#08
日曜日の昼下がり、小日向倫也の捜索に関する打ち合わせをしたいと相談をすると、春瑚は場所に喫茶シャーロックを指定した。
周吾郎が日曜日にシャーロックへ来るのは初めてのことだったが、相も変わらず人影はまばらだ。この浮世離れした喫茶店が、目抜き通りから細かい道をいくつも入ったところにひっそりと看板を掲げる以上、人気がないのは致し方ない。これでいいのかもしれない――と徒に考えた。ともあれ秘密の会合にはうってつけなのでよしとする。少し早めに到着した周吾郎は全メニュー制覇を目指してアメリカン・コーヒーを嗜んでいた。シャーロックと冠しているが、専門店ということもありアメリカン・コーヒーも味わい深い。懐が深いのはいいことだ。
「すみません、遅れました」
程なくやってきた春瑚は、桜色のブラウスに紺のロングスカートという出で立ちだった。以前から思っていたことだが、有名菓子店の息女ということもあり、春瑚の服装や振る舞いには気品がある。周吾郎はジーンズに適当な白シャツを合わせただけの装いを申し訳なく思ったが、春瑚がココアとショートケーキを持っているのを見てちょっと安心した。
「お待たせしてしまったでしょうか」
「僕に言わせれば、五分は遅れたうちに入らないよ」
それから少し世間話をした。今日も小日向軒は盛況だったのかとか、中間考査に向けた勉強はしているかとか、だんだん夏の気配がしてきたね――とか。午前中の春瑚は店の手伝いをしていたらしい。兄の倫也がいなくなって、それが二度と戻ってこないのであれば、高校卒業とともに春瑚は家業を継がなければならないとのことだ。代々継承される家業は大変だなと考える。
「小日向さんとしては、家を継ぐことには前向きなの?」
「まだなんとも……。伝統を守るためには継ぐ必要があるとは思いますが、如何せん私が不器用なもので、何年と手伝いをしていてもまだ材料を混ぜるくらいのことしか手伝えないんです。父と母がまだ健在なので継ぐとしてもかなり先の話になりますが、このままでは不安が募る一方で……」
「製菓技術は長い年月をかけて身につけるものだろうし、気にする必要はないんじゃないかな。卒業して修行に専念できるようになれば、すぐに上達する予感がするよ」
「ええ……そうかもしれないんですが」
春瑚は頬を赤らめて困ったように笑う。
「どちらかというと、私、食べるほうが好きなので」
その意見は全面的に同意した。
「となると、一刻も早くお兄さんを探し出さなきゃいけないってわけだね」
「はい! それで、周吾郎さんの言っていた打ち合わせというのは……?」
いよいよ本題だ。周吾郎は何も答えずにコーヒーをぐいっと飲み干し、追加でチャイラテを注文した。やってくるまでの数分、頭のなかで整理を進める。春瑚も何も問いかけずに待っていた。到着したチャイラテを一口嚥下すると、周吾郎はようやく切り出した。
「まずはお兄さん――小日向倫也の素性を洗い出すことからはじめようか。お兄さんは謎解きとか謎かけが好きな人で、同時に学業も超優秀だった。高校一年生でアメリカのマサチューセッツだかハーバードだかに留学してしまうくらいだからね。目的は何であろうと、行動力に満ちていたのは確かだ」
「兄が留学していたのは、私も帰ってきてから初めて知りました。何を学んできたのかを訊いても、いたずらっぽく教えてもらえなかったことを覚えてます。父と母も放任主義というか自由奔放な人なので、兄にすべて任せていたのかもしれません」
知らない情報だった。周吾郎はふむと唸る。
「留学の目的は話すまでもないことか、誰も話せないことのどちらかだろうね。帰国から数年後、小日向さんが高校へ入学が決まるかどうかというときに、倫也さんは行方がわからなくなった。奇妙なメッセージが書かれた手紙だけを残して。旅に出たとは言うが、目的と場所まではわかっていない。……今までに得た情報だけでわかるのはこんなところかな」
周吾郎はリュックから文庫サイズのリングノートを取り出した。
「ここから先は、僕が見聞きしたものを含めて導き出していこう」
「……周吾郎さんが?」
「昨日、倫也さんと仲が良かったという同級生――武藤美優さんの住んでいた家を訪ねてきたんだ」
「えっ! い、いつの間に……」
「黙っているつもりはなかったんだけどね。善は急げと言う。なんとなく、早い内に情報を集めたほうが良さそうな気がしたんだ。まあ、一気に解決へ結びつくほどの有力情報はなかったよ」
周吾郎は事のあらましを春瑚に伝えた後、ノートをパラパラとめくる。
「美優さんは倫也さんと同じく湊川高校に通っていた。留学はしていなかったみたいだね。特に大きな事件も起こさないまま高校三年間を無事に終えている。卒業後は公務員試験を受けて、湊川の市役所勤めをしていたということだ。今朝市役所に確認をとってみたけど、間違いなかった」
「日曜日の市役所って、お休みじゃなかったですっけ」
