第7話 なぞる 2/3

 小学生の俺は初めての夏休みに八白のところに入り浸るようになった。俺はそのころのことをあまり覚えていない。小さいときのことだし、10年も前のことだから仕方ない。それでも、八白の話を聞いているうちに俺も記憶が呼び起こされていた。


 毎日のように八白を引っ張って山で遊ぶようになった俺に、両親は何も言わなかった。山に入っていることを怒るでもなく、友達ができたことを喜んでいた訳でもないと思っていた。実際には、八白が明るくなったことを喜んでいたのは以前、父が言っていた通りだ。


 俺は八白に“名前を聞いたときの話”を聞いたはずなのだが、八白は俺と会ってからの日々を一日ずつ思い出すように話を引き延ばしていた。おかげで“話が終わるまで術札の書き写し”という修行を言い渡されている俺は、ひたすら筆を動かす羽目になっていた。


 昔を懐かしんでいるのか、俺の修行を長引かせたいのか、その両方なのかわからないが、八白は話し続けている。かと思えば

「あ、次からこっちの札を書け」

 と、スッと別の札を出してくる。文字だか模様だか記号だか分からない物が並んだ短冊状の紙だ。それを書き写そうと思ったら、まずどの線がどこに繋がっていて、どこからスタートしているのか観察する所から始めないといけない。


 俺がじっと観察していると八白が意地悪そうな顔をして急かしてくる。

「こら、手を休めるな」

「いや、ぱっと見てすぐ書くとか無理ですから」

「それならその分、儂はのんびり話そうかの」


 八白とすっかり顔なじみになって石段にも慣れた俺は、山という広大な遊び場を手に入れた。すぐにでも飛び出して行きたい当時の俺だったが、八白宅の居間で夏休みの宿題をしてからでないと遊ぶ許可が下りなかった記憶がよみがえってきた。今の状況と妙に重なってにやけてしまった。


 記憶を読んだのか、八白もにやけている。

「お前は変わらんな」

「八白さんこそ」


 八白の見た目は初めて会った時からまるで変っていない。しかし、俺も同じように変わっていないのだろうか。ここ最近は、特に色々な経験をしている。変わった、はずだ。そう思いたい。


 それはさておき、八白の話は続く。ある日、俺は八白の手を引いて山の中で遊んでいた。夏休みも半分過ぎたころだったと思う。不意に足が向いた先で俺は洞窟を見つけた。そして、ためらいなくそこに入ろうとしたそうだ。俺は、そのときのことを覚えていない。いや、そもそもこの山にそんな洞窟なんてあっただろうか?


 高校二年生になった今まで同じ家で暮らし、社のある山に出入りして約十年。そんな場所があれば、当時の俺に限らず現在の俺にとってもワクワク感のある素敵スポットになっているはずだ。


 だが、記憶がない。


 八白がピシャリと言う。

「当り前じゃ。儂が封じておる場所じゃからな」

「封じてある?」

「その洞窟、“人形”が作られた場所じゃ」

「祠があった洞窟ですか」


 八白が首を縦に振った。考えてみれば当然だった。八白から聞いた人形の誕生とゼツの最期、そして俺が――神谷家が祠の一族の末裔だと確認した時に、この山が人形を封じた場所だと聞いていた。なら、人形が生まれた洞窟も、一族が祀っていた祠もこの山にあるのは当然だ。


 洞窟に入ろうとする俺を八白は慌てて止めた。手を引く俺を、その手を掴んで引き止めようとした。それでも俺は手を振り払って進んでいったそうだ。


「封じられた場所に何故、俺は入れたんですか?」

「……わからん。儂も洞窟に近づいていることに気が付けなかった」


 八白自身、洞窟の目の前に来るまで事態を把握できていなかったそうだ。明らかな異常事態だ。だから八白は、俺を追うためと同時に、洞窟内の様子を見るために中に入った。


 祠はそのときには崩れて、形を無くしていたそうだ。だから、がらんとした暗闇だけが広がっていて、洞窟の中には何もなかった。そう、なかった。八白は焦った。封じられた場所に、因縁のある神谷家の子供が入り込んでしまっただけでなく、中に居るはずのが消えていたからだ。そして、八白が洞窟内を見渡している間に俺はその場で倒れたそうだ。


