#04

「ほう……」

 春瑚は顎をなでながら興味深げに唸った。それ以外の文章はなにも書かれていない。周吾郎は正直な感想をぽつりと呟いた。

「メッセージというよりは、覚え書きみたいですね」

「でしょう?」

 山崎はくすりと笑う。

「まだ四月だけど、卒業文集の制作は長丁場になるから、そろそろ動き出さないといけないのね。それで、過去の湊新報を参考にしてみようと思って読みあさっていたら、たまたま見つけたのよ。別に、バックナンバーが一枚欠けていたからといって気にするほどではないんだけど、せっかく整理もはじめてたところだからね……」

「まあ、情報が欠けているというのは、茅島が許さないでしょう」

 周吾郎がごく自然に出した名前に、山崎はまた驚いた素振りを見せたが、すでに周吾郎の意識はすり替えられたメッセージ――もとい覚え書きに向いていた。春瑚もじっと顔を寄せて、あどけない童顔を精一杯しかめて、もう一度低い声で唸った。

「書いてある文面をそのまま受け取れば、シタという方がキヨシという女性に謝辞を述べているだけのように見えます」

「そうだね。それ以外の読み方は、ちょっと考えにくい」

「でも、キヨシなんて名前の女性なんて、いるとは思えないけど」

「どうでしょう。名前じゃなくても苗字なら、たとえばほら、ツリーの木に良いと書いて、『木良』なんて苗字がありそうじゃないですか。存在するかわかりませんが」

「うーん、なるほどねえ……」

 山崎は一度は納得しかけたが、すぐに悩ましげな渋面に戻った。

「名前はそれで片付くとしても、そこから先がまた難題なのよね。キヨシに感謝する、彼女がいなければ自由は得られなかったかもしれなかった――っていうのは、もちろんキヨシさんに向けた感謝の言葉なんだろうけど、何に対する感謝なのか、その結果得られた自由ってのもなんのことなのか、さっぱり」

「たしかに、そうですね」

 言いながら、周吾郎は静かに目を伏せていた。

 バインダーに収められた、感謝の言葉が記された一枚のメモ。頭の中で文章を単語ごとに紐解いて、それぞれをじっくり吟味していくことこそがメッセージ解読の最短ルートになる。そう考えて周吾郎はにわかに黙り込んだが、機微を察知した春瑚が周吾郎の顔を覗き込んだ。

「周吾郎さん、なにかわかったんですか?」

「え?……」

 春瑚と目が合って、周吾郎は少し慌てた。存外春瑚の顔が近かったのもあったが、考えごとをしているときに声をかけると意外と驚いてしまうものだ。おかげで考えも吹き飛んでしまった。

 取り繕うように咳払いして、そうだね――と言葉を選んだ後に、周吾郎は切り出した。顔が少し熱かった。

「先輩。先輩が同じ立場なら、どうします?」

「同じ……立場?」

 周吾郎は頷いて、続ける。

「このシタさんのように、どうしても感謝の意を伝えたい人がいたとして、しかし直接は難しいからメモ書きで伝えることになるとして、どうするでしょうか」

「どうするって……」

 質問を予測していなかったか、山崎は言葉に詰まる。

「メモを残すしかないと思うけど……」

「ああ、質問が良くなかったですね。ではこれならどうでしょう。感謝したい人がいたとして、直接ではなく文章でその思いを伝えるのなら」

 山崎はまた考え込んだが、今度は答えが早かった。

「文章で、という縛りがあるのなら、手紙かメールかしら」

「そう。それですよ。文章で感謝の思いを伝えたいと思うなら、普通の頭なら手紙なりメールなりをしたためて送るはずです。そうしなきゃ思いが届くはずもない。しかし今回発見されたメッセージは、湊新報のバックナンバーが綴じられているバインダーのなかに残されていた。誰かに宛てたわけでも、どこかに貼り出されたわけでもありません。あまつさえ人目を避けようとしているように思えます」

「ということは」

 周吾郎の言葉を、春瑚が引き継いだ。

「シタさんは、このメッセージをんでしょうか」

「可能性はあるね。でも、隠しておきたいメッセージなら、書いてすぐに破り捨ててしまえばいい。人気のアーティストにもそんな人がいると聞いたし、記憶が確かならフランツ・カフカもそうだった。後世で誰かに読まれて困るものを、むざむざ残すことはないと思う。ことに新聞部のバックナンバーがあるべき場所に残されていたとなれば、たまたま入ってしまったと考えるのも難しい。なにせ、新聞と一緒に入っているのではなく、新聞の代わりに入っているからね」

「そっか。となると……」

 山崎は光明が差したといった明るい顔になった。

「シタは、何かしらの意図があって、このメモと湊新報を入れ替えたのね」

「はい、そこがキーになると思います」

 周吾郎は興奮気味に言った。

「事の経緯はこうです。シタとキヨシという生徒――いやもしかしたら教師かもしれませんが、とにかく二人の人物がいて、シタはキヨシに感謝していた。自由を得られたのだから、キヨシのおかげでシタは何かから解放されたのでしょう。ただ直接伝えるには憚られる理由があったから、わざわざ湊新報と差し替える形でこのメッセージを残し、謝辞を述べるに至った。……こまかな違いはあるかもしれませんが、筋書きはそんなところでしょう」

「いやはや、参ったよ。お見事!」

 山崎はしきりに頷いて、メモと周吾郎とを交互に見た。

「まさかちょっとメモを読んだだけで、ここまで紐解いてみせるとは。名簿のときといい、橘くんには推理の才覚みたいなものが備わっているのかもしれないね」

「はは……下手の横好きですよ、たまたまです」

 言葉に嘘偽りはなかった。メッセージを見て純粋に思ったことをただ口にしただけで、まだ推理をしたつもりはほとんどない。それでも山崎は上機嫌で笑った。

「こうなると、茅島が戻ってきたら思いのほか簡単に解けてしまうかもしれないね」

「ああ、そういえば姿を見ませんが、茅島はどこへ?」

「学生名鑑を確認してもらっていたのよ。湊新報が発行されるようになってからの部員の名前をリストアップして、誰が誰に向けたメッセージなのか調べてみようと思ってね。でもよく考えたら、入れ替えられた湊新報と同じ年に在籍していた人だけでも良かったかも」

「ですね。まあ、卒業生が忍ばせた可能性もゼロではないですし、情報は多いに越したことはないでしょう」

 山崎をフォローするための適当な言葉だったが――奇しくもそれを耳にしたのは、周吾郎の台詞が適当な言葉だと知り得る人物だった。

 だから言う。


「――――甘いな、周吾郎」


 聞き慣れた声に、周吾郎は肩を震わせた。新聞部の入り口のほうを見ると、小脇に学生鞄を抱えた女子生徒が、周吾郎に鋭い視線を向けている。

「情報収集において量はもちろん大切だが、本当に目を向けるべきはだ。正確でない情報が多数集まったところで役に立たなければ価値はない。それどころか混乱を招く危険性すらある。だから私は、必要と感じた情報だけを集める。きみも同じだろう、橘周吾郎」

 茶色の髪を短く切りそろえ、校内でも紺色のワークキャップを欠かさない姿はボーイッシュさながらだ。周吾郎はしばらく呆然としていたが、やがて心から嬉しげな笑みを浮かべると右手を力なく振ってみせた。

「やあ茅島。しばらくぶりだね」

「そうでもないがな」

 女子生徒――茅島柚希は、にこりともせず、厳しい表情のまま、試すような視線を周吾郎に向け続けていた。

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