第14話 竜血樹の呪玉
港町に帰ってすぐに、私は冒険者ギルドに飛び込む。
瞬時に違和感に気付いた。
オークション会場の警備に出ていたはずの冒険者たちが何人か戻ってきている。時間的にオークションそのものは終わっているとしても、強盗事件が起った以上は現場検証に残るのが当たり前だ。
冒険者たちの表情も不快感を押し殺したようなもので、ギルド内がギスギスしている。
「白銀、戻ったか。護衛対象は家に送り届けたぞ」
私に追跡を頼んだ冒険者が声を掛けてくる。
イオシースちゃんは無事みたいだ。良かった。
私は礼を言って受付へ歩き出す。
イオシースちゃんに会いに行くより受付さんに結果の報告をするのが先だと判断したからだったけれど、行く手を塞ぐように冒険者が立った。
「無駄だ。事件ではなくなった」
「……なぜ?」
「バフズ商会にドライガー家の使者が来て、何か裏取引をしたらしい。強奪事件については緘口令が敷かれた。白銀が取り戻してくれれば、ギルドでも動けたかもしれないが、空ぶったんだろ?」
「逃げ切ら、れました」
「なら、この件は終わりだ」
「終わって、ません。報告が、必要」
私は冒険者を押しのけて、受付さんの前に立つ。
苦い顔をしている受付さんに事の次第を報告する。
事件として追えないのは構わない。元々、事件の捜査はドライガー家の仕事で、冒険者には逮捕権がない。現行犯を取り逃がした以上はもう私の出る幕はない。
けれど、現状は私にとって最悪だ。
事件ではなくなった以上、タムイズ兄様は強盗犯ではなくドラク家の跡取りとして扱われる。そんなタムイズ兄様に対して攻撃を仕掛けた私は、経緯を無視すれば殺人未遂犯だ。
ギルドに報告を上げて、事の経緯を第三者の記した文書に残して証拠を作らないと私の立場が危うくなる。
受付さんは調書を作成しながら、小声で呟いた。
「……ドライガー家からは庇いきれません」
「調書、残してくれれば、いいです」
一番怖いのは、この事件が切っ掛けでドライガー家から討伐対象として挙げられて、ナッグ・シャントとファーラがやってくる可能性。
調書を残しておけば、ナッグ・シャントたちに事の経緯を説明して説得できるかもしれない。
原作ストーリーに収束するのなら、おそらく役に立たないけれど。それでも万全を期しておきたい。
調書の作成を終えて保管を頼むと、受付さんが真剣な表情で私を見た。
「複製して、私的に保管しても構いませんか?」
ドライガー家が隠蔽に動いているらしいから、ギルドに保管した調書を接収される可能性を考慮しての提案かな。
「ありがとう、ございます」
礼を言って、踵を返す。
タムイズ兄様が『竜血樹の呪玉』を持って行ったのだから、私が五体満足に動ける時間は少ない。
打てる手を全て打っておかないと。
ギルドを出て、すぐに宿へと戻る。
女将さんへの挨拶もそこそこに、部屋へと入った。
使わないで済めばと思いながら集めておいてよかった。
部屋に隠しておいた対呪装備を身に付け、魔法陣を描いた紙を広げる。
原作ゲームで何種類かあった、敵の最高速度を低下させたりする魔法を防ぐ装備。魔法陣は能力を低下させる魔法を事前に予防するための魔法を発動する物。
アーティファクト相手にどこまで効果が期待できるかは分からないけど。
魔法陣に魔力を流し込むと、きらきらと光の粒が魔法陣から湧き上った。
発動を確認して、部屋の四隅に結界魔法の起点を置く。障壁魔法とは違って移動させる事が出来ず、事前準備も必要だし防げるのは魔法だけ。それでも、魔法に対しては絶大な防御力を誇るのが結界魔法の利点だ。
これだけ迎撃準備を整えた私を呪おうとすれば、数倍の威力で呪詛返しを受けて呪術師が悶え死ぬはず。
それでも、もし原作ストーリーに収束するのなら……。
祈るように魔法陣の中央に座り、魔力を流し続ける。
イオシースちゃんからセイクリッドチェーンを貰っていなかったら魔力の回復量と消費量が釣り合わずにどこかで力尽きていた。
イオシースちゃんに感謝ですよ。
呪いなんか受けてたまるか。
絶対に原作通りにはいかせない!
刻々と時間が過ぎる。集中を切らさないように、魔法を維持し続ける。
窓から差し込む陽の光が傾き外が暗くなり始めた時、何の前触れもなく結界がはじけ飛んだ。
予兆も何もなく、一瞬ではじけ飛んだ結界を認識すると同時に、ありったけの魔力で対呪魔法の威力を強化する。
魔法陣から湧き出して行き場もなく散っていた光が瞬時に勢いを増した。
「……っ!?」
対呪の魔法陣が黒く塗りつぶされていく。
身に付けていた対呪装備にヒビが入り、砕けて床に落ちると粉になった。
何、これ。
何、これ。
なんなの、これ!?
