幕間 ここからは――
大空が狭く感じるほどの竜騎兵の大部隊がサッガン山脈を目指して飛んでいく。
部隊の一人でもあるナッグ・シャントは後方を飛ぶドライガー家の竜騎兵たちを警戒していた。
ファーラが念話を使わずに声をかけてくる。空の上とはいえ、乗り手には声が届いた。
「……ナッグはどう思ってるのよ?」
「ドライガー家のことか?」
「ほかにある?」
ナッグ・シャントは首を横に振る。
サドーフ海のギルドに保管されていた報告書はドライガー家により接収されていた。
しかし、アウルに伝言を頼まれたというギルドの職員が自宅に保管していた報告書の写しは残っており、それを読ませてもらうことはできていた。
読んでみれば、ドライガー家が報告書を接収した理由も、アウルがドライガー家を名指しして敵と呼んだことにも説明がついた。
「あくまでも状況証拠でしかないが――黒だな」
アウルが呪われた経緯といい、討伐対象として名を挙げられたことといい、ドライガー家の動きにはあまりにも不審な点が多い。
魔力異常にかこつけて何かをたくらんでいるか、エメデン枢機卿の仲間である可能性が高いとナッグ・シャントは踏んでいた。
「……アウルさんは死ぬ理由がなかった」
「そうね」
慰めひとつ口にせず、ファーラは同意する。
ナッグ・シャントは頭上を仰いだ。
「この戦いが終わったら、墓を建てに行こう。それで俺の罪が消えるわけではないとしても」
「俺たちの、でしょう?」
「……ありがとう」
「水臭いのよ。でも、墓を建てる前に、後ろの連中に落とし前をつけさせるべきよ。特に、親玉にはね」
ナッグ・シャントも後方を飛ぶドライガー家を警戒しながら静かに頷いた。
直後、大気が大きく揺れた。
暴力を伴った強烈な風がサッガン山脈を中心に雲を吹き散らし、竜騎兵たちへと殴りかかる。
しかし、王国竜騎兵隊もドライガー家竜騎士隊も精鋭ばかり。唐突な風を受けてもすぐに姿勢を安定させ、風の中心へ目を向けた。
「あれは――」
サッガン山脈に赤い光の柱が立っていた。
今回の魔力異常の根本原因、邪竜の封印が解けた証だ。
「ナッグ、西の方!」
ファーラに声をかけられて、目を向ける。
「……青い、柱?」
サッガン山脈の西の端に、色違いの光の柱が立っていた。
どういうことだと考えを巡らせるより早く、王国竜騎兵隊を束ねるシャルス・エトーが注意を促す。
「赤い光の柱付近にエメデン枢機卿と復活したと思しき邪竜を確認。総員、戦闘準備。エメデン枢機卿からの攻撃を確認次第応戦する」
相棒の竜を介した念話での指示に、王国竜騎兵隊は銃を構えてサッガン山脈上空のそれを見た。
それは、一般的な竜とは異なる形状をしていた。
尾が長く、先へ行くほど平たく広くなる。通常の竜より一対多い四枚の翼は異様なほど大きく、反面体は細い。
ナッグ・シャントの横に並んだミトリの上のエレフィスから念話が飛んでくる。
「あれが邪竜か。なかなか凶悪な顔つきしてるな」
エレフィスの言う通り、邪竜の顔つきは凶悪だった。顔の造形は普通の竜より細面というだけなのだが、まとう雰囲気に背筋を寒くするような何かがある。封印されていたという割には理性を失っているようにも見えない。
王国竜騎兵隊の注意が邪竜とエメデン枢機卿に向くと、指揮を執るシャルス・エトーが後方のバステーガ・ドライガーを振り返った。
「ドライガー家の竜騎兵隊はあちらの青い光の柱の方を警戒し――」
「――総員、攻撃準備」
シャルス・エトーの言葉を遮るように、バステーガ・ドライガーがドライガー家の竜騎兵たちに指示を出した。
その銃口が向くのは邪竜でも、青い光の柱でもない。
銃口が自らに向けられていると気付いた時、ナッグ・シャントは即座に同部隊のエレフィスとネレインに叫ぶ。
「――散開(ブレイク)!」
もともとドライガー家を疑っていた三騎は素早く散開する。直後、バステーガ・ドライガーが淡々と配下の竜騎兵に命じた。
「攻撃開始」
幾重にも銃声が木霊する。発砲煙がまるで雲のように空気を濁らせ、不意を打たれた王国竜騎兵が次々と命を散らした。
振り返っていたことでぎりぎり障壁魔法が間に合ったシャルス・エトーが遅ればせながら部隊に散開を命じ、バステーガ・ドライガーを睨んだ。
