そして、夢は終わる。

久保カズヤ@試験に出る三国志

第1話

 二三四年、諸葛亮は五丈原にて没した。齢は、五十四であった。

 蜀漢の皇帝である劉禅は、戦場から帰還したその棺に縋り付いて、激しく慟哭した。臣下や民に至るまで、その死を悼み、国は悲痛な叫びに包まれた。


 偉大な建国の父、劉備から帝位を継いだのは僅か十七歳の時である。父の死が訪れたと共に、この蜀漢という国の全てを背負う重圧は相当なものであり、国の未来も何も、全てが暗闇の中であった。そんな劉禅を懸命に補佐し、この国の未来を切り開いたのが、父の代から国政を担ってきた諸葛亮であった。


 彼の政治は、厳格にて公明正大。厳しい法治が国に敷かれてはいたが、民はそれに不満を抱かなかった。

 それは、行政の長である諸葛亮自身が常にその法の模範として生き、誰も損をしない公平な賞罰を行った為であり、そして何よりも、この蜀漢がどのような国家なのかという「正義」を明確にしていたからこそ、皆が耐える事が出来ていた。


 あまりに、あまりに偉大な存在であった。その、柱石が今、崩れ落ちていく。


 今後、蜀漢という国はどこへ向かえば良いのであろうか。再び、劉禅の視界は暗闇に染まった。齢は今、二十七である。父の死から十年の月日が過ぎていた。



 現在、この広い中国は「魏」「呉」「蜀」という三つの国に分裂していた。三国志と、呼ばれる時代である。


 三国に分かれる以前、全土は「漢」という国に約四百年に渡って統治されていた。しかしその統治は大きく乱れ、ついに各地が戦火に襲われた。


 最初に国に抵抗したのは、民であった。百万という規模の民が全国各地で反乱を先導し、賊徒や異民族、各地の豪族や官吏までもその乱に加わったのだ。漢の権威は地に落ちたも同然であった。


 しかし、それでも四百年続いた漢という大樹は折れなかった。朽ち果て行く大樹は、最後の息吹を吐き出すように英傑を数多く産んだのだ。その英傑らの働きで、戦乱は瞬く間に終結する。

 ただ、その英傑達は、今度は自分こそが大樹たらんと成長を始めた。


 その中で天に選ばれ駆け上がったのが、最大勢力である魏の礎を築き上げた乱世の姦雄「曹操」、長江に拠って呉の確たる地盤を急速に広げた「孫堅」、そして消えゆく漢の命数を守るべく蜀を建国した「劉備」、この三人であった。


 ただ、その英傑達の姿はもうない。魏は曹操の孫である「曹叡」が継ぎ、呉は孫堅の次子である「孫権」が、蜀は「劉禅」が継いでいる。


 蜀漢。三国の中で最も小さく、最も弱い国だった。それに対して、漢室を塗り潰し、自らの皇室を打ち立てた魏は、中国全土の国力の三分の二を占めている。残りの三分の一を、呉と蜀が分け合っている状態である。


 蜀は、漢室を継いだ国家であった。魏の行いを許せば、この国が立っている意味は無い。

 必ずや魏を滅ぼして、漢室の再興を。四百年も続いた血を絶やしてはならない。それが父の志であり、死後は諸葛亮に託された。


 北伐。北方の賊(曹魏)を漢の名のもとに討伐する。これのみが、蜀という国が存在しうる道だと、諸葛亮は言った。そして心身を削り、すり減らしながら魏に何度も挑み続け、病に没した。


 劉禅にとって、父の様な人であった。実の父である劉備は、常に戦場で生きてきた人であり、家族よりも臣下や兵士達と寝食を共にしていた。あまり親子としての思い出は無いのだ。だから自然と、その劉備の留守を守る諸葛亮は、常に都にて行政にあたっており、当時は皇太子であった劉禅に道を示し続けた。



 国とは、人である。



 何度も何度も聞いた言葉であった。帝位を継いでからも、何度も聞いた。ただ、その真意は未だに掴めていない。


「陛下」

「……朕はしばらく、誰とも会いたくない。そう命も出していたはずぞ」

「蒋琬(しょうえん)にございます」


 会わない訳にはいかないだろう。

 劉禅は衣服を正し、目を擦る。しかし涙で充血した目を誤魔化すことは出来なさそうであった。

 蒋琬。諸葛亮が自らの後継と定めた男であった。


 北伐や軍事行動、外交等にて国を空けがちであった晩年の諸葛亮に代わって、国政を担っていたのが彼である。行政に関して言えば、諸葛亮にも決して劣らない才能を持つ、飛び抜けて優秀な文官だった。


