#02
「当たりです」
周吾郎は微笑んで、慣れた手つきで文字を入力する。『むとうみゆ』。
「名前が鍵を握っているということは、つまり小日向倫也と関係が深かった人物――武藤美優の名前を入力すればいいのだと、僕は考えました。結論はこれです」
スペースキーを押下すると、本来なら『武藤美優』ないし同音異義の文字列が表示されるところに、奇妙な文字列が現れた。
『6103U』
「……当て字か」
「いかにも。美優さんの名前をそのまま数字とアルファベットに適応させているだけだ。これだけならなんのこっちゃだけど、幸い彼はこの文字列が指し示すものを提示してくれていた。実行日だ」
「6103と、U、ですか……」
春瑚が顎に手を当てて唸る。
「六十一月なんて滅茶苦茶な月はありませんから、六月一〇日でしょうか」
「となるとその後ろの『3』は時間だろうな。六月一〇日の三時ってことになる。……今日が六月九日だから、六月一〇日はもちろん明日だな」
「でも、これだと残った『U』の説明がつかないわ」
山崎がディスプレイを指さす。
「入力ミスじゃないし、後ろに付随しているからには『U』にも何らかの意味があるわよね」
「そのとおり。『U』に関しては時間に関わる英単語じゃないかと推測しています」
周吾郎は椅子にもたれる。英語には明るくなかったが、小日向倫也がわざとらしく難解な単語を使用するとは思っていなかった。
「Under、Until……他にもいろいろあると思いますが、いずれにせよ明日、六月一〇日の三時もしくは十五時を指していると考えていいと思います。可能性が高いのは、おそらく十五時」
「妙に断定的だな。根拠はあるのか」
周吾郎は肯いた。
「小日向倫也という人物の素性と、美術館という場所を考えれば、なんとなくね。もちろん当日は午前三時のセンでも問題ないように動いてみるつもりさ」
「そういえば、手紙には場所についても書かれてあったんだよな」
文太は、机に置かれてある手紙を取り上げた。
「場所は小日向さんのよく知っている場所で、わからない場合はじっと考えるといい。ひとりきりの夜の部屋でクイズの答えでも考えながら、とあるが……これがどうして美術館に?」
「あ……そちらに関しては、私が説明します」
周囲の視線が集まる。春瑚は一瞬肩をふるわせたが、一度口元をきゅっと引き締めると、しっかりとした口調で話しはじめた。
「場所のヒントは情報が少ないですが、これは本当に私にしかわからないものでした。……そうですね、たとえば山崎先輩は、少し前まで、鶴見市にもうひとつ大きなデパートがあったのを覚えてますでしょうか」
「ええ。老舗の百貨店だけど、老朽化で取り壊されちゃったのよね」
「私は幼い頃から、そのデパートによく遊びに行っていました。両親や兄も一緒です。私も兄も物欲は薄いほうだったので、買い物というより冒険感覚でいろんなフロアを駆け巡っていました。
それで、その日も兄とデパートでかくれんぼをしていました。私は隠れるのが苦手でしたから……できるだけ見つからない場所がいいと、最上階の屋上を選んだんです。ここなら大丈夫だろうって思っていたら、扉のほうからガチャンって音が聞こえて。嫌な気がしてドアノブを捻ってみたんですが、開かなくなっていたんです」
話す春瑚の表情は嬉しそうにも、悲しそうにも見えた。
「ドアを叩いても誰も来てくれなくて、鍵を開けることもできなくて、私は泣き腫らしました。閉店時間も近づいていて、空も真っ暗になって、どうしようもなく不安になってたときに、扉の向こうから声が聞こえたんです。私を探し続けていた兄の声でした。心の底から安心して、私は思いきり泣いてしまいました。兄は、店員さんが鍵を取りに行ってくれているからもう少しの辛抱だ――と励ましてくれました。
それでも私が泣き止まなかったものですから、兄は思いついたように、私にクイズを出しはじめたんです。
逆さになったら軽くなる動物はなにかとか、宮城県に隠れている動物はなにかとか……とても簡単ななぞなぞばかりだったんですが、一人で暗闇に取り残されている私を案じて、兄がクイズを出して不安を和らげてくれたことがとても嬉しくて。以来、不安なことがあると、私は決まって兄にクイズをせがんだんです」
「それがやがて、小日向さんの推理好きにつながったというわけだね」
春瑚は肯く。
「本当にちょっとしたことですが、思い出深い場所でした。それだけに取り壊しが決まったときは少し悲しい気分になったんです」
「うちの妹もそうだったよ。デパートの跡地に新しい建物ができると聞いて期待を膨らませていたけど、もっと大きな百貨店ができると思ってたのに、って頬を膨らませていた」
「ああ、なるほど」
山崎は膝を打って、納得した表情を見せた。
「思い出のデパートの跡地にできるのは、鶴見市立美術館。手紙には『よく知っていた場所』とあるから、実行場所がかつてのデパートがあった美術館になるということね」
「はい。美術館がマウスができるのは知っていましたが……開館日が明日、六月一〇日であるというのも、偶然ではないと思います」
「日時と場所については、大方の見当はついた。だが、」
柚希は睨むように周吾郎を見やる。
「肝心の目的が明らかになっていない。小日向倫也は、明日の三時ないし十五時に、美術館で何をするつもりなのか。そこの推理は進んでいるのか、周吾郎」
今度は周吾郎に注目が集まる。どうしたものか――周吾郎は足を組み、さながら探偵ライクに顎の辺りを揉んで、徐に口を開く。
「推測はしている。結果のね。手段については、予想できても結論は出せない。ただ、事によっては被害者が出る可能性もあると踏んでいる」
「ちょっと待て周吾郎、被害ってまさか」
「断定はできない」
続きを言おうとする文太を、周吾郎は手のひらで制する。
「不安がらせるようだけど、こういうことはあらかじめ考慮しておかないと緊急事態に対応できないかもしれないからね。もしも小日向倫也の思想が苛烈なものであれば、警察や消防のお世話になることもあるだろう」
だからこそ、今度は間違った選択はできない。美優の話を聞いたときに感じた悪寒を周吾郎はまだ覚えていた。
「茅島。小日向倫也と関わりがあった武藤美優は、描き上げた絵をどうしていたか知っているかい?」
「いや」
「……彼女は、燃やしていたんだ。絵をね」
怪談の語り口のように、周吾郎の声が平板になる。
「もしもだよ。小日向倫也が武藤美優の死を悼んで、彼女と同じことをしようとしているのなら――――」
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