第二話 この変態!

 大地に走る無数の亀裂をスコープ越しに遠方から眺める。

 ゲームよりも広大なおかげで壮観ですねぇ。絶景かな、絶景かな。


 シダラ温泉郷にほど近い蒼銀の渓谷。二百キロメートルにも及ぶこの大渓谷は複雑に入り組んでいる。崖肌には青みがかった光沢のある銀色が混ざった鉱石ミスリルの鉱床が露出していて、神秘的な輝きを放っている。

 亀裂の位置関係は、ゲームの製作スタッフが買い出し要員を決める際に使ったあみだくじを参照したって噂がまことしやかに流れていたけど、どうなんですかね。


 原作ゲームのストーリー中では序盤から中盤に来ることになるこの渓谷は、その実難易度がかなり高い。出現する魔物は観光地であるシダラ温泉郷がそばにあるのでさほど強くはないのに、入り組んだ地形のせいで操作をミスして崖にぶつかる事故が多発する難所なのだ。

 渓谷の上には分厚い雲があり、王国有数の乱気流渦巻く空。渓谷の中を飛ぶ間は風の影響が全くといっていいほどないのに、ひとたび崖の上に出れば狂風でバランスを崩して事故を起こす。

 そんな難所のせいで、ミスリル鉱床が露出しているのに誰も採掘しようと思わないらしい。まぁ、シダラ温泉郷の源泉はここのミスリルが溶け込んでいるとの事で、不用意に採掘を始めると温泉の方にも影響が出ちゃいますからね。


 ドライガー家に追われていなければ温泉に浸かってのんびり出来るんですけどねぇ。

 観光もしたし、聖銀水をゲットしに行きますか。


 ゼロの高度を落とし、蒼銀の渓谷へと突入する。

 渓谷の平均的な深さは五百メートル。幅は二十メートルが最小幅で、広い所では五十メートル近い。

 戦闘機動を取らない限りは難なく飛べる広さだけど、あいにくとここには魔物が出る。

 チィズと呼ばれる鷹のような魔物で、大きさは翼開長一メートルとさほど大きくはないけれど、赤いくちばしをもち、下嘴に毒腺がある。ドラゴンですら何度もつつかれれば毒状態に陥り、意識が朦朧として魔法の使用がおぼつか無くなる危険な魔物。

 ゼロに毒は効きませんけど!


 崖の巣から出てきたチィズの特攻をバレルロールで躱し、渓谷に沿って飛行する。

 次を右だったはず。

 ゼロの速度を落としつつ、機体を右に傾けて右折。

 死角から飛び込んできたチィズが私の張っている障壁魔法にごっつん。

 良い音がしたね。音楽の才能があるんじゃない? バンド組もうよ。君が楽器ね!

 マップは原作ゲームと変わらないかな。縮尺が違うから所々で混乱するけど。

 アーチ状の岩の下を潜り抜け、緩いS字カーブに差し掛かる。機体を左、右と傾けてカーブを抜け、高度を落とす。

 渓谷が急に浅くなり、高さ五十メートルほどになる。機体のすぐ下で川が水飛沫を上げていて、頭上では強風で雲がかき混ぜられていた。

 そろそろかな。

 背負っていたロア・アウルを構える。


 蒼銀の渓谷の最奥にはボスがいる。ミスリルと同じ色をしたワイバーン変異種だ。

 魔法を連発してくる上に凶器のような切れ味の翼を持つ。このワイバーン変異種は通常のワイバーンと異なり異様に翼が頑丈で、渓谷の岸壁に翼が当たっても平気で飛ぶことができる。

 幸い、体力はさほど多くないので初心者でもドッグファイトで倒せるボスだけど、場所が渓谷ということもあって選択できる回避機動が限られ、否応なくプレイヤースキルが上がる鬼畜仕様。

