第21話

「よく来た。久しいな、小僧」


 連れられた先には簡易的な幕舎がいくつも建っており、その内の一際大きな幕舎に、その男は居た。

 上半身は裸のままで、全身が白く、濃い体毛で覆われている。体格も姜維の倍はあろうかという巨躯を誇り、これで齢が六十を優に超していると言うのだから驚きである。


 元々、姜維はこの涼州の出身であり、その家柄は「涼州の四姓」と呼ばれるほどの名門の一つであった。姜維の父が早くに戦で亡くなり、姜氏が没落しそうになった時、一番早くに助けを求めた先が、この迷当であった。


 姜維が蜀に降ってから、姜氏の一族は魏の首都洛陽に召喚され、一応、人質となっている。ただ、姜維は帰る意思を持っていないことを母にも表明しているので、人質としての価値はそもそも無かった。

 しかし、かといって処分の対象にすると魏の体裁が傷つく為、逆に今は悠々と暮らしているらしい。

 迷当との交流は、姜氏が洛陽に連行されると同時に途切れていた。


「幼き頃はお世話になりました、大王」

「ふん、その恩を仇で返す様な挨拶をかましおって。その後に旗を掲げたから小僧だと分かったが、そのままであったら、儂直々に捻り潰してやるところだったわ」

「大王の兵は気性が荒い。話も通じまいと思ったので、新兵の調練の相手をしてもらいました」

「胆の太さは相変わらずの様だな」


 桶の様な器になみなみと入った馬乳酒を煽りながら、迷当は気分良さげに笑っていた。

 自分の配下が散々に蹴散らされたのだ。普通なら姜維に対して詫びの一つでも求めるところだが、そんな気はさらさら無いらしい。


「こんな久々に、それも敵地を長々と自ら駆け、まさか昔を懐かしみに来た訳ではあるまい。小僧、今度は儂に何を強請りに来た。昔の様に、無償で保護を求める様な、図々しい話をまた持って来たのではあるまいな?」

「姜氏は大王と結ぶことで、兵力的な不安を解消しました。そして大王は、姜氏の名と人脈を利用する事で、涼州内部にまで勢力を拡大させました」

「あー、もうよい!小僧と口論したいのではない!そこは笑って流せ。馬鹿真面目に反論なぞしくさりおって。要件は何だ!」

「蜀軍は近いうちに、魏領へ攻め入ります。その際は大王にも、手を貸していただきたい」


 唸りながら大きく溜息を吐き、迷当は押し黙ってしまう。力強く瞼を閉じながら悩んでいるようだが、馬乳酒はあっという間に飲み干していた。


 姜維は何食わぬ顔で返答を待っていたが、傍に立つ蒋斌の額には汗が滲んでいる。

 そして難しい顔のまま迷当は目を開いた。


「小僧、気の毒だが兵は出せん。勝算が無いものには、流石の儂も賭ける事は出来ぬ。あの諸葛亮でさえ無理であったことを、今の蜀軍でも出来るとは思えん。諦めよ」

「長安では無く、私は涼州を奪いたいと思っております。これならば、勝算はありましょう」

「涼州を?」


 首を傾げる迷当。蒋斌もまた、その話は初耳であった。そもそも、軍全体の戦略は、将軍以上の人間しか知らない機密事項である。この場で話して良い事でもない。

 しかし姜維は戦略の概要を細かく、迷当に話し始めたのだ。


 今までの北伐軍同様、まずは祁山に陣を敷き、敵が長安方面に防備を固めた時、精鋭でもって一気に雍州西部、更には涼州へ侵攻。そこで迷当大王が涼州で蜂起し、蜀軍と合流すれば、雍州西部から涼州を切り取ることも可能であると。長安周辺の防備は確かに硬いが、そこに兵力を割いていることを敢えて逆手に取る。


 話を聞くうちに、迷当の目には力がこもってきたように見えた。


「そして極めつけは、魏帝である曹叡の崩御。この機を逃す手はありますまい」

「なっ……曹叡が死んでいると言うのか?そのような話は知らんぞ」


「当たり前です。君主の死など、国家最大の機密事項でありますので。しかし、公孫淵の反乱鎮圧後に呉へ攻め入らなかった事、司馬懿が蜀軍の抑えとして戦線へ出てこない事、それどころかまとまった援軍すら長安へ送っていない事。これらを鑑みれば、曹叡が危険な状態にあるか、それとももう死んでいるのか、この二つしか思い浮かぶ選択肢はない。そしていずれにしても、絶好の機会であることには変わらない。そう、推察出来ましょう」


 後顧の憂いを断ち、呉へ攻め入る大義名分を得たにもかかわらず、機に乗じて攻め入らないのは、曹叡が国を動かす程の出兵に、現在耐えられない状態であるという事。


 司馬懿が前線へ出てこないという事は、曹叡が後事を託す為に洛陽へ残しているという事。


 援軍を長安に回せないのは、内乱を警戒しているからという事。

 君主が死んだ際、最も警戒するべきは外敵の侵攻ではなく、内乱にある。したがって現在、魏は洛陽周辺の警護兵を割く事が出来ないのだ。

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