 しかし、劉禅はどうもこの臣下には慣れなかった。表情が常に変わらない為に、何を考えているのかが全く分からないのだ。しかも、その立ち居振る舞いはどこか気が抜けており、下手をすれば人を不愉快にさせる程にだらしない行動を取ることも度々あった。


 それでも、国家を運営する能力は卓越している。人間としての感情を捨てているのかと思えるほどに、公平な目も持っていた。現に、諸葛亮が死去して間もないに関わらず、国が混乱することなく結束しまとまっているのは、全てこの蒋琬の力によるものだと言っても良い。


「何か、変事でもあったのか」

「既に諸葛丞相の国葬は終えております。臣とて、悲しみに暮れる気持ちも分かります。ただ、それでも民は前を向いて働き、陛下の臣下も皆、微才を尽くして国を支えようとしております。なのに陛下ばかりが幾晩も下を向いておられたら、民は、我ら臣下は、進むべき道を見失ってしまうでしょう」

「丞相を失い、朕も今、暗闇の最中なのだ」

「皆、そうなのです。丞相も、先帝(劉備)が崩御された後、誰よりも暗闇の中でもがいておられました。もしやすると、息を引き取るその間際まで。それでも、この国に道を示されました。ならば我らはその歩みを止めてはなりません。一度、民や臣下の皆に顔を出していただけませぬか?それだけで、我らは迷わずにいられます」

「よく分かった、明日、文武百官を揃えてくれ。手筈は任せよう」

「承知致しました」


 相変わらず、鉄のような表情である。言葉は熱くとも、顔には全く思いが滲んではいない。


 常に理論で言葉を語る蒋琬にしては、珍しい進言内容でもあった。恐らくは、誰かが蒋琬に入れ知恵をしたのだろう。ただ、別にそれが劉禅には不快では無かった。


 というか、劉禅は臣下にいくら諫言をされたところで、滅多に腹を立てることが無い君主であった。限りなく純粋に近い素質が育っていると言っても良い。汚すも磨くも、全てはこれからである。


「蒋琬、この諫言はそなたの言葉ではあるまい」

「ご明察です。実は、董允(とういん)殿から頼まれた言伝の様なものでございます」

「董先生か、ならば合点もいく」


 劉禅に政治や国の在り方を示し続けたのが諸葛亮であるとするなら、理想の君主とは何かを説き続けているのが董允と言えるだろう。


 行政に関わることは無く、劉禅の身の回りや宮中の一切を取り仕切っているのが彼であった。劉禅にとって教師とも呼べる臣下で、現に董先生と呼んでいる。その人柄は「厳格」が服を着て歩いている、こんな例えが最も似合う男である。


 いつもなら一切の遠慮も無く、諫言を行い続ける董允であったが、流石に諸葛亮の死という出来事に対してまで、直接言葉を突き入れることは出来なかったらしい。ただ、それでも蒋琬を使ってまで諫言をしようとするその強情さが、劉禅には少し可笑しくもあった。


「蒋琬よ、朕が籠っている間、国に混乱は起きてはいなかっただろうか」

「混乱はあります。ただ、予め準備はしておりましたので、広がることはありませんでした。不穏な動きを見せていた辺境の武官や文官は、動きを見せる前に官位を剥いで兵を奪いました。調略も行っており、南蛮の民族たちの動きも、極めて落ち着いています」

「丞相の死を予測の中に組み入れていたのは、この蜀においてそなただけであろう」

「不謹慎な事を言いましたか」

「気にすることは無い。むしろ、心強いほどなのだ。そして、今までこの蜀漢という国が、どれほど丞相に頼り切っていたのかがよく分かった」


「ただ、ひとつお耳に入れたき事がございます」


 蒋琬はそこで口をつぐんだ。劉禅はすぐに側近や従者達を下げさせる。

 小さな宮殿の一室は、劉禅と蒋琬のふたりだけ。するとようやく、蒋琬は小さく声を出した。



「楊儀(ようぎ)に、謀反の疑いがございます」


 それは、これからの蜀を担っていくであろう、一人の男の名であった。

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