「乱心されたか、バステーガ殿! これはなんのつもりだ!?」
「何のつもりか、とはこちらの台詞だ」
嘲るようにバステーガ・ドライガーの言葉がグランダの念話に乗って響き渡る。
「この高き空を支配する我ら竜騎士が、何故地を這う蛆虫のごときかの者を王と崇めねばならぬのだ。飛ぶこともなく椅子を温めるだけのあれを王と戴くは蝿の所業だ。――王国竜騎兵は直ちに武器を捨て、
口では恭順を促しながらも、バステーガ・ドライガーは配下が王国竜騎兵隊へ攻撃するのを止めようとしない。
恭順の意を示せば誇りのなき竜騎兵とでも難癖をつけて処刑するのだろうと容易に想像がついた。
王国竜騎兵隊とドライガー家の竜騎兵隊が乱戦に突入する中、もはや問答は無用とばかりにシャルス・エトー率いる最精鋭部隊がバステーガ・ドライガーへと襲い掛かる。
ナッグ・シャントはエレフィス、ネレインと乱戦の外側を飛ぶ。
「大混乱よ。どうすんのよ、これ。指揮官が最前線で総大将と戦い合ってるし」
ファーラがぼやくが、指揮官ことシャルス・エトーが指揮を放棄してバステーガ・ドライガーと戦闘を始めたのは悪い判断とも言えなかった。
もとより乱戦で互いの手の内もほとんど理解している王国の竜騎兵同士、装備の質も差がない。指揮をとろうとしてもめまぐるしく戦況が推移する現状では各自の判断に任せた方がかえって効率がいい。
シャルス・エトーがバステーガ・ドライガーを抑えているおかげで、ドライガー家の竜騎兵に『マルチ・バースト』をはじめとした強化魔法がかからず、戦局が王国有利に傾いているほどだ。
だが、それも邪竜の存在を無視した場合の話。
ミトリに乗ったエレフィスがナッグ・シャントの隣に来て、サッガン山脈を指さした。
「ナッグ、邪竜がくるぞ」
サッガン山脈からエメデン枢機卿を乗せた邪竜が高速で迫ってくる。
やはり、戦闘に参加するつもりのようだ。王国竜騎兵隊の味方をしてくれるはずもなく、戦局が傾きかねない。
空地教会の枢機卿という立場にありながら、エメデンと邪竜は長年連れ添ったかのように人竜一体の見事な飛び方だった。
「――おや、バステーガ殿、存外にこらえ性がありませんね?」
エメデン枢機卿の言葉を伝えているのか、邪竜が念話を響かせる。女性的で柔らかな声音にもかかわらず、生物的絶対者としての優越を感じさせるその響きに、王国竜騎兵だけでなくドライガー家の竜騎兵ですら反射的に銃口を向けた。
シャルス・エトーの部隊と交戦しながら、バステーガ・ドライガーがエメデン枢機卿に言葉を返した。
「視界を蝿が飛び回っているのだ。不快感を我慢しきれなくとも当然だろう? それより、あの青い光はなんだ?」
向けられたいくつもの銃口を一顧だにせず、エメデン枢機卿が青い光の柱を見る。
「私にも分かりかねますね。封印が不完全に解けた反動かとも思いましたが、あのような光の柱が出るはずがない。それに、何やら強大な魔力をまとった竜の気配もある。注意してください」
「ふむ。イレギュラーか。不完全に解けたというのは?」
「言葉通りの意味です。飛ぶのに不都合はありませんよ」
「……まぁよい。共闘の約定は破るなよ?」
「当然。私は彼女と空を飛べればそれでいいのですから」
エメデン枢機卿が邪竜の首筋を愛おしそうに撫でた。
エメデン枢機卿とドライガー家が共闘関係であるとはっきり言質が取れた。
ナッグ・シャントは魔法狙撃銃をエメデン枢機卿に向けつつ、仲間に指示を飛ばす。
「邪竜をサッガン山脈の向こうへ引き付ける!」
邪竜という戦力さえいなければ、王国竜騎兵隊の優勢を保つことができると判断し、ナッグ・シャントはエメデン枢機卿へと長距離狙撃を行う。
魔法狙撃銃は組み込まれた魔法陣に従い直進性の高い雷撃系の魔法を発動し、正確にエメデン枢機卿の頭部へ向かう。
しかし、エメデン枢機卿が展開している強力な障壁魔法に弾かれて消滅した。
先手を打ったナッグ・シャントたちへとエメデン枢機卿の目が向く。
「あぁ、ナッグ・シャントさんですか。その距離から正確に狙撃するとは流石の腕だ」
かけられた声を無視して、ナッグ・シャントはファーラに合図を送った。
