第7話 なぞる 3/3
家に帰り、手早く外泊の準備を整えた。ちょうどよく夕飯に呼ばれた俺は両親が食卓についた後、八白宅へ泊まることを伝えた。横で聞いていた紬が羨ましそうに言う。
「えー、良いなぁ。シロちゃん
「いや、遊びに行く訳じゃないから」
「え? 何しに行くの?」
「修行……かな?」
それを聞いた母が少し苛立たし気に言う。
「何の修行よ。霊能力者にでもなるの?」
「いや、護身術みたいなもんだよ」
「……そういうことなら、いいけど」
母は腑に落ちない顔をしている。母の顔を見て、倒れた日のことをもう一度思い出した。そして、俺は一つの疑問に気が付いた。
「ねぇ、俺って小学生のころに山で倒れたことあったよね?」
「あったわね。ほんと、あのときは大騒ぎだったんだからね。シロさんがどうにかしてくれたみたいだけど」
「結が倒れたのなんて後にも先にも、あのときだけだったからな」
父も思い出深そうに言う。
「俺が自分で言うのも変だけど、そんなことがあったのになんで山に行くのを禁止しなかったの?」
「「言っても聞かないし、シロさんに預けた方が安心だから」」
父と母が声を揃えて言った。当時の俺への評価――“言っても聞かない”は、八白を含めて保護者三人の共通見解のようだ。
「それにな」
父が続ける。
「ウチの家系の問題でもあるからさ」
「知ってたの?」
「え? いや、こっちのセリフなんだけど。結こそ、なんで知ってるんだ」
「シロから聞いたんだよ」
「そうか。シロさんには何から何まで任せきりにしちゃったな。ほんとは父から子に言い伝える物なんだけど」
少し言い淀んだ父の沈黙に、紬が口を挟んだ。
「何の話?」
「紬にはもっと大きくなってから話すよ」
「えー、気になる」
俺としても神谷家と人形との因縁は、紬に聞かせたい話ではない。話題を変えようとして俺も口を挟む。
「とりあえず、山に出入りできていた理由はわかったよ。事情が事情だからシロと一緒にいた方がよかったんだね」
「そうよ。お世話になってるんだから、しっかりしなきゃだめよ」
「お兄ちゃんは修行しにいくんだもんね。頑張って」
夕飯を食べ終えた俺は、母と紬から𠮟咤激励を受けて玄関に向かった。
靴を履いているとき、玄関で父が声をかけてきた。振り向くと5000円札が差し出された。
「え? 何、突然」
「これでシロさんに何かお土産買ってあげてくれ」
「うえ、メンドクサイなぁ」
「お世話になっておりますってことと、あとシロさんの好みは結の方がくわしいだろうから、お前に任せたいんだ」
「わかったよ」
「お釣りは小遣いにして良いぞ」
そう聞いた俺は、お土産はコンビニのお稲荷さんで済まそうと決意した。
◆
「八白さーん。戻りましたよー」
俺は八白宅の玄関で声をかける。すると、すぐ横から声がした。
「おう、今開けるぞ」
俺の横に八白が立っていた。玄関の前で、俺と並んで立っている。
「いつの間に!?」
「お前が家を出てからずっと横におったぞ」
「俺の家からずっとですか?」
「いや、お前が儂の家を出たところからずっとじゃよ。あと、夕飯のおかずも一口頂いた。気がつかんかったじゃろ?」
どうやら八白は、俺の後をずっとついて来ていたらしい。認識できなかった。俺だけじゃなく、家族も認識できないまま夕食の時にもいたという。
「ちょっと、悪趣味すぎませんか?」
「趣味でやっとる訳じゃない。ほれ」
八白は札を一枚取り出した。
「お前が書いた隠遁術の札じゃ。しっかり利いておったろ?」
「効果のテストですか」
「いや、そうじゃない。自信を持て、という話じゃ」
俺の札は俺自身も俺の家族も騙しきった、だから自信を持てというわけか。自分に札を使っても効果のほどがイマイチ分からずにいたことを、八白に見抜かれていたらしい。
戸を開けた八白が手招きする
「はよ入れ。はやく稲荷を食べたい」
「はいはい、土産買うときも横にいたんですね……って、あれ?俺、こんなにたくさん買ったっけ?」
「儂が入れておいた」
「ちょ!? いつの間に!?」
「まぁ、儂の術を組み合わせれば、ちょろいもんじゃよ」
俺が持つコンビニのビニール袋の中には、20パックほどのお稲荷さんが入っていた。
「俺の小遣い……」
「お釣りは財布に入れといたぞ」
「こんなに食べられないでしょ!?」
「なぁに、儂の冷蔵術で三日は持たせられるわ」
「冷蔵術って……冷蔵庫に突っ込むだけでしょ」
そんなにガッつかなくても言えば買ってきたのにと思いながら、クククと笑う八白の後ろについて俺はいつもの居間に入った。
一息ついてから俺は札作りを再開した。八白はそれを見ながらお稲荷さんを食べている。書き写す札は複雑になり、書き終えるまでにかかる時間も長くなっていた。昼から書き続けた疲れがそれに拍車をかけている。俺は一時間ほどかけてようやく4枚書き終えた。
