幕間 原作は進む

「――ナッグ・シャント二等竜騎士、報告書は読んだよ。よくまとまっていた」


 机の上に広げられた王国全土の地図を前に、王国竜騎兵隊の顧問官はナッグ・シャントの労をねぎらった。


「さて、手短にいこう。古文書に記された邪竜に復活の兆しがあり、それに空地教会枢機卿エメデン氏が深く関与している疑いについて、異論を挟む者はいないだろう。だが、状況証拠ばかりで決め手に欠けるのも事実だ」


 顧問官は腕を組み、ナッグ・シャントとその傍らのファーラを見る。

しばらくの間を挟んだのは新たな事実が上がっているならば話せという意思表示だったのだろうが、ナッグ・シャントたちは提示できる証拠を得てはいなかった。

 隣で苛立たしそうにしているファーラの袖を引いて落ち着かせてから、ナッグ・シャントは口を開いた。


「申し訳ありません。しかしながら、もはや物的証拠を押さえる時間的猶予はないと愚考します」

「例の赤い光の柱事件といい、各地の魔力異常といい、ナッグ・シャント二等竜騎士のいう通りだろう。だが、国家としては証拠もなしに空地教会の枢機卿を指名手配できない。わかるね?」

「はい。しかしながら、任意での同行を求めるに足る証拠は集まっているとも思っております」


 ナッグ・シャントの答えに顧問官は深く頷いた。


「まったくもってその通り。だが、エメデン枢機卿の現在の居場所は知っているかね?」

「我々は各地を飛んでいましたので正確な位置までは把握しておりません。公開されている予定では、王都に戻っているはずではありませんか?」

「ところが、戻ってきていないんだ」


 顧問官は憎々しそうにそういって、地図上の一点、サッガン山脈を指さした。


「エメデン枢機卿はこのサッガン山脈付近に滞在しているらしい」

「……魔力異常の規模が他と比較にならないと聞いていますが、エメデン枢機卿は無事なんですか?」


 サッガン山脈周辺は赤い光の柱事件以降、顕著に魔力濃度が上昇し続け、今や魔物の大発生を招いている。

 山脈周辺の森でも強力な魔物が観測され始めており、王国竜騎兵隊の派遣も検討されているほどの危険地帯と化していた。


「傭兵でも雇ったのだろう。ドラク家が滅び宙に浮いたドラク家竜騎兵隊の一部が傭兵になったとも聞く。プライドの高い彼らでも枢機卿が雇い主なら否とは言うまい」


 サッガン山脈周辺の地形を知っているドラク家の竜騎兵を雇ったのなら、それなりの安全は確保できる。

 あり得ない話ではないな、とナッグ・シャントが思ったのと同時にファーラが不機嫌に呟いた。


「アウルがいれば、おさえこめたのに……」


 ドラク家唯一の生き残りであるアウルがいれば、竜騎兵隊が傭兵となることもなかったと言いたいらしい。

 もっとも、ドラク家で疎まれていたアウルが当主となっても竜騎兵隊は離反しただろう。

 顧問官が椅子に腰を下ろした。


「ナッグ・シャント二等竜騎士、君たちの隊にはエメデン枢機卿の身柄確保を命じる」

「お言葉ですが、サッガン山脈周辺の状況をかんがみるに、我々三騎では難しいと言わざるを得ません」

「だろうな。そこで、私のほうから陛下に掛け合い、ドライガー家の竜騎兵隊を援軍として出してもらえるように要請する」


 ドライガー家の竜騎兵隊が援軍として出てきてくれるのならば確かに心強い。

 規模も練度も王国随一を誇る竜騎兵の集団なのだから。

 しかし、ファーラは気に入らない様子で「ふん」と鼻を鳴らした。ナッグ・シャントにとってもあまり嬉しい話ではない。

 顧問官はナッグ・シャントたちの反応に苦笑した。


「確かに、ドライガー家当主バステーガ・ドライガーは野心にあふれる男だ。陛下からの要請と言えど、何らかの交換条件を出してくると思うが、ナッグ・シャント二等竜騎士には関わりのないことだよ」


 そうではない、と言いたいところだったが、個人的な理由であるためナッグ・シャントは無言で返した。

 顧問官はナッグ・シャントたちに地図の一点、サッガン山脈にほど近いサドーフ海の港町を指さした。


「君たちには先に現地へ赴き、状況を確認してもらいたい。可能ならばエメデン枢機卿の身柄を確保してほしいところだが、無理をせず次の指示を待て。そう時間はかからんだろう」