ファーラは邪竜を挑発するようにわざと失速気味に左旋回し、サッガン山脈へと顔を向けた。
エレフィスを乗せたミトリ、ネレインを乗せたクラガが後に続くと、その意図を読んだらしいエメデン枢機卿が笑みを浮かべて邪竜の首を撫でた。
「その誘いに乗ってあげましょう。聞きたいこともありますのでね」
「……聞きたいこと?」
サッガン山脈へと向かいながら、ファーラが聞き返す。
エメデン枢機卿と邪竜の気が変わらないように会話で誘い出そうという意図だったが、帰ってきた言葉はファーラたちの心を深くえぐった。
「アウル・ドラクさんを殺害したのでしょう?」
「それはっ!?」
「私はアウルさんの腕を買っていましてね。協力をお願いしたのですが、結局断られてしまいました。そんな無実のアウルさんを惨たらしく殺害したあなた方に彼女の最期を詳しく聞きたかったんです。どうでしたか、彼女の最期は?」
煽っている。それを理解していても、ナッグ・シャントは魔法狙撃銃を握る手に力がこもるのを抑えきれなかった。
「――挑発に乗るんじゃねぇ!」
エレフィスが念話で一喝する。
深呼吸して平静を取り戻そうとしたその時、西で莫大な魔力を伴う爆発が巻き起こった。
爆風が麓の森の木々を大きく揺らし、サッガン山脈に積もった雪を雪崩れさせる。
この時ばかりはエメデン枢機卿と邪竜も動揺を露わにして西を見た。
巨大な、巨大すぎる竜が空に上がってきていた。
通常の竜の十倍以上、王都の城を翼で抱え込めるほど巨大なその竜は狂暴性が垣間見える目で何かを追っている。
「竜騎兵……まさか、単騎か!?」
巨大な竜の周囲を飛び回りながら銃撃を加えているらしい一騎の竜騎兵の姿がある。巧みに速度を調節しながら巨大竜の視線の端を飛んでいる。
竜騎兵の姿には見覚えがあった。たなびく赤毛の髪はノートレーム海岸で金銀の夫婦蝶とアウルの手紙を託しに来た竜騎兵と同じ。
アウルの手紙を持っていたのなら、アウルの味方であった可能性が高い。そんな竜騎兵が巨大竜と戦闘中ならば――
「加勢に行きたいが……」
ナッグ・シャントはエメデン枢機卿を振り返る。
エメデン枢機卿は赤毛の竜騎兵に興味がないらしく、巨大竜を注意深く観察していた。
少なくとも、巨大竜がエメデン枢機卿側ではないらしいと分かった。
ならばなおさら、巨大竜と赤毛の竜騎兵の戦いはナッグ・シャントたちに関係がなくなる。
王国竜騎兵としての職務上、一般人を国家を揺るがす戦いに巻き込むわけにはいかず、加勢に向かうのならばエメデン枢機卿やドライガー家を倒してからとなる。
「仕方がない。すぐにでも、エメデン枢機卿を落とそう」
「もともとそのつもりでしょ――いくよ!」
ファーラが掛け声とともに上昇態勢に入る。戦闘開始を察したか、エメデン枢機卿が視線をナッグ・シャントに戻したが、次の瞬間、ファーラたちの姿は三つに分裂していた。
「ファントム・エフェクト、マルチ・バースト」
ネレインの使用した補助魔法をクラガが念話で伝える。
自らの分身が生じたのを確認し、ファーラが進行方向を百八十度転換する。インメルマンターンと呼ばれる空中機動でエメデン枢機卿へと急速に距離を詰めた。
ナッグ・シャントは魔法狙撃銃を構える。魔力異常に関しての調査を行う間に出会った特殊な魔物の素材を利用して作った特注の魔法狙撃銃だ。
銃弾ではなく魔力を使用するため装填が一瞬で済むのが利点の魔法狙撃銃に特有の早さで、三連射。
エメデン枢機卿は笑みを浮かべるだけで応戦しようともしなかった。
魔法が炸裂し、エメデン枢機卿の周囲に爆発が三連続で引き起こされる。
しかし、一方的に攻撃を加えたナッグ・シャントの方が顔をしかめる結果に終わった。
「なんて堅さだ」
エメデン枢機卿を包む爆炎の流れから読み取れる障壁魔法の広さに思わず愚痴をこぼす。
邪竜全体を包む障壁の大きさもさることながら、三連続の爆発を受けても傷ができた様子がない。圧倒的なまでに堅牢な障壁だった。
まともに攻撃しても障壁魔法を割ることは不可能とみて、ナッグ・シャントはファーラに合図し、左に旋回する。
邪竜が追いかけてくるかと注意を向けていたが、エメデン枢機卿はナッグ・シャント陣営では最も高度を取っていたネレインとクラガを見上げた。
