第11話 形づくる 前編 2/3

 人形は封じた。結界も維持できる。だから儂がこのまま、ここにいれば……それですべてが解決する。

か……」


 結が言っていた。儂のいう解決とは、儂が解釈し終えることだ、と。それは事実だ。儂は、関わった者たちが納得して救われるような、本当の解決というものには興味がない。しかし今にして思えば、それは酷く身勝手な話だった。


 自分が知りたいことだけを知るために、他人を使うような関わり方。それは、調べ物として見れば有効で、効率的な方法だったのだろう。だけど、儂が本当に知りたかったこと――“幸せになってほしい”というゼツの言葉の意味を知るためには、勇み足が過ぎたのかもしれない。


 だから、こんな形で全てを手放さねばならなくなったのかも。身体が冷たくなるのがわかる。だが、意識だけは鮮明で、痛みも寒さも、知覚し続けている。人形も同じ苦しみの中にいるはずだ。儂の命が擦り切れるころには、人形も消え失せているだろう。


 だから、これでお終いだ。


 視界がぼやけていく。音も遠ざかる。辛うじて残った嗅覚は、手足からしたたる血の香りだけしか感じ取ってはくれない。時間の感覚も、とっくになくなった。ああ、痛い。痛い。


「儂は、何がしたかったのかのぉ……」

 延々と続く痛みの中で、考えにふける。ゼツに会いたかったのか。それとも、結に会いたかったのか。ゼツが守ろうとした者が守れるなら、こんな痛み大したことない、と思えるのか。儂が守りたいと思った物だから、こんな痛みにも耐えられるのか。


「幸せというのは、難しいの……」

 視界はもう何も捉えてはくれない。目を開けている意味がなくなったのでまぶたを閉じる。ああ、痛い。痛い。


 人形の悲鳴を思い出す。会いたい、会いたい、あいたい、あいたい、いたい、いたい。まるで今の儂と同じだ。儂と同調した人形は、あるいは、同調などしなくても似た者同士だったのだろう。痛みも、寒さも、きっとずっと抱えていたのだ。


 娘に会うために呪術を成し遂げ、娘の形をした呪物を作った族長――いや、人形の父親。生きるために加担した祠の一族。人形を生み出すために使われた旅人の無念。願いから生まれ、願いを叶えようとした人形のさが。皆、誰かを想っていたのだ。


「誰も彼も、似たようなもんじゃなぁ……」

 愛情と執着は同じ物だ。理想と妄想は同じ物だ。願いと呪いは同じ物だ。想いなど、他人にわかるものじゃない。どれかが美しくて、どれかがみにくいなんてことはない。どれも、同じように意味がある。


 儂は、独りで考えるべきではなかった。誰かに聞けばよかった。誰かと一緒に考えればよかった。誰かに教えてもらえばよかった。目の前にある愛情を、執着を、理想を、妄想を、願いを、呪いを、解釈だけで終えるべきではなかった。


「ああ、酷いなぁ……」

 全ては終わった。ここで終わった。もう、取り戻せない。でも、守れたから。


 だから、これでお終いだ。



 鼻が鉄錆てつさび以外の匂いを捉えた。結の匂いだ。なぜ?どうやって?疑問が浮かぶがそれを口にできない。喉が干からびて貼りついているせいで、声を出すだけでも痛みが走る。


 匂いを手がかりに状況を把握する。どうやら結界に込めた念をたどって、儂の心の中に入ってきたらしい。そんなやり口教えていないのに、本当に賢く、無茶をする子だ。

「……結?」

 痛みに耐えて、その名を呼ぶ。


 一度呼ぶと、歯止めが効かなくなる。

 結。結。結。

 頭が、喉が、心が何度も名前を呼んだ。

「結か……?」


 結の返事は聞こえない。耳がもう役に立たない。しかし、結の匂いがそこにある。何かをするつもりなのだろう。それも、とても無茶なことを。怖がっているのがわかる。それでも、何とかしようとしていることもわかる。儂を助けようとしているのがわかる。