「了解しました」


 ナッグ・シャントは敬礼し、ファーラとともに部屋を辞す。

 廊下を歩きながら礼服の襟を緩めたナッグ・シャントの腕をつかんだファーラがサドーフ海の方角を指さした。


「さっさと行くわよ。アウルの奴をとっ捕まえて絶対に話を聞いてやるんだから!」

「もうあの港町にはいないと思うな」

「痕跡くらいはあるかもしれないでしょう。万が一ってこともあるんだし」

「アウルが魔力異常にかかわっているかはかなり微妙だと思うけど?」

「だとしても、逃げることはないでしょ!」


 ぷんすか怒っているファーラに苦笑する。

 力になると約束して別れたというのに一切の音沙汰がない事について、ファーラは文句の一つも言いたいらしい。


「ドラク家の次期当主を撃墜したって話もあるから、会いにくいんじゃないかな?」

「そんなもの、空中で先に攻撃を仕掛けたあのタムイズって奴が悪いって証言からわかってるじゃない。空中で攻撃を仕掛けられたら自衛のために撃墜しても正当防衛が成立するもの。アウルがあの時に逃げたのは別の理由よ。それを話もしないなんて――むぅ!」


 暴れだしそうになったファーラの口を押えて黙らせ、ナッグ・シャントは廊下の奥から歩いてくる人物を確認する。


「――逃がしちまったのは悪かったって。向こうのほうが一枚上手だったんだよ」


 ファーラとの会話が聞こえていたのか、歩いてきた人物の一人エレフィスが「勘弁してくれ」と両手を広げた。

 ぐるると唸るファーラとエレフィスの間にオッドアイの少女が割って入る。エレフィスの相竜ミトリだ。


「旦那様は悪くない。地形情報で相手の方が上だった」


 淡々とした話し方のミトリだが、多少の悔しさはあるらしくやや苦い顔をしている。

 ナッグ・シャントは軽く笑って歩き出した。


「それはそうさ。アウルはとんでもなく強いからね」

「そうよ、アウルは強いわよ。ナッグと私の方が強いけどね!」

「――その強いアウルとやらが、ドラク家の竜騎兵隊十騎と交戦、これを壊滅させたそうだ」


 割って入ってきた声に驚いて目を向ける。

 廊下の横、中庭の植木のそばにいつの間にか男装の麗人が立っていた。その傍らには執事服に身を包んだ男性が控えている。

 ナッグ・シャントは眉を寄せて男装の麗人に声をかける。


「ネレイン、今の話は?」

「クラガが情報を集めてきた」


 ネレインが傍らに控える執事服の男に顎をしゃくる。

 執事服の男クラガは優雅に一礼して、ナッグ・シャントたちに説明した。


「数日前、エノス港の沖合でアウル・ドラクに対して主君の仇を討つべく集まったドラク家竜騎兵が十騎、アウル・ドラクと交戦の末に八騎が撃墜されて逃げ帰ったとのこと」


 エレフィスが口笛を鳴らし、ファーラとミトリが息をのんだ。

 単騎で十騎の敵と交戦し、八騎を撃墜する。

 王国竜騎兵隊のエース級であっても同じ戦果を挙げられるのは相手と相当な力量差が必要だ。まして、竜騎兵の名家に連なるドラク家の竜騎兵が相手となれば、まず不可能と考えられる。

 クラガが続ける。


「仇討は禁じられておりますし、アウル・ドラクがドラク家次期当主であったタムイズ・ドラクを撃墜したのは正当防衛によるものですので、逃げ帰ってきた二騎は罪に問われ、身柄を拘束されております。調書が作成されておりましたので複製して持ってきましたが、読むのは後程にいたしましょう。まずは任地へ向かうのが先決かと」