「補助魔法を使用している以上、彼女が援護担当でしょう。回復魔法があると厄介ですので、先に潰しましょうか」
「ちっ――エレフィス!」
「わかってんよ!」
ナッグ・シャントのフォローをするために近くにいたエレフィスがミトリに命じて上昇し、ネレインとクラガの護衛に回る。
ネレインとクラガは補助がメインで戦闘そのものはさほど得意とはしていない。
機動力に優れるミトリが急旋回し、上昇の途上にある邪竜に向かう。
「生半な攻撃が効かないなら、畳み掛けるしかないよな」
ミトリに進路を任せながら、エレフィスは呟き、魔力を練り上げた。
「燃え尽きる前に追い詰め焦がせ――フレイム・ストーカーズ!」
三十もの魔法陣がエレフィスを中心に展開し、瞬時に発動する。
炎で象られた妖精が魔法陣から顔を出し、子供が笑うような甲高い音で火花をまき散らしながら邪竜へ殺到する。
エメデン枢機卿が口笛を吹き、邪竜が上昇を中断して旋回した。
しかし、炎の妖精たちは逃げる邪竜を舞い踊るように追いかける。
追尾魔法だと気付いたのか、エメデン枢機卿が後方に魔法陣を展開した。
「クラウド・トラップ」
魔法陣を起点に靄が発生し、瞬く間に半径三メートルほどの雲となる。炎の妖精が触れた直後、雲が瞬く間に膨張して周囲に尖った雹(ひょう)をまき散らした。
炎の妖精が雹に貫かれて相殺されていく中、エレフィスが次の魔法を唱える。
エレフィスを乗せるミトリは機動力に秀でているだけあり、旋回中の邪竜の側面へと回り込んでいた。
「この距離なら避けられないだろ。カオス・ディスク・フラワーズ」
闇が固まったような花が空中に咲いたかと思うと、花弁が二十枚に分裂して邪竜へと襲い掛かる。
切断力に秀でた魔法、カオス・ディスクを多重発動するこの魔法は邪竜の進路を塞ぎながら、逃げ道にすら回り込む。
回避が間に合わず、確実に直撃する距離だった。
絶体絶命の窮地でしかないというのに、エメデン枢機卿はむしろ笑みを深めた。
突如、邪竜が身をひるがえし、エレフィスとミトリへ顔を向ける。大きく減速しながらも急旋回を行った邪竜に、エレフィスはミトリ共々目を疑った。
エメデン枢機卿が張り巡らせる障壁魔法をもってすれば、カオス・ディスク数発が直撃しても障壁を割られるだけで済む。すなわち、正面突破をする限り傷を負わなかったはずなのだ。
だが、邪竜が減速と急旋回を行ったことで後方から迫るカオス・ディスクに対しても速度優位を失った。障壁魔法を割られるだけでなく、その体にもカオス・ディスクを受けることになりかねない。
エメデン枢機卿が正面に魔法陣を展開し、発動と同時に邪竜と共に魔法陣を潜り抜ける。
直後、邪竜とエメデン枢機卿を起点に周囲へと大量の雹がばらまかれた。
クラウド・トラップを正面に発動すると同時に自らが飛びこむことで起動させたのだ。
二十ものカオス・ディスクを受けきるよりは、クラウド・トラップをその身に受けつつ間近に迫ったカオス・ディスクにも雹を当てて相殺する方がダメージが少ないと瞬時に判断したらしい。
「無茶しやがる」
エレフィスは舌打ちして魔法機関銃を向ける。
すでに射程内に入っており、エメデン枢機卿の障壁もクラウド・トラップでひびが入っている。畳み掛けるのならば高威力の魔法よりも発動速度や連射性が高い魔法機関銃を使用する方が効果を期待できる。
引き金を引くと同時に間断なく火線が撃ち出され、エレフィスとエメデン枢機卿の間を赤く染める。
エメデン枢機卿はその障壁の頑丈さに物を言わせて距離を詰めている。
一向に障壁魔法が割れないことに焦っていると、ミトリが口を開いた。
「旦那様、これ以上は……」
「仕方ねぇ、いったん逃げる」
「では――」
ミトリが急降下の姿勢に入り、邪竜の下へ潜るようにしてエメデン枢機卿の射線を逃れる。
エメデン枢機卿からは邪竜の体が障害物となり、ミトリやエレフィスに攻撃が届かない。
このまま邪竜の背後に抜けて仕切りなおそうと考えた直後、
「――テイルスウィング」
エメデン枢機卿の掛け声ひとつで邪竜の尾が唐突に巨大化した。
「やばっ――」
反射的に障壁魔法を正面に分厚く展開する。
