第44話

 やはり、反感を呼ぶ可能性はどうしても避けられなかったのだろう。

 婚礼の儀は、宮中で重臣達のみを呼んで、小規模で行われることになった。

 それでも、この国の皇帝である。

 張彩に対しても申し訳ないと言う気持ちが、より一層劉禅の心に重く圧し掛かった。

 心情的に言えば、いっそのこと派手に祝いたかった。いや、祝って欲しかった。


 誰でも良いから、許して欲しかったのかもしれない。

 この国の主である自分を、

 愛する者を看取る事すらできなかった自分を、

 息子を守れなかった自分を、

 これから婚姻を結ぶ相手を心から愛することの出来ない自分を。


 ただ、例え誰かが許してくれたとしても、他ならぬ自分が、自分を決して許さない。



 婚儀を取り仕切ったのは、董允であった。

 この一件の急な準備から、国内外に対する反感の抑制など、全てにおいて精力的に動いていた。

 既にその齢は六十に届こうとしている。


 本来なら費褘もそれを手伝うべきであったが、どうもこういった人の心に関わる仕事に向かないらしい。

 確かに、費褘は人のプライべートな領域まで土足で踏み込んでくるような性格をしている。

 警戒心というか、そのあたりの壁が皆無なのだ。それを、他人に許させてしまう明るさも備えている。

 あまり人の感情を推し量るのが得意ではない。探るくらいなら、一気に懐に飛び込んでしまう人間であった。


 だからなのだろう。董允はその仕事の全てを引き受け、調整を行った。

 ギラギラとした鋭い気力が、少し痩せている董允から見て取れる。

 その眼光に見据えられている劉禅は、何とも居心地が悪かった。


 雅楽が鳴り、踊り子が舞い、宴席の全てに酒が注がれる。

 この酒は、劉備、張飛の故郷である中華最北の地「幽州」が産地である。

 白く濁っているが飲みやすく、度数が強い。悪酔いのしやすい酒であった。

 穆皇后の合図で、皆が一気にそれを飲み干す。

 心が弱っている時の酒は、体を蝕むように染み渡った。

 用心しなければ、酒毒に溺れてしまいそうになる。


「臣下を代表し、董允が、祝いの挨拶を述べさせていただきます」


 場が少し和やかになった頃、董允が劉禅と張彩の前に出て、深々と拝礼をした。

 低く、そして威圧するように響く声である。空気は、一変した。

 その声色は、まるで死を覚悟しているかのような緊迫感を伴っていたのだ。


「陛下よ、なんという顔をされておられるのか。それが、君主たる者の目か」

 祝辞を述べる場で、董允が祝いの言葉として選んだのは、あろうことか、君主への「諫言」であった。



 自らが懸命に準備を整えたはずのこの場で、全てをぶち壊す行い。

 頑固ではなく、頑迷とも言うべき暴挙に、流石の劉禅も頭に血が上った。

 自分が説教を食らうだけなら良い。しかしこの場は、穆皇后も、多くの重臣もいる。

 そして、悲しき覚悟を据えた張彩もいる。

 何より、この婚儀を取り付けたのは、自分ではなく周囲の人間である。

 諫言を受けるいわれすら、そもそも無いのだ。


「下がれ、董允。場を弁えろ」

「はっはっはっ!陛下のお目付け役となり数十年、言うべき時に進言をする、これを曲げたことは一度も御座いません」

「めでたき席に水を差す様ならば、例え先生であろうと朕は許さぬ」

「許さないとは、斬るという意味で御座いますか?」


 そう言って再び董允は笑い、その場に胡坐をかいて、首を伸ばして頭を劉禅に差し出した。


「この董允を斬れると言うのなら、お斬りなさいませ。先帝より、丞相より、陛下の御身を託されたこの董允を、果たして斬れますかな?」


 董允は、諫言をすることで自分が処刑されるなら、それが最たる誇りだと思っている男であった。

 そんな男に対して、処刑は何の脅しにもならない。むしろ、嬉々として弁舌を滑らかにするだけである。

 周囲の重臣は慌てて董允の前で跪き、助命を乞うた。勿論、劉禅も斬るつもりはない。

 ただ、ここは重臣たちの顔を立てて、董允の命を助けるという形にした。


「先生、命までは取らぬが、この場での諫言は許さん。そして謹慎の処分は避けられないと思われよ」

「いいえ、この老い先短い命など惜しくは御座いませんので、この場で言うべきことを言わせていただきます」

「この……衛兵を呼べ!董允をつまみ出せ!」

 劉禅は額に血管を浮かべ、大声を張り上げる。

 直ちに宴席へ数十人の衛兵がなだれ込み、座り込む董允の体を引き上げた。

 しかし、否が応でも董允は頑なにその場から動こうとしない。

 衛兵らも、人物が人物なだけに、あまり手荒なことは出来ないでいた。


「お待ちください」

 立ち上がり、声を掛けたのは、張彩である。

 怒りに沸く劉禅の拳を、その広い手で包む。すると、その拳に宿る膂力も、やがて柔らかに解けていった。


「董允殿は、この国の忠臣です。私の事ならお気になさらず、聞いて下さいませ」

「しかし張彩……」

「きっと姉上でも、同じことを申し上げたでしょう」

「……分かった。董允を連れ出すのは、話を聞いてからだ。その場で待機せよ」


 衛兵達は董允を離して、その背後に整列した。

 乱れた衣服を正し、董允は張彩に向かって一礼する。

 上げられたその瞳は、老人とは思えない程の力強さが籠っていた。


「臣下、董允、謹んで陛下に拝礼致します」

「面を上げよ、進言を許す」

「有難き幸せ」


 既に雅楽も止まり、踊り子も部屋の端で、不安そうな表情を浮かべている。

 踊り子だけではない。この国の重臣達も、そして、穆皇后も同じような面持ちであった。

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