第4章 ママに会いに

6月20日(水) 雨 1

 今日お母さんと学校に行った。担任の先生と話し合って、明日から教室とは別の部屋に登校してみることになった。そこには私の他にも不登校の生徒が通っているという。

「まだすごく……不安なんですけど」

 私はそれを、さくらさんに伝えたくて、お店に来ていた。いつもよりも遅い時間。お母さんに出かけてくると話して、家を出た。外は雨が降っていた。

 さくらさんはにっこり微笑むと、私の背中をぽんぽんとやさしく叩いた。


「芽衣ちゃんは偉いよ。がんばってるね」

「そうでしょうか……」

 お母さんや先生に迷惑をかけて……こんなのがんばってるとは言えない。

「がんばってるよ。うちの息子も、ちょっとは見習ってほしいよね」

 さくらさんは、レジの向こう側に座って雑誌を読んでいる音羽くんを見る。

「音羽ー。あんた明日はちゃんと学校行くんだよ?」

「いいじゃん。店番手伝ってるんだし。明日は行くよ」

「最近サボり癖が復活しちゃってねぇ、しょうがないの」

 さくらさんは私に顔を向け、あきれたように言う。

 でも私も苦笑いをするだけだ。音羽くんのことをとやかく言えるわけもない。

 それに私が学校に行ってみようと思ったのは、音羽くんのおかげだから。


 ドアのベルがカランと鳴る。

「いらっしゃいませ」

 さくらさんの明るい声。ドアから入ってきたのは、小さい男の子とお父さんだった。

「こんばんは」

 スーツを着たお父さんがさくらさんに言った。

「あら、こんばんは。お久しぶりです。今日はカンちゃん、パパと一緒なんだね?」

 さくらさんがしゃがみこみ、男の子の顔をのぞきこむ。お父さんのスーツの裾を、ぎゅっとにぎったその子は、さくらさんの顔を見て、口をへの字に曲げた。

「すみません。ちょっと寛太、機嫌が悪くて」

 お父さんが困ったように頭をかく。さくらさんはくすっと笑うと、棚に並んだひとつのカゴを手にとって、寛太くんに見せた。


「ほら、カンちゃんのパン。今日も焼いておいたよ?」

 それはパンダの顔のパンだった。ああ、そうか。さくらさんは、この子のリクエストでこのパンを作ったんだ。

「寛太。よかったなぁ。パンダのパン、買っていこう」

 けれど寛太くんは、まだぶすっとしたまま、小さな声でつぶやいた。

「……ママのとこ、行く」

「寛太」

 お父さんが寛太くんの前にしゃがみこむ。

「しばらく行けないって言っただろ? 土曜日の夜にはおばあちゃんが来てくれるから」

「やだ。パンダさんのパン持って、ママのとこに行く!」

 寛太くんが泣きそうな声で叫ぶ。


「どうしたんですか?」

 さくらさんの声に、お父さんが困った顔で答えた。

「実は、妻が入院してしまいまして……」

「あ、もう産まれる時期でしたっけ?」

「いえ、まだなんですけど、切迫早産で絶対安静と言われてしまい……妻は持病もあるものですから、大学病院のほうにお世話になっているんです」

「そうだったの……」

「週末はこの子を連れて会いに行く約束をしてたんですが、どうしてもはずせない出張と重なってしまって」

 お父さんはそこまで言うと、寛太くんの頭をぽんっと叩いた。

「来週のお休みには、必ずママの病院連れていってあげるから」

「やだ、やだ! どよーびは行けるって、パパ言った! どよーびにパンダさんのパン持ってってあげるって、ママと約束したんだもん!」

「だからそれは……」

「やだ! パパのバカっ!」

 寛太くんが怒って、お父さんのお腹をぽかぽかと叩く。お父さんは苦笑いをして、私たちを見た。


「すみません。母親が入院してから、わがままがひどくなって……」

「いいんですよ。カンちゃん、ママに会いたいんだよね?」

 寛太くんは手を止めると、今度はめそめそと泣きだしてしまった。

「さ、寛太。パンダさんのパン買ってあげるから。今日はおうちに帰ろう、な?」

 お父さんはそう言うと、さくらさんに言った。

「じゃあこのパンと、それとクロワッサンもいただけますか?」

「はい。ちょっとお待ちくださいね」

 さくらさんがパンを取って、レジへ向かう。それと入れ違いに、音羽くんが出てきた。そして黙って寛太くんの前にしゃがみ込む。


「あのさ……」

 寛太くんが泣くのを一瞬やめて、音羽くんを見た。

「俺が連れていってあげようか? ママのところに」

「えっ、いいの?」

「土曜日だったらいいよ。その代わり、明日とあさってはちゃんと保育園行けよ? 俺も学校行くから」

「うん! わかった!」

 寛太くんの顔がぱあっと明るくなる。私は少しあわてて口を出す。

「ちょっ、音羽くん! 勝手にそんな約束していいの?」

「大丈夫だろ? お前も来る?」

「えっ……」

 私も? 戸惑う私の服を、寛太くんが握った。

「お姉ちゃんも行く? みんなで行こうよ。ママのところに」

「おい、寛太。なに言ってるんだ? そんなの無理に決まってるだろう?」

 さくらさんからパンを受け取ったお父さんが言う。


「俺は全然かまいませんよ。どうせ暇だし。芽衣も暇だよな?」

 勝手に決めつけないで欲しいけど。でも家で本を読むくらいしか用事はない。

「はい。私も大丈夫です」

「それいいね。ふたりで連れてってあげなさいよ」

 さくらさんも、うんうんとうなずいている。

「それではお言葉に甘えて……お願いします」

 お父さんが私たちに言う。音羽くんは寛太くんの頭をふわふわとなでる。

「よかったじゃん。ママに会えるな」

「うん! パンダさんのパン、ママに持ってく!」

「じゃあ焼き立てのやつにしよ。そのほうがうまいから」

 私は胸をどきどきさせていた。遠くに行くのは少しこわいけど、音羽くんと出かけられることは、ちょっと嬉しかった。それに……パンダのパン、音羽くんが作るつもりなのかな。


「何から何まで……ご迷惑かけます」

 お父さんがそう言って頭を下げる。

「じゃあ、どよーび! やくそくね!」

「ああ、約束な」

 寛太くんと音羽くんが手をぱちんっと叩いて、「ばいばい」とお店を出ていく。私も手を振って、寛太くんとお父さんを見送る。

「そういうわけで。土曜日よろしく」

 ドアが閉まると、音羽くんは私とさくらさんにそう言った。

「あんたが作るつもりなの?」

「作るよ」

「そう」

 さくらさんが静かに微笑む。なんだかさくらさんは嬉しそうだ。

 そういえばこの前のチョココロネ、すっごくおいしかったって、まだ音羽くんに伝えていなかった。

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