ほうかご探偵奇譚① -ふたりきりの約束-
【旧】鹿田甘太郎
ふたりきりの約束〈The only way to grant a wish〉
一 春来たりなば、謎遠からじ
#01
かのノックスは、著書「探偵小説十戒」にこう記した。
「探偵は、偶然や第六感で事件を解決してはならない」
お説ごもっとも――難解な密室殺人を前に当てずっぽうで犯人捜しをされてはたまらないし、犯人が腐心して作り上げたトリックを解かず、強引に解決へ導くなんてことがあれば興が削がれるに決まっている。そんなものが大衆に向けた娯楽である小説で許されるとはと思えない。そもそも謎というものは、超常現象の連鎖でもない限り、必ず誰かが作為的に編みだしたものだと断言できる。細かな事象がもつれ拗れて、誰かが隠すなりもみ消すなりして、結果的に謎を生む。ならばたとえ複雑に絡み合っていたとしても、すっかりほどいてしまえば答えが出てくるのが筋だろう。そういうわけで、周吾郎が後生抱えるポリシー、もとい座右の銘とも言うべき至言は生まれたのである。
四月の土曜日、朝食の席で周吾郎がそんなことを妹の麻里に話していると、相変わらずといった調子でため息が漏れてきた。
「お兄ちゃんさ。頼むから、高校では変なことしないでよ」
「酷い言われようだね。まるで僕が、中学校を卒業するまでは変ちくりんな蛮行を繰り返してきたキテレツ奇怪な異分子のようじゃないか」
「よくわかってるじゃない。いいから、大人しくしててね」
いかにも失礼だ――と周吾郎は慨嘆した。
麻里は周吾郎の話に耳を傾ける素振りも見せず、ノックスのノの字にも触れず、脇で流れるテレビのお天気キャスターの親父ギャグでナハハと笑っている。同級生にも妹持ちは何人かいたが、自分のそれと比べるといくらか従順だったような記憶があった。兄がお世話になっておりますと慇懃にお辞儀された経験は一度や二度ではない。それは世間の目があるからだろうか。それとも周吾郎と麻里がひとつ違いで、上下関係なんのそので洗練されてきたからだろうか。もしかしたら麻里も、家の外では八方美人に振る舞っているのかもしれない。想像すると少しおかしな気分になった。
いずれにせよ、麻里は周吾郎に対してとびきりおてんばで小生意気だった。そういう意味では、煩わしき麻里の姿を学校で見かける必要がなくなるのは、高校入学における一種の幸福と言えるだろう。
朝食もそこそこに切り上げ、周吾郎は新しい制服に腕を通す。鏡を見るとすこしダブついて見えるが、まだ成長期、そのうちサイズは合うだろう――と呑気に構えた。どちらかというと、アロエの葉さながらに自己主張の激しい寝ぐせのほうが気になった。さすがに今日ぐらいはと、周吾郎は髪もきっちりと整える。それでも手ぐしだった。
出立の準備を終え、玄関でローファー履く段階になって、ようやく父の宗一郎が寝室から這い出してきた。息子を馬鹿にできないレベルで髪がとっ散らかっていて、しわくちゃになったワイシャツで着の身着のままな様子に、今度は周吾郎がため息を吐いた。
「父さん、また徹夜したんだね」
「ああ……おはよう、周吾郎。今日は……ふむ、合格発表の日だったか?」
周吾郎は頷く。宗一郎は肩をなで下ろすと、家用から普段使いの眼鏡にかけ直す。髪も衣服も整っていないものの、表情を引き締めると、すぐに厳かな雰囲気の橘宗一郎が戻ってきた。刻んだ年輪の違いもあるが、顔色ひとつで雰囲気を一変させられるのは、さすがお偉いところの上長といったところだ。
「周吾郎。無事に行けば、お前もこの春から高校生だ」
宗一郎は至って真顔で言う。気が早いなあ――と周吾郎は半ば呆れた。これで息子が不合格でもした日にはどう取り繕うのか楽しみである。宗一郎は更に続けた。
「中学生の時分と違って、これからは責任感を持って生きていく必要がある。意気軒昂なのはいいことだが、とにかく節度を守って、弁えた行動をすることは約束してくれ。あまりに度の過ぎた行動に走ると、今度こそ面倒を見られなくなるからな」
周吾郎は肩をすくめる。
「どうだろう。約束は守りたいけど、高校生活ってのはスリルとサスペンスの連続でね。用意周到にリスクマネジメントを行ったところで、連中のほうから挙って集うかもしれない。合格したあとのことを考えると、今からワクワクがとまらないね。父さんこそ、約束を反故にしないことを願っているよ」
「……それはもちろんだが」
宗一郎の表情が、少し厳しくなる。
「問題は起こさないでくれ。それだけは言っておきたい」
周吾郎も少しだけ、表情を険しくした。
「少し違うね、父さん。問題は起こすんじゃなくて、自然と浮かび上がるものだよ。世の中の事件すべてが故意の殺人事件というわけじゃない。きっとこの世界には意図して起こしたよりも、歯車の噛みが合わなくなって自然に発生する問題のほうが多いだろう。人の思惑、謀略、奸計――もろもろの意思が、多種多様なもの・場所と複雑怪奇に絡み合って、あらゆるズレが連鎖的に積み重なって、初めて問題が表出するものなんだ……」
「……お前の言う、『謎』か」
「まさに。でも大丈夫、安心してよ父さん。高校生活で謎に遭遇したとて、何ら問題はない。父さんが徒に胸騒ぎする必要なんて、これっぽっちもないんだ」
唇をひと舐めして、幾度となく口にしてきたポリシーを復唱する。
「謎は、解けるようにできているからね」
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