第30話
魏帝、曹叡の崩御。享年、三十三の若さであった。
曹叡は子が相次いで夭折していた為に、皇太子に建てられたのが、養子の「曹芳(そうほう)」である。
まだ八歳の幼い皇帝が、魏で即位したのだ。
後見人として、幼い曹芳を補佐するのは、曹爽、そして司馬懿の二人。
これにより、皇族である曹氏一族と、実権を握る司馬一族の対立がはっきりと表面化するようになった。
前線より呼び戻された姜維と廖化は、蒋琬に直接呼び出された。
ようやく軍を動かすのだ。そのことがはっきりと分かっているだけに、二人は急ぎ馬を走らせた。
大将軍府にて、床に臥せながらも、業務をこなす蒋琬。
苦しげな表情は一つも見せず、黙々と、書類に目を通しては、傍についている陳祇に指示を与えている。
相変わらず無表情のままだが、その血色は、まるで土の様な暗さであった。
「大将軍蒋琬殿の命により、姜維、廖化が帰還いたしました」
姜維は蒋琬の前で拝手する。その後方で、廖化もそれに倣った。
「曹叡が死んだ」
竹簡から目を離すことなく、蒋琬は一言、そう告げる。
「存じて御座います」
「姜維よ、羌族の協力は得られたか」
「はい。涼州にて五万以上の兵の蜂起が期待できます」
「魏軍の守備兵の数は」
「戦に投入できるのは、最大で十五万でしょう。主将は郭淮、副将は鄧艾。郭淮の下には、若く勇猛な陳泰(ちんたい)という将が居ると聞いております」
「それぞれの将の力量は如何ほどか」
「郭淮は戦が不得手ではありますが、全体を見る戦略眼に優れております。鄧艾は戦の経験こそ浅いですが、その将器は郭淮を優に上回ります。陳泰は、北方の異民族との戦で鍛え上げられた猛者であり、油断は禁物です」
「勝てるか?」
「無論」
蒋琬の圧に物怖じすることなく、姜維は真正面からそう答えた。
竹簡が、力強く叩きつけられる。
初めてであった。あの蒋琬が感情を剥き出しにする様に、眉に深い溝を作り、歯を食いしばっている。
「無念だ、あまりに、無念だっ……本来ならば、私が兵を率いて北伐をすべきであるのに。病が、いや、天がそれを許してくれぬっ!!」
諸葛亮の居なくなったこの蜀漢を背負うその重圧は、果たしてどれほどのものであっただろうか。
全ては、北伐の為。蒋琬は命を削り、この国に注力してきた。
だからこそ、ここまでの回復が果たせた。
しかし、そのせいで、その命は尽きかけようとしている。
「姜維よ、私がこの有様故に、この十四万の北伐軍をそのまま全て動員させることは出来ない。それでも、勝てるか?」
「全てこの時の為に、皆が命を削って参りました。勝算はございます」
「よし!」
目が、血走っている。
蒋琬はかすれた声を張り上げた。
「姜将軍を主将とし、四万の兵を授ける。そして、廖将軍を副将とし、三万の兵を授ける。総勢七万の兵力で、必ず涼州を奪え!漢中の守将は王平と張翼。それ以外の将の配置は全て、そなた達で決めるがよい。五日の後に進軍を開始せよ!」
「御意!」
二四十年。
諸葛亮死後、初めての北伐が、ここに開始された。
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