「そうだけど、ちょっと裏技をね。美優さんは市役所を辞めることなく、自殺の前日も普段通りに出勤していたそうだ。ただ、その頃はどこか暗く陰鬱な表情をしていたという証言がとれた。いつから様子がおかしかったまではさすがにわからないけど、市役所に在籍していた間に自殺まで追い込まれるような事件があったのは間違いないだろう」
「自殺……ですか」
春瑚は少しだけ目をつぶると、すぐに顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「若くして自殺に追い込まれるような事件となると……そう生易しいものではなさそうですね」
「借金はなかったようだから、金銭トラブルの可能性は低いと見ていい。職場の人間関係も至って良好だったようだ。お金も人間関係も問題なしということは、あとは何が人を追い詰め、死を選ぶまでに衰弱させてしまうのか。小日向さんはどう思う?」
「そうですね……。死を選んだのではなく、死を選ばざるを得ない状況に置かれてしまった、というのはどうでしょう。具体的な例は今ひとつ思いつきませんが」
「いくらでも考えられると思うよ」
春瑚はわずかにむっとした。周吾郎は気付かずに進める。
「知らない誰かに弱みを握られて脅迫されていた。不治の病に罹ったことが判明して途方に暮れていた。仕事で大きな失敗をして精神的に追い詰められていた。置かれている状況次第ではいろいろなパターンが考えられるだろうね。いくらでもパターンが存在する以上、当てずっぽうで候補を定めるのは合理的じゃない」
「つまり……美優さんが死を選ぶに至ったきかけではなく、深く関わっていたと思われるものを突き止めることが、解決にたどり着くための鍵になるんですね」
「そういうことだ。そして、僕の考える限りでは、美優さんを死に追いやった何かは、このなかにヒントが隠されている」
今度はリュックから美優の携帯電話を取り出した。事情を説明して手渡すと、春瑚も周吾郎と同じようにパスワード入力画面と睨み合う。
「暗号、ですか……」
「携帯電話のパスワードみたいなプライベート情報はさすがに推理が難しい。あまつさえ『あなたは、誰?』というキーワード付きだ。もちろんこれがヒントなんだろうけど、さっぱりわからない。試しにお祖母さんの名前である『Fumie』『Humie』や倫也さんの『Michiya』『Mitiya』なんかを試してみたけどロックは解除できなかった。誰、と訊いている以上は人の名前がパスワードだと思うんだけど、こればっかりはお手上」
「あ、開けましたよ」
「えっ」
周吾郎が画面を覗き込むと、なるほど画面ロックは解除されていて、有名なテーマパークのキャラクターをあしらった背景が映し出されていた。周吾郎は春瑚と携帯を交互に見る。
「……一体、どうやったの?」
「えっと、周吾郎さんが先ほど、呼び名の話をされていたので、それに従って入力してみたんです」
要領を得ない。単刀直入に尋ねることにした。
「パスワードの文字列は、何だったの」
「なんてことないですよ。パスワードは『Micchan』でした。美優さんは、兄のことをそう呼んでいたと話してましたから。『Miccyan』と迷いましたけど」
「ああ……なるほど。鋭いなあ」
文江が言っていた。美優は倫也のことを『みっちゃん』と呼んでいたのだと。もし入力画面の『あなた』が小日向倫也のことを指していたのなら――美優が倫也だけに見てほしいと願っていたのであれば、ふたりの間でしか通じない言葉を使うに違いない。専用の呼び名があったのならうってつけだろう。
「僕じゃ思いつきもしなかったよ。でも、おかげではっきりした」
周吾郎は表情を真剣なものにする。
「美優さんは、この携帯電話の中身を倫也さんに見てほしかったんだ。じゃないと倫也さんにしかわからないパスワードなんて設定しない。倫也さんに助けを求めていたか、それともふたりだけの秘密が隠されているのか」
「いずれにせよ、覗くには少し勇気が要りますね」
春瑚は唾を飲んで、すう、はあと呼吸をしてから、携帯の操作をはじめた。ホーム画面には新着メールの表示がある。春瑚はほぼ反射的にメールボタンを押して、受信ボックスの中身を確認していく。
「携帯会社の新サービスのお知らせ、ゲームの勧誘……美優さんには関係のなさそうなものばかりですね」
「メールアドレスの登録が必要なサイト、ゲームを遊んでいたらこうなるのは仕方がない。僕も一時期は迷惑メールだらけだったよ」
「そうなんですか? こういうものはあまり……」
そして、
「……周吾郎さん、これは何でしょう」
溜まっているメールを数件ほど読んだところで、春瑚が不思議そうに呟く。周吾郎はメールの送り主の名前を見て、静かに眉根を寄せた。
「これは――――」
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