4月25日(水) 曇りのち雨 1

 今日はちょっと頭が痛い。

 お母さんが仕事に行くのを見送ってから、テーブルに用意されている朝食を食べる。

 お皿の上にのっているのは、お母さんの作ってくれたハムエッグ。ブロッコリーとプチトマトがちょこんと添えられている。私はそれを半分くらい食べてから、ラップをかけて冷蔵庫にしまった。

 窓の外はまだどんよりと曇ったままだった。使ったマグカップを洗って、病院でもらった鎮痛剤を飲み、自分の部屋に戻り机に向かう。

 担任の先生が持ってきてくれた、新しい学年の教科書。パラパラとめくってみたけれど、さっぱり意味がわからず、なにもしないでそのまま閉じた。

 こんなことを毎日繰り返している自分に、嫌気がさす。そして今日もぼんやり考える。

 私が生きている意味なんて、あるのかなって。

 考えていると悲しくなってきて、私は本を開いた。物語の世界に入り込んでいる間だけは、嫌なことも忘れられる。


 夢中で活字を追っていたら、部屋のガラス窓に、水滴がついていることに気づいた。

 雨だ。

 時計を見ると、もう昼過ぎだった。本を閉じ、ガラス窓を開ける。庭の緑の葉っぱが、雨粒で濡れている。

 私はトートバッグの中に本をしまった。そしてジーンズを穿いて、階段を駆け下りる。

 なんでこんなに急いでいるんだろう。

 自分でもわからないまま、玄関を開けて傘を開いた。

 とりあえず、本を返しにいかなくちゃ。この傘の陰に隠れて、誰にも見つからないように。


 小雨の降る中、図書館に向かって歩く。地面をしっとりと濡らしていくのは、あたたかい春の雨。傘をさした大人たちは、急ぎ足で私の横を素通りして行く。

 車道を走る車が、水しぶきをあげて私を追い越した。傘を低くさし、足を速める。

 そのときだった。

「あら、芽衣ちゃんじゃない?」

 突然名前を呼ばれて、足が止まった。心臓がどきんと跳ねあがるのがわかる。

「久しぶり。元気なの?」

 マスクを鼻の上まで押し上げ、傘の中でゆっくりと振り返る。目の前に立っているおばさんが、私の姿を観察するように眺めたあと、とってつけたような笑顔を見せる。私はすぐに視線をそらし、うつむいた。

愛菜まながね、心配してるのよ? 芽衣ちゃん、いつになったら学校来れるかなぁって」

 頭がまたズキズキと痛んだ。傘を持つ手に、じんわりと汗がにじむ。

「朝、芽衣ちゃんちに寄って、誘ってあげなさいよって言ってるんだけど。あの子、部活の朝練があったりで、なかなか……ごめんね?」

 私はなんとか、首を横に振る。

「今年は芽衣ちゃんとクラス離れちゃったみたいだけど、愛菜も待ってるから。だからがんばってね」

 おばさんはもう一度笑顔を見せると、「じゃあね」と言って、私の前からいなくなった。


 がんばってねって、なに?

 心の中でつぶやく。

 私、なにをがんばればいいの?

 吐き出したい声を、必死に抑える。

 ざわつく教室。甲高い笑い声。私に向けられる冷たい視線。去っていく愛菜ちゃんたちの背中。

 私、なにかしちゃった? なんで私を無視するの? 何度も何度も考えた。考えたのに、わからない。

 きっと私が悪いんだ――。


 急に手が震え出し、持っていた傘が足元に転がった。あわててトートバッグを胸に抱え、しゃがみこんで手を伸ばす。

 だけど私の手は、傘をつかめない。手が震えて。身体も震えて。心も震えて……怖い。

 歩道の真ん中で、しゃがみこんだまま動けなくなった。雨が私の髪と背中を濡らしていき、私は身体を丸めて、本の入ったバッグを抱きしめる。

 ふと、目の前で立ち止まるスニーカーが見えた。雨の中に転がっている傘を、伸びた手が拾い上げる。

「なにやってんだよ? こんなところで」

 聞き覚えのある、低い声。私は震えながら、顔を上げる。

「なにやってんだよ。お前」

 透明なビニール傘をさした制服姿の男の子が、不機嫌そうに私を見下ろし、拾った傘をさしかけた。

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