巨大化した邪竜の尾が大きく振り下ろされ、ミトリとエレフィスの正面から襲い掛かる。
それはまるで巨人が腕を振りぬくようだった。
障壁魔法が薄紙のように突き破られ、回避を試みたミトリの右翼を叩き折る。
千切れ飛ばなかったのが奇跡だと喜んでばかりもいられない。
高度二千メートルで右翼を失ったミトリにバランスが取れるはずもなく、錐もみ回転しながらサッガン山脈の麓へと落下していく。
「ミトリ、意識はあるか!?」
「な、なんとか……」
「川が見えるか? あそこへ不時着する。もう少しだけ我慢しろ。すぐに応急処置を――」
「――させるとお思いで?」
後方からかけられた念話にぞっとして、振り返る。
邪竜が背面飛行からの急降下、縦に半円を描くようにして方向を転換すると、ミトリとエレフィスの追撃に移った。
邪竜が見せた空中戦闘軌道スプリットSを見て、エレフィスは静かに笑った。
「アウル・ドラクのスプリットSはやっぱり、常軌を逸して美しかったな」
「あれは普通の竜にはできない芸術性ですから……」
右の翼が折れている以上、まともな飛行はもちろん回避もできない。
邪竜の上のエメデン枢機卿がとどめを刺すために複雑精緻な魔法陣を空中に投影した。
「まずは一騎」
勝ちを確信したエメデン枢機卿を見て――エレフィスが笑みを浮かべた。
「やっちまえ、ナッグ!」
刹那、サッガン山脈上空を覆うほどの巨大な魔法陣が出現した。
エメデン枢機卿が魔法陣を見上げ、目を見開く。
「――トール・オーバー」
魔法陣の上にいたナッグ・シャントとファーラが声を合わせる。
魔法陣から雷が落ちた。視認できる限りで数百もの稲妻はサッガン山脈とその周辺をまばゆく照らしだす。
幾重にも木霊する雷鳴はもはや切れ目がなく、一瞬で加熱された空気が膨張して暴風が吹き荒れる。
無数の雷による暴虐が過ぎ去ったとき、エメデン枢機卿と邪竜は障壁魔法を吹き飛ばされ、雷の直撃を受け、それでもなお空にあった。
反攻の意思をもって顔を上げたエメデン枢機卿は、サッガン山脈上空に浮かぶ無数のプラズマ球を視認し、障壁魔法を張りなおす。
「味方を巻き込んでまで発動するとは――」
言いかけたエメデン枢機卿は、ぎりぎりまで追いつめていたはずのエレフィス、ミトリが上空へと向かっていくのを見て目を疑った。
飛び方がややぎこちないが、先ほどの雷の豪雨は仲間にあたらないよう調整されたものでもあったらしい。さらには、当たらないことを見越して上空にいたネレインとクラガがミトリの翼に回復魔法を使用し、飛行能力を回復させた。
「かなり連携が取れていますね。しかし、もう魔力は心もとないのでは?」
あれほどの大規模な広範囲魔法を放ったナッグ・シャントはもちろん、ミトリの折れた翼を再び飛行可能にした回復魔法も多大な魔力を消費する。
連携は厄介だが、ナッグ・シャントたちはエメデン枢機卿と邪竜に対する有効な攻撃手段を封じられたようなものだ。
それでも、ナッグ・シャントたちの狙いが、王国竜騎兵とドライガー家の戦闘に邪竜とエメデン枢機卿を介入させない事である以上、作戦目標の達成は可能でもある。
同時に、エメデン枢機卿と邪竜にとって、ここからは戦闘ではなく狩りなのだ。
最初の獲物は取り逃がしたばかりのエレフィス、ミトリと定め、エメデン枢機卿は両手に魔力をまとわせた。
エメデン枢機卿の意図を組んだ邪竜が風魔法で加速し、高度を上げ始める。
飛行能力を取り戻したとはいえ本調子には程遠いミトリを狙われればひとたまりもないと判断し、ナッグ・シャントはファーラに急降下を指示する。
上昇する邪竜と降下するファーラ、正面からの対決だったが、邪竜は上昇により速度が落ち始めている。
「……ファーラ」
「わかってるわよ」
細かくは言わなかったナッグ・シャントの懸念を正確に読み取ってファーラが翼の角度を調整し、減速する。
エメデン枢機卿が正面に手をかざし、魔法陣を描き出した。
魔法陣を見た瞬間、邪竜とファーラが進路を変更し、水平飛行に移る。
魔法陣から靄が出現し、巨大な雲を形成し始めた。エメデン枢機卿の魔法、クラウド・トラップだ。
