#04
「まず、厨房の設備について確認しておきたいんですが」
周吾郎は咳払いして続ける。
「普段卵料理を作る際には、どんな方法をとっていたんですか?」
「大きい鍋で一度にたくさん茹でていたよ。一度にたくさんのお客さんが来ることはなかなかないから、いつもそうやって作ってる。何年もね。たとえ追加注文があったところで、ゆで卵を用意するのに大して時間はかからないから、別の方法を試すつもりはなかったんだ。ほら、電子レンジで作れたりするグッズなんかあるだろう? ああいうのも面白いかなと思ったんだけど、ただでさえ狭い厨房をさらに狭くするのもどうかと思ってね」
「だからこそコンロが故障すると困るわけですね」
「もちろんさ。……胸を張って言えることじゃないが」
店長は困った様子で頭を掻いた。
「正直なところ、私はこういうイレギュラーな事態には弱くてね。昔から妻がそういうところをいろいろと切り盛りしてくれていたんだ。いつも助かってるから感謝の限りなんだけど、助けられてばかりはちょっと悔しいから、たまには技を盗んでみたいと思うんだ」
「だけど、秘密は女を女にする、というわけですね」
「まあ、そういうことだね」
鼻を明かしたい気持ちは、わからないこともなかった。周吾郎はカウンターを見やる。ショーケースに収められた見本のミルクレープ。規則正しく並んだコーヒードリッパー。小洒落た革のカルトン。古びた掛け時計。インテリアと化しているハードカバーの洋書。注文メモの切れ端。空になった洋墨入れ。周吾郎は少しだけ考える真似をして、思いついたように言ってみた。
「おふたりは、裏のスペースでコーヒーを飲むことは?」
「ああ、もちろん。お客さんの前ではできないから、バックヤードで休憩時間にね。それがどうかしたかい?」
「であれば、ピースは揃いました」
待ってましたと言わんばかりに春瑚が顔を近づける。
「謎が解けたんですかっっ」
「そう慌てないで。おそらくこの『謎のゆで卵事件』の真相は、謎というよりはちょっとした家庭の知恵みたいなものだろうから」
「家庭の知恵? 一体どういうことだい?」
気付けば店長も、興味津々といった様子で椅子に座り込み、答えを待っていた。他に客がいないからいいものの、そうでなければ公開処刑のようなものだ。
しかし、こうなった以上は推理を話さないわけにはいかない。
もとより推理が合っているかもわからない。春瑚と店長の期待に応えられるかは、周吾郎にはわからない。確信のない推理など簡単に口にするべきではない。ましてや土台の不完全な憶測をもとにものを言うなど、絶対にあってはならないのだ。
じっとりと、いつの間に握り込んだ手に汗がにじむ。
思い出すまいと思うたび、柚希の言葉が脳裡をよぎる。
あの事件以来、自分主導で推理を進めるのが怖くなったか――――
「周吾郎さん」
はっと我に返る。春瑚は待ちわびた様子で周吾郎を見上げていた。
「謎が解けたんですよね。ぜひ、聞かせてください」
周吾郎は口を開きかけて、やめた。
春瑚は事件の解決を期待している。横に座っている店長もそうだ。期待と羨望の入り混じった視線を周吾郎に注いでいる。おそらくその思いに偽りはない。謎解きに苦戦しているふたりは、目の前に居る探偵然とした少年の解法をじっと待っているに違いないのだ。
苦しくて仕方がなかった。汗がこめかみにまで流れてきた。次第に歯の根が合わなくなる。視線が怖くなる。春瑚の柔らかな声が、ガンガンと響いた。
「周吾郎さん、恵さんは一体どんな秘密を」
「僕には!」
遮るように、強く。
「僕にはわからない。ただ……」
周吾郎は立ち上がって、背を向けた。
「バックヤードにもドリッパーがあったのなら、それがヒントになると思います」
推理に対する感嘆や疑問符は、なかった。
知る限りでは。
あったとして、聞く前に周吾郎は走り出していた。
店を飛び出して、薄紫色に染まる窓越しの空に包まれながら、ひた走った。急に駆けだしたものだから、足下がおぼつかなかった。すれ違う人にぶつかりそうになりながら、かすかな呼び声を背に受けながら、周吾郎は無我夢中で逃げ回った。
階段を上り、躓き、足が棒になるのを感じながら、周吾郎の頭のなかでいくつもの声が響き渡った。
『きみの推理はすごい。心からそう思う』
『さすが周ちゃんね。母さんの自慢だわ』
『お兄ちゃんってお父さんよりも刑事向きなんじゃない?』
『ちょっと悔しいが、周吾郎の力は本物だ』
――違う!
『どうして泣くの?』
『今ここで、きみの知っている茅島柚希は死んだ』
『ああ、どうして俺は、俺は』
『自首してください。もう、こんなことはやめましょう』
『……誰だ、お前は』
ああ、そうだ。
僕は橘周吾郎。
鶴見市で生まれ育った、何の変哲もない中学生だ。
中学生だった。
そうだ、僕は――――
『お前なんかに、何がわかる!!』
何の力も持たない、ただの人間だ――。
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