4月10日(水) 晴れ
校舎を出てから正門まで、桜並木が続いている。満開を過ぎた桜の木からは、花びらが風に乗って舞い落ちてくる。
「さくらさんの入院する日、決まった?」
私はその桜の下を歩いていた。音羽くんと並んで、同じ制服を着て。
「うん。一週間後の水曜日だってさ」
隣を歩く音羽くんが、そう答える。
この前の検査で、さくらさんの病気が再発していることがわかった。さくらさんは今日でお店を閉めて、治療のためしばらく入院するのだという。
「……大丈夫?」
ちらりと音羽くんの横顔を見る。
「大丈夫だよ。全然元気でさ、あいかわらず口うるさいし……」
「違うよ。さくらさんじゃなくて、音羽くんが」
音羽くんが立ち止まり、私の顔を見る。私も同じように立ち止まる。
同じ制服を着た生徒たちが、あかるい笑い声を立てながら、私たちを追い越していく。
「大丈夫だよ」
音羽くんがそう言って笑った。
「もういちいち落ち込んでられないよ。さくらさんとさ、この病気とは一生つきあっていくしかないんだねって、覚悟を決めたんだ」
「そっか……」
「強く……ならなきゃな」
ひとり言のように、音羽くんがつぶやく。
あの台風の夜、この頼りない手で音羽くんを抱きしめた。音羽くんは私の腕の中で震えていた。
「でも、無理しないでね」
私は音羽くんに言った。
「私も……いるから」
音羽くんはふっと笑うと、私の頭をくしゃっとなでた。
「頼りにしてる」
私たちの上から、桜の花びらが落ちてくる。はらはらと、雪のように。
恥ずかしくなって肩をすくめた。音羽くんはすぐに手を離して、私に言う。
「俺さ、バイトもはじめたんだ」
「バイト?」
「うん。父さんの知り合いのパン屋で、バイトさせてくれるっていうから」
「あっ、音羽くんが修行させてもらいたいって言ってたとこ?」
「さくらさんはあいかわらず反対してるんだけど」
音羽くんは小さく笑ったあと、私を見て言った。
「でも俺はあきらめないよ」
私は音羽くんの声を聞く。
「卒業するまでに、絶対さくらさんを説得してやる」
「うん」
「そんでさくらさんが泣いて喜ぶくらいの、うまいパンを作ってやる」
パンの話をするときの音羽くんの目、すごく真剣で、私は好きだ。
またひとつ増えた、音羽くんの目標。
でもたぶん、さくらさんの気持ちは決まってる。音羽くんのことを心配しながらも、きっと音羽くんの進みたい道を見守ってくれるはず。
「めーい!」
そのとき、後ろから声がかかった。振り返ると、友達が私たちに駆け寄ってきた。
「こんにちは! 音羽先輩ですよね!」
「先輩のことは、芽衣から聞いてます!」
ふたりが、にやにやしながら音羽くんの顔を見上げている。
「ああ……どうも」
音羽くんは苦笑いをして頭をかいた。
「これからも芽衣のこと、よろしくお願いします!」
ふたりはそう言うと、私に「じゃあ、またね!」と言い、きゃーきゃー騒ぎながら行ってしまった。
「……なんだ、あれ」
「中学からの友達なの」
ふたりに、音羽くんのことは話してあった。
「へぇ、お前、友達いたんだ」
音羽くんが小さく笑って私を見る。
そういえば前に音羽くん、私の友達になってくれるって言ったっけ。
「音羽くんは? 友達いないんだっけ? 私が友達になってあげようか?」
「うるせぇな。ほっとけ」
ははっと笑った音羽くんがまた歩き出す。私はそんな音羽くんの隣を歩く。
高校生になって、わかったこと。
友達なんかいなくていいって言っていた音羽くんだけど、他の先輩たちと楽しそうに話している姿を何度も見た。さっきだって、女の先輩から声をかけられていたし。
私はまだ、音羽くんのことを、全然知らない。だけどこれからもっと、音羽くんのことを知っていけばいいんだ。
「今日、うち来るだろ?」
「うん」
「さくらさん、クリームパン作って待ってるって」
私は音羽くんの前で笑顔を見せる。
学校の門を出て、ふたりで歩く。入学してまだ数日だけど、私たちは毎日こうやって歩いている。音羽くんが卒業するまでの一年間、こうやって歩ければいい。そしてそのあとも、やっぱりふたりで……。
角を曲がると、長い坂道が見えた。そこで音羽くんは立ち止まる。
「んっ」
差し出された手のひらに、私の手をそっとのせる。そしてそのまま手をつなぎ、私たちは坂道をのぼる。坂の上にある、小さなお店を目指して。
一本の大きな木には桜の花が咲いていた。一年前と同じ桜だ。そしてその木の下で、私たちに手を振っているひとの姿。
「おかえりー!」
大きな声でそう言って、さくらさんが手を振る。
「な? とても病人には見えないだろ?」
音羽くんが耳元で、いたずらっぽくささやく。私は小さく微笑んで、つないだ手をぎゅっとにぎる。そしてもう片方の手を高く上げて、大きく振った。
「ただいま! さくらさん!」
春の風が吹く。桜の花びらがふわっと舞う。
季節は変わる。私たちも変わる。一日一日、私たちは生きている。
ただ消化するだけだった毎日は、とても大切な日々に変わっていた。
水曜日のパン屋さん 水瀬さら @narumiyu
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