ファーラが警戒せずに急降下で速度が乗っていれば回避が間に合わずに突っ込んでいただろう。対して、邪竜は上昇により速度が低下していたため、簡単に身を翻して魔法に突撃せずに済む。
単純な読み合いで引き分けに終わった。
行き場のなくなったクラウド・トラップが消滅するまでにらみ合いが続くかと思われたその時、西から信じられないほどの速度で竜騎兵が突っ込んでくる。
赤毛の女性竜騎兵を乗せた金色の竜はクラウド・トラップへとまっすぐに突き進んでいく。
「ちょっと、それは雲じゃなくてトラップよ!」
ファーラが慌てて念話でクラウド・トラップの存在を知らせようとする。
しかし、金色の竜はファーラの声を完全に無視していた。
赤毛の女が後方、西の方角をじっと観察しているのに気付いて、ナッグ・シャントも目を向ける。
巨大竜が赤毛の竜騎兵を追って迫ってきていた。ぼろぼろのありさまだが戦意は衰えていないらしく、赤毛の竜騎兵に憎悪の籠った目を向けている。
金色の竜が念話を飛ばした。
「この雲、貰っていくぜ!」
雲を貰っていく、言葉の意味が分からずに問い返すより先に、金色の竜がクラウド・トラップのすぐ上を高速で通過した。
金色の竜がすれ違った直後、空中にとどまっていたクラウド・トラップが引き寄せられるように金色の竜を追いかけ始める。
何が起きているのかわからないのはナッグ・シャントだけではないらしくクラウド・トラップを仕掛けたエメデン枢機卿までもが目を見張った。
「大気を操作する魔法?」
ファーラが呟く。
ナッグ・シャントも理解が及ぶと同時に、驚愕した。
金色の竜は大気を操作し、クラウド・トラップが発動しないように大気の流れに巻き込んで誘導しているのだ。
金色の竜が急上昇し、縦に大きく半円を描く。そのまま背面飛行状態を維持し、速度を上げながら巨大竜へと一直線に飛んでいく。その真後ろをクラウド・トラップが追いかけていった。
「――ほらよ、プレゼント!」
金色の竜がそう言って、巨大竜の眼前で急降下する。大気操作の魔法を切ったのか、引き連れていたクラウド・トラップが慣性に従って巨大竜へと突っ込んでいく。
「熨斗をつけてやるよ」
赤毛の女性が魔法機関銃を乱射する。
クラウド・トラップに顔から突っ込んだ巨大竜に雹が襲い掛かり、その下から赤毛の女性による魔法が乱射される。
すでにボロボロだった巨大竜の鱗が飛び散り、分厚い肉が穿たれ、翼膜が消失する。
もはや飛ぶことのできなくなった巨大竜が真っ逆さまに地上へと落ちて行った。
「よっしゃ、勝った!」
金色の竜が墜落死した巨大竜を見下ろして叫ぶ。
単騎で討伐してのけたようだ。
遠巻きに戦闘の様子を伺っていたナッグ・シャントは魔法狙撃銃を構えなおす。
「アウルの知り合いだけあって実力者だな」
「負けていられないわね」
「あぁ」
ファーラと共に己が敵を見定める。
赤毛の竜騎兵を警戒していた様子のエメデン枢機卿だったが、巨大竜との戦闘で魔力を使い果たしたらしい彼女らは脅威になりえないと判断したのかナッグ・シャントに向き直った。
もはや一騎打ちの様相を呈している。
「ナッグ、魔力は?」
ファーラに問われ、ナッグ・シャントは難しい顔で応じる。
「心もとない。銃でケリをつけたいな」
魔力カートリッジを使用する魔法銃は使用者の魔力残量に関わらず撃つことが可能だ。
だが、障壁魔法はナッグ・シャント自身の魔力を使用しており、維持し続けるのにも魔力を消費する。
勝敗を決するのであれば、短期決戦以外にありえない状態だった。
「どうしたものか」
エメデン枢機卿のクラウド・トラップは使いどころを見極めれば非常に強力だ。追尾してくる魔法や敵騎に対して設置するだけで無力化できる上、急降下による上空からの一撃離脱戦法に対してもカウンターとして仕掛けられる。
邪竜の下方から攻撃を仕掛けようとした場合、エレフィスとミトリがやられたように尻尾による迎撃がある。
「ヘッドオンしかないか」
「真っ向勝負ね。いいじゃない!」
正面からの撃ち合い。高速飛行中に行われるため、互いの速度差すらも威力に影響する。
シンプルでわかりやすく、リスクは非常に大きい。
エメデン枢機卿と邪竜がヘッドオンを避ける可能性は低い。
