第24話

「鄧艾よ、やはり蜀軍との戦は避けられぬか」


 悩まし気に郭淮がそう呟くと、鄧艾はその太い首を縦に振った。

 そして近くに置いてある竹簡に何やら文字を綴り始める。

 それを書き終えるまで、郭淮は静かに待つ。


『現在蜀軍は国境を盛んに侵し、調練を繰り返しております。

漢中における兵糧や武具の蓄えは潤沢であり、兵の士気は高い。

そもそも蜀漢は「北伐」を国策の要としております故、攻めてくるのは時間の問題かと。

ただ幸いなことに、蜀の大将軍である蒋琬は病がちだと聞きますので、大きな攻勢には出て来れないでしょう。

今の西方魏軍だけでも、十分に抗し得ます』


 竹簡にはそう書いてあった。

 筆談になると途端に饒舌に語り出す鄧艾に、郭淮はまだ少し慣れていないらしい。


「蒋琬の病は重いのか」

『そのあたりは何とも。間者に探らせてはいますが、詳しい情報までは拾えていません。ただ、複数人の侍医が、頻繁に大将軍府を出入りしているとのことです』

「うむ、蒋琬は元々持病を患ってはいた。一見真実味のある話だが、こちらの目を欺く詐術であるやもしれん、と」

『今はとにかく、国境を侵してくる前線の蜀軍を、徹底して追い返すことが先決です。奴らに良い顔をさせれば、こちらの士気が下がります。ただ、拒み追い返すだけではなく、一度、大きく叩く必要があるでしょう』


 この時点で、既に姜維が少数の兵を連れて、涼州深くまで入り込んでいることを、まだ二人は知らない。

 そして、鄧艾の戦略に目を通し、郭淮は再び唸る。


 国境を侵しているのは、蜀軍の中でも中枢でもあり、最も兵の扱いに慣れているであろう「姜維」と「廖化」である。

 彼らを大きく叩こうとすれば、こちらが痛手を負いかねない。


 姜維は麒麟児と称されるほどに才覚に秀で、平野戦では天才的な指揮を見せつける事で知られていた。


 そして、副将である廖化。

 彼以上に戦を積んできた叩き上げの将軍は居ないであろう。人生のほとんどを戦場で過ごしてきた男である。派手な戦功を挙げることは無いものの、その高い経験値を武器に、戦場での判断を決して誤ることはない。


 それに加え、郭淮は戦が不得手であった。統治の能力や、全体を俯瞰する戦術眼は秀でているものの、局地戦や実際に兵の指揮を執るのはどうも苦手である。

 どうしても戦況を頭で考えすぎてしまい、兵に出す指示が一つも二つも遅れてしまうのだ。


「叩くにはそれなりの兵力、戦略が必要だ。しかしそれでは、大きな戦になってしまうだろう。あくまでも我らは蜀軍を阻むのが務めであり、攻め込むことは許可されていない」

『ならば私に千の兵をお貸し下さい。次に国境を侵してきた蜀軍を、全滅させてご覧に入れます』

「なっ、正気か?たかが千程の兵で何になる。それにお前は副将の位にあるのだ、軽率な行動は許さん」


 鄧艾は頷き、再び地図を書く為に背中を丸めた。


 外では兵が待っている。郭淮は立ち上がり、幕舎を出た。

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