5月9日(水) 晴れ 2
そのあともさくらさんのお手伝いをして、パンを三つ買った。お父さんとお母さんと私の分だ。
「今日もありがとうね」
さくらさんが店の前まで送ってくれる。
「あの……」
「ん?」
私はさくらさんに聞く。
「また来週も……来ていいですか?」
「なに言ってるの。来ていいに決まってるじゃない」
さくらさんがくすくすと笑う。私は少しほっとする。
「じゃあまた来週も……来ます」
「うん。待ってるよ。芽衣ちゃん」
手を振ってさくらさんと別れた。
パンを大事に抱えて坂道を下りる。今日はまだ早い時間だ。下校時の生徒たちに会うことはない。それでも誰にも会わないように、うつむきがちに早足で歩いていたら、坂の下からのぼってくる人影が見えた。
「あ……」
坂の途中で立ち止まる。コンビニの袋を揺らしながら、坂道をのぼってきたのは音羽くんだった。
「なんだ、お前か」
音羽くんも立ち止まる。
「今日はひとりで帰れるのか? おうちに」
ちょっと意地悪っぽく言った音羽くんが、にやっと口元をゆるませる。
「だ、大丈夫です! ひとりで帰れます!」
「あっそ」
音羽くんが私から顔をそむけて歩き出す。私はその背中を呼び止める。
「あのっ!」
「なんだよ?」
面倒くさそうに振り返った音羽くんに、私は言った。
「私、来週も来ます。雨が降っても、降ってなくても」
音羽くんはじっと私の顔を見たあと、ふっと笑ってつぶやく。
「へんなやつ」
そして私に背中を向けて、歩き出そうとして足を止めた。
「お前さぁ、名前なんだっけ?」
振り返って私に聞く。
「芽衣です。黒崎芽衣」
「ふうん。で、俺の名前は知ってる?」
「し、知ってます」
「言ってみ?」
やだな。すごく緊張する。
「森戸……音羽くん」
「だったらそう呼んで。『あのっ』とかじゃなく」
「あ、はい」
私が姿勢を正して答えると、音羽くんは「へんなやつ」ともう一回言って、笑った。
「ああ、じゃあこれ、芽衣にやる」
「え?」
音羽くんがガサガサとコンビニの袋をあさる。
「あった。これこれ。手ぇ出して」
恐る恐る手のひらを差し出すと、音羽くんはその上になにか小さな物をのせた。
「コンビニのクジで当たった。芽衣にやるよ」
私は手のひらの上を見る。ビニールの袋に入ったそれは、ヘンな顔をした猫のキャラクターがついたキーホルダーだった。いま流行の『ブサカワ』ってやつか。
「かわいーだろ?」
音羽くんは全然心のこもってない声でそう言うと、おかしそうに笑って、また歩き出そうとする。
かわいくないけど。かわいくないから、いらないんだと思うけど。でも音羽くんが私にくれた。私のことを、ちょっとでも気にしてくれた。
「あのっ……」
声をかけてから、言い直す。
「お、音羽くん!」
音羽くんが振り返る。振り返って私を見る。
「ありがとう」
私の声に、音羽くんはにやっと口元をゆるませる。
「それ、お前に似てるよな?」
あわててマスクを押し上げて、キーホルダーをぎゅっとにぎる。
『ブサイク』のほう? まさか『カワイイ』のほうじゃないよね?
音羽くんは満足そうに笑いながら、コンビニの袋を揺らして、遠ざかっていく。
そんな音羽くんの背中を見送ってから、私は坂道を駆け下りた。
「芽衣ー、パン買ってきてくれたのね?」
リビングのソファーで本を読んでいたら、キッチンからお母さんの声が聞こえた。
「うん」
「あ、今日はクロワッサンだ。おいしそう!」
お母さんの嬉しそうな声。それを聞いて、私も嬉しくなる。自分で作ったわけじゃないけど。
膝の上で本を閉じた。いつものトートバッグにそれをしまう。そのバッグには、さっき音羽くんからもらった、ブサカワ猫のキーホルダーが揺れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます