第41話
「陛下には本当に申し訳ないが、我々が決め、推挙致すほかあるまい。皇太后様、無理をお願いして申し訳ございません」
「董允、頭を上げよ……この老骨が蜀に役立つなら、喜んで尽力しましょう」
「有難う御座います」
穆皇后の部屋に招かれたのは、費褘、董允、そして黄皓の三名。
次の皇后は誰が相応しいかを合議して計り、穆皇后に決定を下してもらう。
皇太后の推挙となれば、劉禅もおいそれと断ることは出来ない。
今は、これしか打開策は無かった。
皇太子と皇后を同時期に死なせてしまった。
偶然とはいえ、董允、黄皓は身を割かれる思いで自責を繰り返してきたのだ。
この件は、その苦し気な二人を見て、費褘が切り出した提案であった。
「しかし、董允殿、黄皓殿。私はあくまで文官であり、宮中には詳しくない。二人の話を聞いたうえで、意見を述べたいと思っている」
「承知した。まずは私から意見を述べたい」
口を開いたのは、董允である。
「やはり、王夫人しかおるまい、というのが率直なところだ。家柄も申し分なく、敬愛皇后(張敬の諡)とも近しかった。お世継ぎが例え女性であられようと、皇后に最もふさわしいのは彼女だ」
一つ懸念があるとすれば、彼女の気質だ。
とても、誰かの上に立つ様な剛毅な性格は持ち合わせていない。
他人の意図を尊重する、良く言えば器量人なのだが、裏を返せば全く自主性のない気弱な女性であった。
後宮をまとめ上げる手腕は、皆無と言って良い。
しかしそこは、董允と黄皓で補佐すれば、凌げないものではなかった。
劉禅を愛し続ける、傾国の気質がある李詔義に託すよりは、よっぽど良い。
それが、董允の考えであった。
「では、皇太后様。この黄皓も、お一人、推挙したき女性が居ります。王夫人ではない、女性でございます」
董允は、眉をしかめる。
穆皇后は一つ頷き「申してみよ」と促した。
「それは『張彩』様に御座います」
「なっ、戯けたことを申すな!」
「黙っておられよ董允殿!」
黄皓は、必死の剣幕であった。しかし、董允もまた怒りに身を染めている。
穆皇后も、費褘も、驚きで声が出せないでいた。
当時の中華全土にあける「倫理」的感覚で言えば、張彩を娶る事など、禁忌に近しい行いであったからだ。
再婚相手を迎える際、その相手は、前の相手と同姓であってはならないという掟があった。
つまりこの場合、劉禅は「張」姓の女性を娶ってはいけないという事。
ましてや血縁者、しかも妻の妹を娶る事など、あってはならないのだ。
「貴様は、その掟を知って、物を申しておるのか」
「無論、重々承知で御座います。それを承知の上で、そのような掟などクソ喰らえという意味で申しておる」
「き、貴様……陛下に、この国に、恥辱を塗るつもりか。他国に、ひいては臣下や国民に、何と非難されると思って居るのだ」
中華全土の倫理観を定めているのは「儒教」という思想である。
この思想において、黄皓の様な「宦官」は「人に非ず」といった、酷い差別を受けていた。
黄皓はこの儒教が嫌いであった。
だからこそ、そんな思想の枠を超えた発想を、容易く思いついたのかもしれない。
倫理など全てかなぐり捨て、ひたすらに劉禅を案じて出した、結論であった。
「非難を言う者は、切り捨てれば良い。この国は誰の物か?儒教の物か?他国の物か?臣下の物か?民の物か?いいや、全てが陛下の物である。ならば我らは、陛下を第一に考えて結論を出すべきなのだ。その方らはそれを考えたか?国の運営上、都合の良い結果ばかりを出そうとすることに注力するばかりで、陛下の御心を少しでも考えたか!?」
喉が裂けんばかりの、それ程の熱意であった。
この男を、ここで切り捨てなければいけない。董允はそう思った。
臣下という存在は、皇帝ではなく、この国に対して忠節を尽くすべきなのだ。
しかし、黄皓はその逆を言い切った。
劉禅の為になら、きっと、この国を売り渡す事さえしかねない。それ程の危険を感じたのだ。
衛兵を呼ぼうとする。しかしその声を遮る様に、穆皇后が先に声を出した。
「黄皓よ、何故、張彩を娶る事が禅の為になる。それを聞かせてくれ」
「今の陛下は、心痛の極み、失意の底に居られます。今の陛下の側に居るべき人物は、王夫人でも、李詔義でもなく、同じ痛みを感じ、分け合うことの出来る張彩様のみなのです。敬愛皇后、劉禅陛下、そして張彩様。幼き頃より三人は常に共にありました。張敬様を失った悲しみは、陛下と、張彩様にしか理解し合えないのです」
「されど……張彩には、あまりにも酷な役だ。張敬の代わりとして、禅に寄り添えと言う、そういうことであろう」
黄皓は、頷いた。
あまりに苦しげな表情をしている。
「張彩の気持ちを、知らぬわけではあるまい。それでも、禅の皇后に、張彩を付けよと申すか?」
「時が解決してくれることを、願うばかりです。張彩様にとって、あまりに、あまりに酷な話ではありますが、私は陛下の為ならば、この命を悪魔にだって喜んで差し出す決意が御座います。全ての責任は、この黄皓が、請け負いまする」
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