 まぁ、浮遊魔法を併用できるゼロにとっては大して難しくない相手なんですけど。

 原作収束があるからきっと討伐できないんでしょうね。


 覚悟を決めて、ゼロの速度を調整。渓谷の下を流れる川すれすれの低空飛行に切り替えて、障壁魔法を頭上に展開する。

 渓谷の奥に開けた空間が見えてくる。

 左右の岸壁が幅を狭めて圧迫感が増したのはほんの一瞬、すぐにミスリル鉱床の崖に囲まれた広場に出た。

 ――いた。

 広場上空を青みがかった銀の翼で滑空するワイバーンの影。

 その姿を発見すると同時に、蒼銀の弾丸が無数に降ってくる。障壁魔法が瞬時に穴だらけになり、防ぎきれなかった弾丸がゼロの翼をへこませた。

 ワイバーン変異種の固有魔法ミスリルバレット。数は多いけれど一発の威力はそれほど高くない。


 ゼロの機首を上げてワイバーン変異種の背後に付く。

 ロア・アウルが火を噴くも、ワイバーン変異種は右下へ急降下して銃弾を避けた。

 ワイバーン変異種の猛禽のような鋭い目と視線が交差する。

 右回りに旋回する変異種を追いかけてゼロを右に傾ける。

 この広場はドラゴンにとっては狭い空間で、原作ゲームでは早々に広場から渓谷へと変異種をおびき出すのがセオリーだった。

 ドラゴンよりも旋回性能の高いゼロならこの広場でも戦えるけれど、原作収束の問題でこの変異種を討伐するのは不可能。


 私はちらりと広場の奥にある小さな池を見る。銀色の蓮の花が咲いているその池が、聖銀水の湧く泉。

 のんびり採取させてくれたりは……しないですよねぇ。

 ふいに変異種が右旋回を止めて上昇した。空中宙返りでゼロの背後を取るつもりらしい。

 ワイバーンの癖に背面飛行を嫌がらないとは生意気な。


 変異種に追従してループ軌道に入る。

 私が即座に機動を合わせたため、変異種はゼロの背後を取れずにループ終端に達する。

 また右旋回でも始まるかと思えば、変異種は再び頭を空へと向けてループ軌道に入った。

 まさかの二周目!?

 仕方なく私も続けざまの二週目に入る。


 ……待って。三周目はやめて。ちょっ――まじですかぁ。

 同じところを観覧車みたいにぐるぐる回る。

 やばい。この流れはまずい。

 ループ軌道に入ってしまうと遠心力でゼロの機体下部へと力がかかる。私はゼロに座っているため、脚方向に引っ張られてしまう。

 この速度でぐるぐる回っていると、血が足へと引っ張られて頭に血が回らなくなる。


 五周目のループ軌道に入った時、視界に違和感を覚えた。

 視界が端から塗りつぶされるように黒くなる。

 ――ブラックアウトだ、これ。

 ゲームではこんな症状なかったのに!

 ループを中断、円の頂点でゼロの機首を地面と平行に保ち、背面飛行状態を解除するために右翼を空へと向けてゆっくりとゼロの姿勢を戻す。意図せずインメルマンターンをする形になったけれど、危険なループの連鎖からは脱した。


 頭がくらくらする。ちょっと吐きそう。視界が狭い。太陽光で鈍く光っているはずのミスリル鉱床の輝きがぼんやりしていて普通の崖肌と区別がつかない。

 背後を取り合っている格闘戦でこの症状は致命的だ。

 ゼロを左右に振って蛇行する事で狙いを付けさせないようにしつつ、広場の外周を回る。


 というか、変異種はどこに行きました?

 あぁもう、頭が働かない。

 思考が鈍すぎて、背後を振り返っている間に崖へと突っ込んでしまいそうだから怖くて振り返れない。

 視界が戻ってきている今になっても変異種の姿が見えないって事は、背後についてるでしょ、絶対。


 ……何で撃って来ないんですかね?

 変異種の魔法は散弾のようにミスリルバレットをばら撒く。下手な鉄砲数打ちゃ当たるの精神で乱射してきてもおかしくはない。

 ブラックアウトで気絶しないで済んだことに感謝しつつ、頭に血が巡ってきたところで背後を振り返る。


 ――めっちゃついて来てるぅ!?

 凄いぴったりくっついてる。射程範囲じゃん。なんで私撃たれてないの!?

 一応後ろに障壁魔法を張ってはいたけど、あんな至近距離で撃ち込まれたら確実に何発かは障壁を抜けて来てた。

 命拾いしたのは素直に喜ぶけど、何で攻撃してこないんでしょうかね?

 ワイバーンは狩りが苦手だから、獲物をもてあそぶような習性はない。仕留められるときは確実に仕留めようとする。

 私、獲物とは見なされていなかったり?


 ゼロを操作し、左下へと急降下してすぐに浮遊魔法を発動する。急降下直後の急上昇で変異種を振り切り、上昇が間に合わずに先行した変異種の背後へ降下する。

 変異種の背後につくと、変異種はバレルロールで的を絞らせないようにしたかと思うと一転してループ軌道に入った。

 またぐるぐるしたくはないからループには付き合わずに直進する。ループを終えた変異種が私の後ろに付くけれど、やっぱり攻撃を仕掛けてこない。


 ……もしかして、どちらが背後を取るかの遊びだと思ってません?

 なんで出会いがしらにミスリルバレットを撃ち込んだ対象と遊ぶの?

 三回羽ばたいたら忘れちゃう鳥頭なの?