それを見て八白が声をかけてきた。
「一旦休憩して、札のおさらいといこうかの。まず、この札が何かわかるか?」
「最初にやった魔除けの札ですよね」
「そうじゃ。正確に言うなら呪い除けや、感情除けとでも言った方がいいかの」
「どう違うんですか?」
「不吉な物と言っても、不吉な場、不吉な時間、不吉な情、といろいろあるんじゃ。この札で防げるのは、誰かから向けられた不吉だけじゃ」
「自分から危ない場所に乗り込んだとしたら、機能しないってことですか?」
「そうじゃな。あくまで火の粉を払う程度の基本的な術じゃ。自分から火の中に飛び込んでも守り切れん」
八白は続ける
「次はこれ」
「隠遁術ですね」
「うむ。効果も確認済みじゃ。安心して使え」
「これって格上相手だと見破られたりするんですか?」
「当然じゃな。ただし、相当な実力差が無ければ無意識に見破られることはない。相手に見破ろうとする意識を持たせなければ、より効果的じゃな」
「不意打ちなら、格上にも効く……と」
「次はこれじゃ」
「これも隠遁術の一種ですよね。心を隠す術です」
「そうじゃ。お前が知りたがっていた術じゃな。そして、こっちは?」
「読心術ですね。似てるからわかりやすいです」
「うむ。正解じゃ」
「心を隠す術があっても、八白さんには効かないんですよね」
「格上には効かんな。さっきの隠遁術とは違って、相手が心を読もうと意識しているのが前提じゃから破られる」
「ところで、心の中ってどんな感じなんですか?」
「ふむ……ちょっとだけ覗かせてやろうかの」
八白は自分の
「おわっ!?」
「こんな感じじゃ。はい、おしまいじゃ」
白い空間の中の八白がそう言うやいなや、俺は現実に帰ってきた。俺から額を離した八白は淡々と次の問題を用意している。
「次じゃ」
「これは結界術、でしたよね。何枚も貼り付けると強力になるとか」
「うむ。よく覚えておるな。簡単な結界術を込めた札は、封印にも使えるし、身を護るためにも使える」
「バリアーみたいな効果もあるんですね」
「例えると磁石かの? 近づくほど遠ざける力が増すんじゃ。直接貼れば最大の効果で相手を押し潰すし、場所や自分に貼れば近づこうとする相手を弾き出せる」
「便利そうですね」
「一方で、同じだけの力を術者にも要求するもんじゃから、生身で使っておると押し負けたときに大怪我するんじゃ」
「封じるのって結構大変なんですね」
「そうじゃな、封じるより
休憩を兼ねた札クイズはその後もしばらく続いた。どの札も俺が何枚も書いた物で、曲がりなりにも俺が使える術――八白に教えてもらった術だ。積み上げた物が目に見える形になっていると達成感がある。
俺は、
「もうひと頑張りしてみます」
「そうか」
八白は短く答えると、次のお稲荷さんのパックを開けた。俺は今書いている札――相手の動きを束縛する術を込めた札の5枚目を書き始めた。
「札は気を込めて描く。普通の書道より数段疲れるでな。根を詰めすぎるなよ」
「はーい」
俺はふざけて子供っぽく答える。
「慣れない内に飛ばし過ぎると、一週間くらいは腕が上がらんようになるぞ」
「そんなに?」
「そんなに、じゃ」
俺が札を書き終えるまで、八白はお稲荷さんをほおばりながら、その様子を眺めていた。
◆
日もすっかり暮れたころ、俺は修行を終えて八白宅の風呂に入っていた。八白宅の風呂を借りるのは二度目になる。相変わらず、俺は特にドギマギすることもなく湯に浸かっていた。一日動かした腕と肩をお湯の中で揉んでいると突然、風呂の戸が開いた。
「邪魔するぞ」
「八白さん!?」
「背中でも流してやろうと思っての」
八白が風呂に入ってきた。もちろん裸なのだが……特に興奮しない。妹のようにしか思っていないということなのだろう。劣情を抱かなかったことに自分でもホッとする。見透かされて、からかわれてはたまらない。
「八白さん。今日は、やけに強引ですね」
「そんな日もあるもんじゃ」
少し他人事のように言う八白は、湯船に入って俺の横に座るように湯に浸かった。
八白が言う。
「もし何かがあったときは、焦らずに行動するんじゃぞ。お前はマメなくせに無茶をするからの」
「……八白さん、何か隠してますか?」
「隠しておる」
「でも、教えてはくれないんですね」
「そうじゃ。隠しきる」
「これから、何かする気なんですか?」
「秘密じゃ」
俺には八白の隠し事を見破る方法がない。仕方なく話を切り上げて、背中を洗ってもらい、俺も八白の背を洗った。
◆
俺は八白宅で眠り……そして、次の日、自室で目を覚ました。
なぞる 終
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