四肢の自由を奪う呪いって、絶対それだけじゃすまないでしょ!?
どんな怨念と魔力を込めて発動してるのっ!?
「――ひっ!?」
魔法陣が完全に黒く塗りつぶされた瞬間、両足に激痛が走った。
声にならない悲鳴を上げる。
鋭いナイフで滅多刺しにされているような、神経を直接火で炙られているような、今まで感じた事のない痛みが駆け上がってくる。
床に倒れ伏して両足を手で押さえる。痛みは和らぐことなく、脚が熱を失っていくのが手の平越しに分かるのに、燃えるような痛みばかりが継続する。
昏い深い穴の底に引きづり込もうとする冷たい手が床から伸びてくるのが見えた。腐肉でドロドロになった無数の冷たい手が私の脚を掴もうとする。
脚が動かない。両手で張ってベッドの上に逃げたいけれど、痛みで身体の感覚がおかしくなっていて身動きできない。
腐った手が私の脚を掴む気色悪い感覚。掴まれた部分が一緒に腐り堕ちていく感覚。
黒い靄が床から立ち上ってくる。
靄が集まり、竜の姿を形作る。通常の竜は違う。特徴的な翼の形。
原作ゲームをプレイした私は知っている。
邪竜だ。
邪竜が私の脚をかみ砕こうと口を開いたのを最後に私の意識は途絶えた。
※
目を覚ましたらベッドに寝かされていた。
宿の女将さんが見つけてベッドに運んでくれたのかと思ったけれど、部屋を見回してみるとどうも様子がおかしい。
病院といった雰囲気でもない。
「……どこ?」
とりあえずベッドから出よう。
体を起こそうとして、脚の自由が利かない事に気付く。
……悪夢オチとかじゃないですねー。知ってたー。
はぁ、三年も頑張ったのに。これは凹む。
けれど、ショックを感じるほどでもないのはまだ実感がわかないからか、それとも覚悟していたからですかね。
痛みが無いのは不幸中の幸いですよ。
それにしても、脚が動かないとかなり不便だなぁ。偉大だね、脚。毎日働かせて申し訳なかった。だからストライキはやめて?
動きませんよねー。ストライキじゃなくて病欠……呪欠?
どうにか上半身は起こせたものの、さて、どうしよう。
ベッドの上から動けないんじゃなぁ。扉の外に出れば誰かいそうだけど。
あ、そうだ。
障壁魔法をベッドの横に展開して、その上にごろごろと転がって乗る。
見よ、これが仏教徒の奥義、涅槃像の構え!
まぁ寝転がっているだけなんですけども。
障壁魔法の上を転がりながら扉の前まで到着。上半身を起こしてドアノブに手を掛ける。
今の私の状態って外から見たら空中に座っているようにしか見えない。
ベッドで寝ていたはずの脚の動かない銀髪少女が自力で扉を開けたかと思ったら空気椅子してるってすごくシュールじゃない?
オープン、ザ、ドア!
がちゃっとな。
扉を開けるとリビングらしき場所だった。
見覚えがある。というか、つい最近遊びに来ましたよ。
ここはイオシースちゃんの家ですね。
宿からここに運ばれたのは、私の脚の呪いを解くためかな。いや、それなら病院に運びそうなものだ。
呪いはあまり症例が無いはずだけど、患者の不便さを解消することに慣れている病院へ運んだ方がいい。
宿でも病院でもなくイオシースちゃんの家に運んだのには理由があるはず。
タムイズ兄様殺害未遂犯として指名手配でもされたかな。それで、イオシースちゃんに匿われている。
しっくりくる推論だけど、証拠が何一つないから考えるのは後回し。
耳を澄ませて人の気配を探ると、併設されている工房の方で何か物音がする。
障壁魔法の上をローリングして工房の扉前に到着。
回りすぎて体が痛くなってきた。
扉をそっと開けて工房を覗くと、イオシースちゃんの後姿を発見。
「……イオシースちゃん?」
声を掛けると、ばっと振り返ったイオシースちゃんが私を見て立ち上がった。
「アウルちゃん! よかった、目が覚めたんだね!」
駆け寄ってきて抱き着こうとしたイオシースちゃんは私が呪いで脚を動かせない事を思い出したのか、直前で思いとどまって、行き場のない手を右往左往させた。
「落ち、着いて。椅子、ほしい」
宥めつつ椅子を持ってきてもらおうとしたら、イオシースちゃんは私の横に回って背中と足の裏に腕を差し入れてひょいと持ち上げてくれた。
椅子を運んでくるより私を持って行く方が早いってわけですか。
お姫様抱っこ状態なのに肩に圧迫感があるのを不思議に思って横を見ると、大きなお胸があった。
