第6話

 燃える様な、熱い目をしていた。諸葛亮亡き後、その人間性は大きく変わった。劉禅は、姜維を見てそう感じた。

 以前は物腰が柔らかく、弁舌も爽やかな、才気溢れる将来有望な武将、という印象であった。しかし今は、向かい合う者全ての心を突き刺す様な、鋭すぎる程に研ぎ澄まされた才気を放っている。


 いや、元からこうだったのだろう。秘めていたものが今、諸葛亮の死をきっかけに、剥き出しになったのだ。

 元は魏の出身の、地方の一武将であった。ただ、諸葛亮の第一次北伐時に蜀軍へ降伏。たった一人の老いた母を魏に残してもなお、諸葛亮の側にいる事を望んだのである。その事実だけを見ても、姜維が内に、相当な苛烈さを持っていたことは分かる。


 年齢は、劉禅より少し上。費褘と変わらないくらいの、若い将軍だった。

「姜維よ、軍装まで整えなくとも良いと言ったであろうに」

「いえ、陛下の矛となり盾となるべき軍人は、如何なる時もその心得を忘れてはなりません」

「融通が利かないというか、何というか。まるで丞相を思い出すな」


 徹頭徹尾、この国の臣下である。諸葛亮も、そんな人物であった。まるで私生活を感じさせない程、常に仕事に臨み、国の行く末を思案する、向かい合う度に息が詰まるほどの緊迫感があった。姜維もそれに似ている。まるで、諸葛亮が乗り移っているのではないかと思う程である。


 周りでは、黄皓がせわしなく動いていた。胡床を運び、茶を用意し、中華全土の描かれた地図を広げている。

 劉禅が良いと促すまで、姜維は胡床に座ろうともせず、地に膝をついて首を垂れたままであった。


「黄皓、下がれ。朕は姜将軍と話がある」

「しばらくの間、宮殿には誰も近づけぬようにいたします」

 色々な準備が整う前に、黄皓を部屋から出した。どうも姜維は黄皓が苦手らしい、その空気が見て取れたからだ。

 宦官に対して嫌悪感を抱く人間は多く、姜維もその一人であった、それだけの話である。無駄に空気を悪くすることも無いと思いながら、黄皓に若干の申し訳なさを感じていた。


「将軍、今宵、呼び出したのは話があった故だ。少し朕の話し相手となって欲しい」

「身に余る光栄でございます」

「まず、伝えておきたいことがある。これは蒋琬の進言によるものだ。その内容というのが、姜将軍に、右監軍および輔漢将軍の位を授けるべし、と。加えて、蒋琬の下で諸軍を統括する権限を将軍に持ってもらいたい」

「それは何故……まだ私は、若輩の身であり、蜀漢の臣下となって十年も経っておりません」

「蒋琬は大将軍となりはしたものの、根っからの文官なのだ。戦略は描けても、実戦に挑んだことは無く、戦に関する軍略や戦術は素人同然。だからこそ、優秀な将軍を傍に置きたいと、そなたを朕に推挙した。今は、ただ、才有るものを登用する。年齢も、出身も関係ない。そうしなければ、蜀漢は滅びの一途を辿るしかない。だからこそ、丞相に戦の天才とまで言わせしめた姜将軍に、蒋琬の、蜀漢の矛となってもらいたい」


 姜維は力を込めて拱手し、頭を下げる。


「謹んで、お受けいたします」

 なるほど、確かに劇薬だ。董允の言葉を思い出す。

 一度、姜維は謙遜して任命を拒むような物言いはしたものの、その気が無いことは明らかであった。自分こそが軍を率いるのだと、そういった意志をはっきりと感じる。

 己に相当な自信があるのだろうか。姜維は何を見据え、何に燃えているのだろうか。恐らく、自分とは正対に国の将来を見据えている。苛烈な、修羅の道。それは、何となく分かった。

 劉禅は熱を持つ自身の心を抑える。このまま呑まれてしまえば、この国にはきっと、血が通わなくなる。本来、この蜀漢という国はそうあるべきなのだろう。しかし、劉禅はそれを望んでいない。


「将軍の力を認めているのは、蒋琬だけではない。鄧芝将軍を始めとした主だった武官達も皆、姜将軍に期待している」

「必ずや、期待を裏切らぬ働きをお見せいたします」

「いや、今日はその話をしたくて呼んだわけではないんだ。これなら、文武百官の前で任命すれば良い」


 地図に、目を落とす。

 蜀の治める益州は、やはり小さい。

 姜維もまた劉禅に合わせるように、中華全土の描かれた地図に目を向ける。


「ここでの話は、内密にしてほしい」

「御意」


「……朕は、本当に北伐が成るとは、思えぬのだ。魏と、蜀の国力差がどれほどあるか、知っているか?」

「蜀軍が常に維持できる兵力はおよそ十五万が最大、されど魏軍は常に七十万以上の兵力の維持が可能。蜀と呉に兵力を回してもなお、余力が残ります」

「そう、あまりにも大きな差だ。父帝も、相父ですら、長安を奪うまでにも至らなかった。北伐の足掛かりすら、奪えていないのだ。呉も、天下への道など目指しておらず、常に魏と蜀の足をすくう機会ばかりを狙っている。将軍よ、教えてほしい。朕は、如何にこの国に道を示せば良いのであろうか」


「無論、北伐に御座います」


 即答であった。一点の曇りもなく、迷いもなく。姜維は身を乗り出して地図を指す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る