#06

「で、なにかわかったのか」

 翌日の放課後、新聞部を訪ねる前にやってきたのは、柚希のほうだった。

 窓の外では野球部がイッチニーイッチニーと大声でウォームアップをしている。美術部はちょうど写生に向かうところらしい。窓枠にもたれて、ああいう活動こそが学生の本分なんだろうか――と物思いにふけっていたところに水を差されたものだから、周吾郎は鼻白む思いになった。口調も皮肉げになる。

「新聞部のホープこと茅島様が、いったいなんの御用でございましょうか」

「抜かせ。昨日の書き置きの件に決まっているだろう」

 柚希は強引に話を進める。

「あれから話したのだが、ことに昨日の一件に関して山崎先輩は非常に興味を持っているようでな。他の妙案もないことから、面白いネタであれば来月の湊新報で取り扱おうという結論になった。執筆に際して嘘偽りを書くわけにはいかん。さしあたっては少しでも正確な情報を得るべく、お前を訪ねたというわけだ」

「それにしても今日はいい天気だね。これだけ春の陽気に満たされていると、春眠暁を覚えずってのも無理ないね」

「聞いているのか、周吾郎」

「……あの茅島柚希が、まさか橘周吾郎に推理をさせる、など」

 周吾郎は椅子を傾けた。ぎし、と椅子の鳴く音がする。

「滑稽な絵面だね。立場が逆転するとはこういうことを言うのかな」

「同じ歳で立場が上も下もないだろう。推理に際して、誰の意思が介在するかだ」

「ごもっとも。それじゃ、ぼちぼちはじめるとしようか。寄りたいとこもあるし」

 興味なさげに椅子を揺らす周吾郎の顔を、柚希が覗き込んだ。目が合って椅子が止まる。柚希の射るような視線を感じて、周吾郎は笑ってみせた。

「どうしたい、茅島」

「……謎を解き終わったあと、お前が気乗りしない表情を見せるのは知っている」

「そりゃどうも。性分でね」

「だが、いまの表情はそれとは違うものに感じる。そういうときは決まって、事件の真相が後味の悪いものであることも、私は知っている」

 周吾郎は、無理矢理に浮かべた笑みが消えていくのを感じた。柚希が言葉を紡ぐ。

「洗いざらいとは言わん。謎の怪文書について、教えてはくれないか」

 怪文書。荘厳な響きに周吾郎はなんだかおかしくなって、今度こそ心の底から笑った。柚希はいたって真面目な様子で眉をひそめている。

「なんだ、なにがおかしい」

「ああいや、なんでもないよ、気にしないでくれ」

 ひとしきり笑ってから、周吾郎は言った。

「それにしても意外だね。茅島のほうから事件の真相を知りたいだなんて言い出すとは。もしかしてタイプライターの肩書きを消して謎解きの道に踏み込むつもりになったかい? 僕は歓迎だよ」

「だから、私は記事を書くための情報をだな……」

「ああ、それに関してひとつだけ」

 周吾郎は柚希の言葉を遮る。

「記事を書くことについて僕は反対しないけど、きみが許すかどうかは知らないな」



     ***


 周吾郎と柚希は新聞部に向かうと、山崎は待ちわびた様子で、二人の姿を見るやいなやすくっと立ち上がった。今すぐにでも快哉を叫び出しそうな勢いだ

「聞かせてもらおうか、橘くんの推理を!」

 第一声がそれだった。周吾郎がうんともすんとも言わないうちに山崎はキョロキョロと何かを探す様子を見せて、周吾郎に尋ねた。

「あのちんちくりんな迷探偵ちゃんはどうしたの? 今日はお休み?」

「ああ、小日向さんなら、人を呼びに行ってもらってます」

「人? あ、もしかしてその人が犯人だってこと!? それとも重要参考人……」

「まあまあ、一旦落ち着きましょう」

 興奮が収まらない様子の山崎を椅子に座らせ、周吾郎は部室に備え付けてあるホワイトボードを見た。ふうむ、と考える素振りを見せてから、話しはじめる。

「時に、先輩は言葉遊びが好きですか?」

「言葉? もちろんだよ。だから新聞部にいるみたいなところはある。文芸部とどちらにしようか少し悩んだけどね」

「はは、そんなものなんですかね」

 周吾郎は笑いながら、ホワイトボードにある人物の名前を書く。「升慎太郎」。朝のローカルニュースの目玉アナウンサーで、地元の若者には大人気だ。

「先輩はこの人のことを知ってますか」

「もちろん。さんでしょ。それがどうかしたの?」

「そう。おそらく鶴見の若者に聞けば、ほとんどの人がこの名前を見て『チトさん』と呼びます。さてはて、僕は世情に疎いほうなんですが、どうしてこの人は『チトさん』なんでしょう? だって、名前にチトなんて入ってないじゃないですか」

 周吾郎が言うと、山崎は「本気で言ってるのそれ?」と言わんばかりに目を見開いた。もしかしたら「なぜ今そんな話を?」と言いたかったのかもしれない。いずれにせよ少し訝っていた様子だったが、やがて口を開く。

「どうしてって、そりゃ苗字が『升』だからでしょ。升って文字を縦に真っ二つにすれば、文字通り『』になるんだから」

「その通りです。試すようなことをしてすみません、僕も知ってました」

「あ! 騙したね! 悪いやつだねきみは」

「それで」

 騒ぎ立てる山崎をよそに、柚希が言う。

「この言葉遊びに、何の意味があるんだ」

「大ありだよ。この考え方こそが、新聞部に残されたメッセージを紐解く鍵になる」

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