 涙が流れる。流れたと思った。だが、目がもう役に立たない。涙をこぼすこともできない。ただひたすらに乾き、痛んでいくだけだ。顔が見たい。声が聴きたい。手に触れて欲しい。ああ、痛い、痛い、痛い。


 結の額が触れた。


 暖かな熱が伝わってくる。全身の痛みを束の間忘れた。痛みも、寒さもない。満たされた。たった、それだけで儂は救われた。


 触れ合った額から結が何をする気なのか、何を考えているのか、伝わってくる。目も耳も使えなくても、儂をどれだけ想ってくれているのか、温もりと共に伝わってくる。ああ、なんとあっけない。知りたかったことは、ずっとそこにあったんじゃないか。


「阿呆……」

 もう今の儂には、そうつぶやくことしかできない。

「……100年、早いわ」

 言っても聞かないだろう。まったく、儂にこんな想いをさせるなんて。生意気な男だ。


「すみません。100年も待てないんで」

「……あほう」



 痛みの中、結の匂いが近づいてくる。石段を慎重に登ってくる。慎重に、慎重に、近づいてくる。

「気を付けるんじゃぞ……」

 心の中で祈るようにつぶやく。


 結は、人形の中にゼツがいることに気がついている。結界の外に出た臭いから、人形の状態も儂の状態も推測した上で、出所のわからない“もう一つの臭い”をかぎ取った。そして、儂から聞いた話からゼツの行動をも推測したということだ。


 だから、本当に驚いた。ゼツがしようとしていたこと。し続けていたこと。そして、これから結がしようとしていることは、儂にはつゆほども考えつかないことだった。


 鳥居から入らず、やぶの中を結が進んでいく。隠遁術を使っているから今、こちらに向かっていると知っている儂にはわかっても、人形にはわからないだろう。まして、神谷結という人間の存在を知ってすらいないゼツは、気がつけるわけがない。


 藪に潜んだ結が、ジッとこちらに意識を向けている。ゼツの位置を掴んでいる。ゆっくりと呼吸を整えているのがわかる。これ以上近づけば、存在に知られる。だから、一気に走り込むつもりだろう。


 来る。


 藪から走り出た結は全速力でこちらに向かってくる。人形はそれに反応する。封印による激烈な痛みに耐えながら、身をよじって突如として現れた何者かに攻撃態勢を整える。悪臭が渦を巻く。


 儂も同じ痛みに耐えながら、動く。ああ、痛い。痛い。だが、ちっとも寒くない。このがあれば、戦える。

「……!」

 声は出ない。それでも、力を使うことはできる。


 無理やりに、力づくで、必死に人形を押さえつける。しかし、人形もそれを跳ねのけようと押し返す。結が走るのがわかる。匂いが近づいてくる。


 決意の匂いだ。今ならわかる。ゼツが人形の前に飛び出したとき、いつもは感じることができなかった―― 一度も表に出さずにしまい込んでいたゼツの心が、少しだけ外に出たのだ。あれは、決意の匂いだったのだ。


「……結!!」

 限界だ。力が抜ける。悪臭が渦を、結を飲み込む。目を背けたかった。耳をふさぎたかった。どちらももう、機能していないのに儂は両手で顔を覆った。


 だが、結は立っている。匂いが、そこにある。決意の匂いが悪臭の中心で、混ざらず、消えず、そこにある。間に合った。


 結の声が響いた。

「ゼツさん! 話があります!」

 ああ、耳が聞こえる。目が見える。結が、札に額を当てた。


「行ってこい」

 声が出る。

「人形を……救ってやってくれ……」

 涙が出る。


 痛くも、寒くもない。寂しくも、怖くもない。

「ありがとう」

 不意に口から漏れたこの言葉を、直接、お前に言いたいんだ。だから、早く帰ってこい。結。

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