「……これ、邪魔」
「いや、取り外しできる物じゃないからさ」
これが持つ者に許された物量攻撃か。
リビングの椅子に座らせてもらい、私は状況を聞く。
「……どう、なった?」
「アウルちゃんが珍しく悲鳴を上げたのを聞いた女将さんが倒れているアウルちゃんを見つけて病院へ運んだけど、翌朝にアウルちゃんの討伐隊がドラク家から出たって噂を聞いて、見舞いに行った私がアウルちゃんをここに運んで匿っているの。アウルちゃんは丸一日寝てたんだよ。身体の具合はどう?」
「脚、動かない」
「それって、『竜血樹の呪玉』の効果?」
「多分」
ズボンのすそを上げると、原作ゲームのイベントムービーで見た特徴的な呪紋が浮かんでいた。
脚だけで済んだのは各種対呪装備や魔法のおかげなのか、それとも最初から脚だけに作用するのか、原作ストーリーへの収束の結果なのか、どれであっても足が動かないという事実は変わらない。
「討伐隊は、いま、どこに?」
「周辺の町を虱潰しに探しているって。アウルちゃんがまっすぐこの町に戻っているとは考えなかったんだろうね。ただ、ドライガー家の竜騎士隊が動いていないみたいで、ドラク家と亜竜乗りの傭兵団で探してるらしいよ」
つまり、動くなら今の内ですね。
この事態を予想していなかったわけじゃないから準備も整えてある。呪いの影響で丸一日も意識不明になったのは想定外だけど、ドラク家の動きが鈍いから今からでも十分間に合う。
「ゼロは、どこ?」
「待って、どこに行く気?」
「隠れ家」
「そんなモノ準備してたんだ。一緒に行くよ。身の回りの世話をする人も必要でしょ?」
ありがたい申し出だけど、断るほかない。
首を横に振ると、イオシースちゃんが何かを言いかける。先んじて、私は口を開いた。
「討伐隊を、突破して、亡命する」
「国外に逃げるの? それなら確かに、私は足手まといになっちゃうけど……」
心配してくれているのは嬉しいけれど、ゼロにイオシースちゃんと相乗りするのは無理だ。
イオシースちゃんも分かっているらしく、悔しそうに俯いた。
「また力になれないんだね……」
「なれる。お願いが、ある」
「お願い?」
「ナッグ・シャントと、ファーラを、助けてあげて」
原作ゲームには解呪効果のあるアーティファクト『星の清水』が登場する。
物語の終盤に登場するこのアイテムは原作においてラスボス討伐後に発生するハッピーエンド直行のイベントで使用される、あらゆる呪いを解く範囲浄化効果のあるアーティファクトだ。
原作ストーリーの流れは、邪竜の封印を行うために世界各地から魔力が集められていて、枢機卿エメデンが封印を解いて不老の存在となり、邪竜と共にラスボスとして立ち塞がって原作主人公に倒される。
しかし、邪竜の封印に使われていた魔力を集める仕組みがまたエメデンのような輩に利用されないよう、『星の清水』を用いて仕組みを解呪するのだ。
私の脚を動かなくした『竜血樹の呪玉』と同様にアーティファクトである『星の清水』なら、解呪効果を期待できる。
もっとも、原作ストーリーでは『星の清水』が使用される時点でアウルは死亡しているため、恩恵を受けることができないし、ナッグ・シャントたちが成長する前に『星の清水』を使うと邪竜の封印が解かれて討伐が難しくなる。
だから、イオシースちゃんにはこの町でナッグ・シャントたち原作勢を支援してもらわないといけないのだ。
説明するわけにはいかないけど。
イオシースちゃんは困ったような顔を見つめる。
「その人たちを助ければいいの?」
「そう。私は、全力で、逃げる」
死んでたまるか。
原作ストーリーに収束するのなら、逆説的に死亡イベントが発生するまでは誰も私を殺せない。
原作ゲームはオープンワールドだったけれど、あくまでもワールドマップは王国内に限っていた。外国に私が逃げ込んだ場合、原作ストーリーの影響から逃れられるかもしれない。
賭ける価値はある。
「お願い」
「……分かったよ。ナッグ・シャントさんとファーラさんだね」
約束を交わして、私はゼロを回収するため宿に向かおうとして、脚が動かせない事を思い出す。
「……運んで」
「じゃあ、イオちゃんって呼んで」
「イオちゃん、運んで」
「お姫様抱っこね」
何故に。
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