強力な障壁魔法に加え、莫大な魔力で高威力の魔法を放てるのだから、ヘッドオンで負けるはずはないからだ。
そこに、付け込む隙がある。
「ファーラ、わかってるな?」
「誰に言ってんのよ」
「そうだな――行こうか!」
ファーラが翼を大きく広げ、邪竜と高度を合わせる。
左旋回している邪竜の進行方向を見定め、右旋回。
互いに同じ半径の円の外周を回るように動くファーラの動きを見て、エメデン枢機卿もヘッドオンの勝負を狙っていると気付いたらしい。
ナッグ・シャントとエメデン枢機卿の視線が交差する。距離はあっても、互いが相手の出方を伺っていることが分かった。
全く同じタイミングで障壁魔法を張り直し、ヘッドオンの勝負に備える。
やはり逃げないか、とナッグ・シャントは魔法狙撃銃を構える。
サッガン山脈の東西から、互いに一騎打ちを望んで急激に速度を上げ始める。
射程の長い魔法狙撃銃を持つナッグ・シャントが先攻を取った。最も得意とする雷撃系の魔法の中でも高威力の魔法ライトニング・ハザードの魔法陣が魔法狙撃銃に収束し、発動と同時に銃口から放たれる。
銃声代わりにゴロゴロと重低音を響かせたライトニング・ハザードは五つに枝分かれする赤い雷。
正面から受けて立ったエメデン枢機卿の分厚い障壁にヒビが入った。
ナッグ・シャントが再び引き金を引くと同時に、エメデン枢機卿の魔法が発動する。
黒い闇に星のような輝く粒が散った、夜を固めたような突撃槍がエメデン枢機卿の魔法陣から放たれる。音もなく飛翔するそれは相対速度もあって視認できるぎりぎりの速度でナッグ・シャントへと迫り、たった一撃で障壁を打ち砕いた。
自らを守る盾を失っても、ナッグ・シャントはまぶたを閉じず、エメデン枢機卿が乗る邪竜へと照準を絞る。
魔法を切り替えて三度目の引き金を引く。
放たれるのは白い雷撃。まるで網のように広がった雷撃はその射程こそ短いものの、正面の敵を決して逃がさず確実に障壁魔法を打ち砕く。
エメデン枢機卿が張り巡らせていた強固な障壁が割れる音がした。
だが、ナッグ・シャントがとどめの四発目を放つよりもエメデン枢機卿の攻撃の方が早い。
十字の黒い斬撃が飛んでくる。
高速飛行中のファーラが避けられるはずもない。
だが、ナッグ・シャントは悲壮感も見せず、とどめの一撃を放つべく邪竜の腹を狙って引き金を引いた。
同時に、ファーラが大きく息を吸い込み、口を開く。
「――ファーラ・ハウル!」
ファーラの放った咆哮があらゆる音を塗りつぶす。空を伝播する莫大な音の波がファーラに迫っていた十字の黒い斬撃を消し飛ばした。
ファーラ・ハウル――ファーラの咆哮に魔力を乗せて放つ、正面からの魔法攻撃を問答無用で消し飛ばす奥の手。
攻撃そのものを消し飛ばすファーラ・ハウルの存在は想定外だったらしく、エメデン枢機卿は咆哮に圧倒されたように硬直した。
瞬き一つ挟む間もなく、ナッグ・シャントの放った止めの一撃が邪竜の腹部に炸裂した。
赤、青、黄、白、黒、さまざまな色のプラズマが散り、邪竜を中心に大輪の花を描き出す。
プラズマで作り上げられた花火のような美しいその魔法は、中心にいる邪竜を膨大な熱量で焼き焦がす。
両翼から煙を噴き上げながら、邪竜がエメデン枢機卿ともども地上へと落ちていく。
油断せずに魔法狙撃銃を向けていたナッグ・シャントだったが、地上に墜落して砂煙を立てる邪竜を見届けてほっと息を吐き出した。
奥の手だったファーラ・ハウルが決め手となり、勝利をもぎ取れたようだ。
仲間が降下してくる。そばには赤毛の女性竜騎兵の姿もあった。
真っ先に降りてきたミトリの上からエレフィスが尋ねる。
「ナッグ、無事か?」
「あぁ、なんとかな。それより、ドライガー家の方は?」
魔法狙撃銃のスコープでサッガン山脈の向こうで展開している乱戦を見る。
いつの間にか王国の優勢が覆り、ドライガー家の竜騎兵が勢いづいていた。
「シャルス・エトー隊長の姿が見えない……?」
「バステーガ・ドライガーが健在なところを見ると、退けられたらしいな。あの人のことだから死んではいないだろうが、状況はかなり不利だ。バステーガ・ドライガーの全体補助魔法で能力差が開きすぎている」
「まずいな。俺たちもこのありさまだし」