 クラガの言葉にファーラが何かを言いかけたが、ナッグ・シャントが押しとどめた。


「わかった。サドーフの港町に向かう。任務内容については空の上で話そう」



 サドーフ海の港町に宿を取り、報告書を読んだナッグ・シャントたちは沈黙した。

 アウルが発動したらしい同士討ちの魔法は、まさに初見殺しだ。


「どうすんだよ、これ。敵にまわってるなら手が付けられないだろ」


 エレフィスがしかめ面で報告書をバサバサと振る。

 隣に座る相竜のミトリも珍しく困り顔をしている。


「幸い、永続効果はないようですが、対集団戦には非常に効果の高い魔法ですね」

「一人が攻撃を仕掛けている間、他の奴が障壁魔法で防御が妥当な策だと思うが、集団戦の強みである飽和攻撃ができないんじゃなぁ」


 腕を組んで唸るエレフィスの言う通り、アウルの魔法は集団の強みを殺す効果がある。

 統率がとれた集団ならば攻撃せずとも進路をふさぐなどの方策がとれるが、裏を返せば統率がとれていなければドラク家の竜騎兵隊と同じ末路をたどることになる。


「参ったね、これは」


 ネレインが報告書を机に投げて乾いた笑いをこぼす。

 しかし、アウルを知るナッグ・シャントにはもう一つの問題が見えていた。


「進路を塞いでも、アウルさんの乗っているゼロには浮遊魔法の併用発動がある。接触はもちろん、すれ違うだけでも竜騎兵は撃墜されるんだ」

「あの機動力も考えると共倒れを狙った特攻すら躱されて撃墜されるわね!」


 ファーラがなぜが自慢するように言い切った。

 どっちの味方だ、とツッコミを入れたくなる一行だったが、ファーラが空気を読まないのはいつものことだ。

 ネレインの後ろに控えていたクラガが肩をすくめる。


「あまり戦いたくない相手でしょう?」


 同意する一行だったが、エレフィスが話題を変えた。


「まぁ、魔力異常の容疑者ではあっても犯罪者ってわけじゃねぇんだ。放っておいていいだろ。それより、俺たちはここで待機か?」

「あぁ、待機だ。サッガン山脈周辺の魔物についてはこれからギルドで調べてくるけど、みんなは休んでいてくれ」


 ナッグ・シャントが休憩に許可を出すと、エレフィスがあからさまに体の力を抜いてソファにもたれかかった。


「そうさせてもらうぜ。決戦前に英気を養うってことで」

「旦那様、マッサージしますか?」

「頼むわー」


 ミトリがいそいそとエレフィスのマッサージを始めるのを見て、ネレインも立ち上がる。


「我々も部屋で休むとしよう。何かあれば、声をかけてくれ」


 クラガを連れて自分の部屋へと帰っていくネレインを見送って、ナッグ・シャントは少しラフな服装に着替えた。


「俺はギルドに行ってくる。帰りは少し遅くなるかも」

「おう。決戦前だ。やり残したことがあるならついでに片づけておけよ」


 エレフィスが適当な調子で手を振った。

 ファーラを連れて宿を出たナッグ・シャントはその足でギルドに向かう。

 数歩先に走って行ったファーラがギルドの扉を開けて中に飛び込み、すぐさまキョロキョロ周りを見回して肩を落とした。


「いないじゃないの……」

「だから言っただろう」


 ファーラに追いついてその肩に手を置いて慰めたナッグ・シャントはギルドの中を見回す。

 冒険者として活動していた間に何度も足を運んだ場所だ。王国竜騎兵隊に入ってさほど時間が経っていないこともあり、変わったところは見当たらない。

 何人かの顔見知りの冒険者が近づいてくるが、それをかき分けるように受付の職員が歩いてきた。


「ナッグ・シャントさん、お久しぶりです。唐突ですが、ギルドの登録は抹消されていませんよね?」

「え?」


 職員に問われて、ナッグ・シャントは記憶を掘り起こす。


「あぁ、確かに。王国竜騎兵隊の試験に落ちた時のことを考えて抹消せずにそのままでした」


 入隊直後から赤い光の柱事件の調査に駆り出されて忙しかったため、先延ばしにしたままだったのを思い出した。

 職員はほっとしたように数枚の紙を差し出す。


「これは?」

「ナッグ・シャントさんに指名依頼です」

「指名依頼?」


 思わず警戒の色を浮かべてしまったのは、途切れることなく指名依頼を出されていた知り合いの顔を思い浮かべてしまったからだ。


「依頼人は?」

「イオシースという錬金術師です。サドーフ海上に確認された金銀の夫婦蝶を捕獲して持ってきてほしいとのことで――」




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