 ははは、完全に舐めてくれてやがりますね。

 ――やったろうじゃん、このやろう!


 ゼロを横転させて右急旋回、からの左急旋回。

 鋭くS字を描くゼロの軌道に旋回性能に劣る変異種は間に合わず、旋回半径が広くなっている。小回りが利くのがゼロの魅力よ。

 ふははは、取ってやったぜ、背後!

 ロア・アウルを背に担ぎ、右手で銃の形を作って変異種に向ける。


 勝った、と思った矢先に変異種が上昇し始める。

 またループですか?

 変異種の後を追って上昇する。別にループに付き合うつもりはない。失速直前まで上昇して垂直下降する空中戦闘機動、ストールターンで変異種を見下ろし、再度背後を取ってやるのです。

 なんて考えていたら、変異種はループ軌道に入らず突然翼の角度を変えて急減速、速度に勝るゼロを先行させて背後を奪ってきた。変異種は完全に失速すると同時に浮遊魔法を発動して姿勢を整える。


 翼が頑丈な変異種でなければ浮遊魔法を発動した瞬間に翼を傷めて墜落するところですよ、それ。お前の飛び方はおかしい!

 でも感じちゃう。仲間意識を感じちゃう。

 変態飛行と呼ばれようともこの機動力こそがロマン!

 大空を自由に駆けると言いながら小回りの利かない大味な飛行物体の多い事、多い事。あなたの自由は半径が広すぎますわ!


 よっし、燃えてきた。背後を奪い返してやるぜ――って降りるんかーい。

 えぇ、遊ぼうよー。ねぇ、遊ぼうよぅ。

 空中で遊べる相手なんていないんですよ。もうちょっとだけ、ね?

 ……あ、だめですね。魔力切れっぽい。


 変異種は地上に降りて聖銀水の泉をがぶ飲みしている。

 ちぇっ、ノッてきてたのになぁ。

 仕方がないので警戒しつつも泉の横にゼロを着陸させる。

 変異種の方には敵意が無く、私をちらりと横目に見ただけだった。

 完全に遊び相手に認定された模様。


 ゼロに積んでいた水筒に聖銀水を汲み、厳重に蓋をする。

 これで蘇生アイテムの素材は集まった。イオちゃんの準備ができているか分からないけれど、一安心だ。

 さて、帰りますかね。

 ゼロに飛び乗った時、泉のそばで休んでいた変異種が顔を上げた。

 遊ぶのはまた今度でお願いします。

 って、私を見たわけじゃないんですね。

 広場の入り口へと顔を向けた変異種が翼を広げ、浮遊魔法で離陸した。

 嫌な予感がして、ゼロを発進させた直後、広場に飛び込んできた影に向けて変異種がミスリルバレットを発動する。

 危なげなくミスリルバレットを障壁魔法で防いで広場を旋回するのは、群青色の竜。


「――何でアウルがここにいるのよ?」


 念話で訊ねてくる群青色の竜ファーラが背に乗るナッグ・シャントと何事か相談した後、再度念話を飛ばしてくる。


「アウル、あんたって赤い光の柱事件の現場を飛んでいたらしいわね? ここでも魔力異常が検出されている事といい、何か関係してない?」


 直接的な関与はしてないです。


「まぁいいわ。あんたの話し方ってまだるっこしいもの。連行するからそこにいなさい」


 連行ときましたかぁ。

 どこに連れて行かれるか分からないけど碌な事にならないよねぇ。少なくとも、ドライガー家は『竜血樹の呪玉』盗難関連で私の証言が出るのを恐れて暗殺しようとしかねない。

 でも、連行されれば原作の収束から逃れられますかね?

 原作ゲームではアウルは逃げ切っていたし。

 いや、拘束されている間にストーリーが進んで、しかも私が原作収束から逃れられなかったら最悪ですよ。

 うん、連行される方がデメリットは大きいね。

 ゼロを広場の出入り口に向ける。

 ナッグ・シャントとファーラがワイバーンの変異種と戦闘を繰り広げているのを見上げて心の中で謝りつつ、私は逃走を選択した。


「――ちょっと、アウル!?」


 ごめーん、私は用事がありまーす。

 変態飛行仲間のワイバーン変異種が足止めしてくれている間に逃げてしまおうとゼロを加速させた時、広場に新たな竜騎兵が入ってきた。

 ナッグ・シャントと同じ王国竜騎兵隊の制服を着たその乗り手の顔は見覚えがある。

 ワイバーン変異種とドッグファイトを演じながら、ファーラが飛び入りの竜騎兵に呼びかける。


「――エレフィス、その娘を追って!」


 ファーラの声を背に、私は広場を出て渓谷へとゼロを進めた。

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