ナッグ・シャントは仲間を見回し、自らの状態を鑑みる。
エメデン枢機卿と邪竜を撃墜したのは大戦果だ
だが、エレフィスは相竜のミトリが戦闘不能状態であり、すぐにでも医者に見せなくてはならない。
ナッグ・シャントやネレインも魔力切れで、とてもではないが戦闘に参加するのが難しい。
今後の動きを決めかねていると、そばを飛んでいた金色の竜が念話を飛ばしてきた。
「――おい、ぼさっとしてんなよ!」
いきなり飛んできた不躾な罵倒に顔をしかめた直後、真下に広がる森から強烈な魔力の奔流が空を突き上げた。
「なんだ!?」
慌てて下を見る。
魔力の奔流の中心でエメデン枢機卿が楽しげな笑みを浮かべてナッグ・シャントたちを見上げていた。
「封印が完全に解けました」
エメデン枢機卿の声で念話が響き渡る。もはや、邪竜を介してもいない。
火傷を負ったエメデン枢機卿の全身が見る見るうちに回復していく。
「素晴らしい。まさか、こんな形で食事が叶うとは思いませんでした。極上の食事です。感謝します、赤毛の竜騎兵よ!」
食事、それが何を指しているのかを理解したとき、ナッグ・シャントは吐き気を堪えて口を押えた。
邪竜が一心不乱に肉をむさぼっている。分けるように放り投げられた肉片をつかみ取ったエメデン枢機卿が極上のステーキでも食らうように、掴み取った生肉にかぶりついた。
生肉の正体は、先んじて墜落していた巨大な竜の首周りの肉だ。
「なぜ彼女が、この美しい彼女が邪竜と呼ばれたのか、あなた方はご存じなかったようですね?」
ナッグ・シャントは知らない。
いや、今この世界に生きるすべての生き物の中で、邪竜の由来を知っている者など当の邪竜とエメデン枢機卿だけだ。
「彼女はあらゆる生き物の中で頂点に君臨する至上の狩人。最強の生物。竜をも食らう真の捕食者」
食事は済んだとばかりに、邪竜が巨大竜の死骸を踏みつけて、身震いした。割れた鱗が剥がれ落ち、その体の傷が、火傷が、瞬く間に治癒していく。
「これが、封印されていた理由。討伐されなかった、できなかった理由ですよ」
手についた血を舐めとって、エメデン枢機卿はナッグ・シャントたちに微笑みかける。
手を突き出したエメデン枢機卿が魔法陣を描き、邪竜が口を開いて魔法陣を丸呑みにする。
邪竜がナッグ・シャントたちへと顔を向け、口を開いた。口腔にはエメデン枢機卿が描いた魔法陣が輝きを増して展開されている。
「ドラゴンの咆哮とは、こうあるべきだとは思いませんか?」
邪竜の口から爆音が放たれる。漆黒の魔力が乗った咆哮は拡散せずにナッグ・シャントたちへと直進した。
本能的な危機感にナッグ・シャントは叫ぶ。
「――散開(ブレイク)!」
即座に散らばったナッグ・シャントたちだったが、邪竜は首の角度を変えて漆黒の咆哮を逃げるナッグ・シャントとファーラへ向ける。
「くっ、ファーラ、ハウルはできるか!?」
「魔力が足りないよ!」
打つ手なし。
もはやここまでかと覚悟を決める。
漆黒の咆哮が迫る。
せめてもの賭けに、ナッグ・シャントがありったけの魔力で障壁を張ったその刹那――漆黒の咆哮が空中で不自然に折れ曲がった。
意図したものではなかったらしく、邪竜が驚いたように口を閉ざす。
折れ曲がった漆黒の咆哮はサッガン山脈を越え、王国竜騎兵とドライガー家の乱戦場へと向かっていった。
あの不自然な魔法の軌道には見覚えがあった。
「……まさか、グラビティ・ドロー?」
はるか上空から、急降下してくる機影がある。
銀髪と白翼に太陽の光を纏い、長大な弾丸狙撃銃を構え、はるか地上の邪竜とエメデン枢機卿を狙い定める小柄な少女。
「――アウル?」
ファーラが震える声で呟く。
上空から、アウルがハンドサインを送ってくる。
『退がって』
「でも――」
ファーラが言いかける。
しかし、アウルは急降下からのすれ違いざま何事かを口にした。
風の音で聞き取れなかったそれは、口の動きを見る限り確かに言っていた。
「――ここからは私の物語」
直後、ロア・アウルの銃声が竜の咆哮が如く木霊した。
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