だったが、予想外の規模に驚きを隠せない。文太までもが悩ましげに頭を抱えている。
「大事になりそうな気配はあるが、なにか対策は打ってあるのか……?」
「対策もなにも、僕は一切関与していないことになってると思うよ。首謀者はあくまで小日向倫也だ。彼が無政府芸術協会の一員であることが明らかになれば、世間の興味はそちらに向くだろう」
「となれば、一部の興味は『誰が小日向倫也を特定したか』というところにも向く」
「まさしく! というわけで我が新聞部は、こういうものを作ってみたよ」
山崎が取り出したのは『湊新報』最新号のゲラ刷りだった。
一見、なんの変哲もない校内新聞のように見えたが、何気なく向けたコラムの題字を見て、周吾郎は青ざめた。
その名も『湊川の快男児、贋作事件を解決へと導く』。読み進めるまでもなく、美術館に関するイロハが事細かに考察されていた。事もあろうに快男児は謎深き美少年と書かれている。……適当なことを!
周吾郎は思わず引き裂いた。ゲラだから意味ないよと山崎は笑う。
「なんですかこれ! 聞いてないですよ!」
周吾郎の悲鳴を聞いて、椅子にもたれる柚希もくつくつ笑う。
「言ってないからな。それに、提案したのは先輩でも、私でもない」
「はい。このコラムを提案させていただいたのは、他でもない私です!」
春瑚は小さな身体で目一杯胸を張って、誇らしげに鼻息を荒くした。周吾郎はいよいよ口をあんぐり開いて硬直する。
「こ、小日向さん、どうしてこんな」
「あれ、申し上げたじゃないですか。この湊川高校に『学園探偵部』を申請すると!」
もちろん、それは知っていた。
春瑚が決意したことというのは、学校でも推理に専念できるように専用の部活を作ろうという話だ。周吾郎も同意はしていた。
部活動は少なくとも五人が集まらなければ部として成立しないが、ここは廃部寸前である新聞部と話がついていた。文太含め、全員が新聞部と学園探偵部、通称『学偵部』を兼任することで解決へ向かっていたのだ。柚希もめずらしく賛同しているようだった。
「私は春瑚のことが気に入った。豪胆なのはいいことだ。それに、周吾郎の弱みを握るというのも悪い気分ではない。このコラム、早くも一部では噂になっているらしいからな」
「ええっ、だってまだゲラじゃないか」
「甘いね。噂話の総合商社とはこの山崎夏実のことだよ」
「あ、先輩、最後の最後でやっと名前出ましたね。このまま名前不詳で終わるものかと」
「なんの話?」
「とにかく!」
声高に春瑚が宣言する。
「これより新聞部は、新聞部兼学園探偵部として、新たなスタートを切ります! 最高の船出には、最高の引き出物が必要です! ということで、お祝いのお菓子を持ってきました! 実は朝から冷蔵庫のなかに入れてあります!」
「おっ、気が利くねえ春瑚ちゃん。食べちゃおう食べちゃおう」
石像のように固まったままの周吾郎を尻目に、春瑚は冷蔵庫から大きな化粧箱を取り出した。
「何を持ってきたんだ?」
「なごみロールです! うちでも人気の商品なんですよ」
「小日向軒のなごみロール! しつこくない甘さのクリームとスフレ仕立てふわふわ生地が最高の逸品じゃないか!」
「やけに詳しいな御子柴」
「ゴツいけど甘党だからこの子」
「はーい、それではさっそく……あれ?」
ふと、浮き足立っていた全員の動きが、止まる。我先にと覗き込んだ文太が、眉をひそめて呟く。
「……なごみロールって、たしか全長二十四センチだったような」
「詳しすぎる。だがこれは、半分程しか残ってないように見えるぞ」
「もしかして、誰かが盗み食いを……」
「周吾郎さん、これは事件です! 出番ですよ、周吾郎さん!」
「悪魔みたいに呼ぶでない……はっ」
飛びついた春瑚に揺り起こされ、周吾郎は我に返る。危ないところを助けてもらった。賽の河原で石を上手いこと積み上げるにはどうすればいいか腐心しているところだった。
「なんだ、どうしたの小日向さん。事件? ABC殺人事件ならまだ履修してないよ」
「違いますよ。冷蔵庫に入れておいたなごみロールが、半分ほど消えてしまっているんです。これは間違いなく事件です、謎に満ち満ちています」
「ふむ?……」
話を聞くに、事件解決祝いとして、春瑚は実家である小日向軒のなごみロールを朝から新聞部室の冷蔵庫に入れていたとのこと。山崎の喜びようを見るに、新聞部員も存在に気付いていなかったらしい。
冷蔵庫には他に何も入っていなかったから、使用すること自体が稀なのだろう。今日はたまたま部室に鍵をかけていなかったとのことで、侵入者の特定は難しい。昼休みなんて部員は誰もいないだろうから、格好の標的になり得る。
が、答えは見えていた。周吾郎は余裕たっぷりに椅子の背にもたれる。
「大丈夫だよ小日向さん。僕の見立てどおりなら、犯人は現場に戻ってくる」
「ええっ。どうしてでしょう。はっ、まさかもう半分も食べてしまおうと?」
「どうだろうね。そうかもしれないし、別の目的があったのかもしれない。ただ犯人は意外と用意周到だ。盗み食いしたことがバレないように、細工をしているかもしれない」
「そんな……」
「でも心配ない。この事件は必ず、解決できる。僕が保証しよう」
唇をひと舐めして――今朝方いただいたロールケーキの味を思い出しながら――幾度となく口にしてきたポリシーを、周吾郎は笑顔で復唱する。
「謎は、解けるようにできているからね」
(了)
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