第12話

 成都より、大将軍「蒋琬」率いる先発隊の一万が漢中へ出立した。


 姜維は蒋琬の幕僚に加えられ、その直下で軍権を握る「司馬」の役職が与えられた。蒋琬自身は兵の指揮を行うつもりはなく、あくまで全軍の戦略の方針を定めるのみなので、実質、戦場で北伐軍を率いるのは姜維という事になる。

 ただ、漢中には長年前線で戦ってきた練磨の王平将軍が居り、軍内における功績を鑑みると、姜維一人で裁量できるというわけでもないのが現実である。


 季節は、実りの秋の事であった。

 今年も実りは豊かで、民も活気づいているようだ。


 それでも漢中は、そんな成都周辺の雰囲気とはやはり一線を画していた。ここは、蜀漢の最前線であり、常に戦時中であることを兵士や民に至るまでが実感していた。空気は、身が引き締まる程に張りつめられている。

 蒋琬は早速、劉禅より許可を得た大将軍府を漢中に設けた。

 諸葛亮も以前、北伐の際にはこの漢中にて丞相府を設け、そこで政務を取り仕切っていた。言わば成都の議会とは別の、もう一つの政府の様なものであり、一つの国家を取り仕切る権限を、劉禅は蒋琬に認めたという事でもある。


「王平将軍。呉懿将軍亡き後、この漢中を守り抜いたその功績は大きい。私からも礼を申し上げたい」

「いえ、当然のことをしたまでです。大将軍」


 背は比較的に低く、顔の堀が深い。そして、肌の浅黒さが目立つ。この人があの、漢中の守護将軍とも呼ばれ、民にも人気が高い王平将軍だと言っても、大抵の人は信じないだろう。


 王平も姜維と同じく、元は魏の将校の一人であった。とある魏と蜀の戦で王平は蜀軍に敗れ、この国に帰属した。

 名も知られていない少数民族の出身であり、話す言葉もどこか拙い。文字の読み書きも、王平は全て配下に任せるほどであった。更に、他人を全く信用しないほど慎重な性格である。それが幸いしてか、いつの間にやら天下に名を知られる程、守備に長けた将軍へと飛躍していた。


「陛下より、王平将軍を正式に漢中の主将として任じるとの命を預かっている。今までは代行の形ではあったが、正式にそなたを主将としたい。受けてくれるだろうか?」

「謹んでお受けいたします」

「これよりの北伐、姜維将軍と共に私を支えて欲しい。頼りにしているぞ、王平将軍」

「御意」


 蒋琬もまた、決して表情を表に出さないが、その内には人情が通っていることを知っていた。しかし、王平は徹底した軍人であり、決して命令に背かず、死ねと命じられれば躊躇なく自決する様な性格でもある。姜維はどこか、そんな王平が苦手であった。ただ、味方としてこれほど心強い存在もいないであろう。


 北方の幽州における公孫淵の反乱は、司馬懿によって立ちどころに鎮圧されていた。呉が送った援軍が届くよりも早かったその決着に、誰もがあっと驚いた。

 やはり、諸葛亮の北伐を阻み続けた、魏の奇才である司馬懿は、未だ健在であると認めざるを得ない。

 ただ、この一件は、魏における司馬一族の権勢を更に強固なものにする結果となった。これによって当然、皇族である曹一族との対立も深くなっていく。


 司馬懿はもう、首都である洛陽を離れようとはしないであろう。権力闘争に勝ち、魏を司馬氏の物とする。その野望は今や、はっきりと表に出ていた。内乱が起きる日も近いと、姜維はそう推測を立てる。

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