「人形が消えた……というか、封印が解かれた? 10年も前に?」

「そうかも知れんが、気配もなくなっていた。じゃから朽ちたのかも知れんし、成仏したのかも知れん……と、そのときはいくつかの可能性を考えておった」

「そして、その後10年間、何も起きなかった」

「ずっと警戒しておったが、異常が現れたのは最近じゃ」

「怪異の頻発ですか」

「そうじゃ」


 八白は短く沈黙して話を切った後、続きを語り始めて。倒れた俺に手当をした八白は素早く洞窟を封じ直して、その場から離れた。俺には洞窟に関しての記憶はないのだが、山に行ったはずなのに気が付いたら家の居間に寝かされていた思い出はあった。それすら、今までの話を聞いて思い出したのだけど。


 俺は天井をぼんやり見ながら、八白の声と母の金切り声と父がなだめる声を遠くに聞いていた。たぶん、事情を説明していたのだろう。辛そうな八白の声を聞いた。泣きそうな母の声を聞いた。必死に感情を抑える父の声を聞いた。何故この時のことを今まで思い出さなかったんだろう。大切な人たちをこんなにも心配させてしまった記憶なのに。


「それで俺、死にかけてたんですか?」

「そうじゃよ。まぁ、心臓が止まるくらいにはな?」

「マジで?」

「儂が一緒じゃなければ、そのまま洞窟の中で干からびておったんじゃぞ」


 もし俺が死んでいたら、立派な怪奇事件――洞窟にいざなわれるようにして入り込んだ子供が、原因不明の心停止で亡くなるという事態になっていた訳か。あまり実感がないけれど、恐ろしい。


 そんなことがあった次の日も俺は八白に会いに来たそうだ。そこで初めて、俺は八白の名前を聞いた。“大切な名前だから、他の人には絶対に言うな”と、初めて会った時と同じようにさとすように言われたことを覚えている。そこだけはよく覚えている。


 その後も、名前については繰り返し“秘密だ”と言われた。俺以外には必ず“シロ”と名乗る八白を不思議に思っていたが、それも次第にそういうものだとしか思わないようになった。要するに、慣れたのだ。つい最近まで、改めて聞こうと思わなかった。


「俺が洞窟に入ったのも、死にかけたのも人形の仕業……ですか?」

「わからん。お主も儂も、あの場所に呼ばれておったと仮定すれば、そうじゃな……どちらかが何かを無意識にでも願っていたら……あるいは……」


 八白は腕を組んで考え込んでしまった。ゼツが倒れた後、八白が封じた人形。その人形が封じられた洞窟。それはもう何百年も前のこと。俺には情報がなさすぎて、その思案の内容を推し量ることはできない。


 八白が思考を優先して黙ったままだ。話はすでに本題を終えている。俺も書き写し修行を終えることにした。今書いている札を完成させるとすずりに筆をおいて、八白に声をかけた。


「今日はこれでおしまいですか?」

「ん? あ、そうじゃな」


 八白は心ここにあらずという雰囲気で、俺が渡した札を受け取った。しげしげと札を見て言う。


「ま、よしとしよう」

「これで泊まりコースは回避できましたね」

「いや、泊まっていけ。どうせ今は休みじゃろ?」

「え? そんな、悪いですよ」

「いいから。泊まれ」


 今日の八白は妙に強引だ。

「もしかして、八白さん。俺のこと心配してくれてるんですか?」

「いつもおるわ、阿呆め。もっと申し訳なさそうにせい」

「小間使いじゃなかったんでしたっけ?」

 俺は意地悪そうに言う。

「そうじゃよ? お互いの得のためじゃからな?」

 八白はすまし顔で返す。


 結局、俺は八白宅に泊まることにした。八白が言う通り、もう高校は夏休みに入っているから通学への影響は考えなくていい。とはいえ着替えやら歯ブラシやら準備が必要なので俺は夕食を食べてから戻ると八白に言って、一旦家に戻った。

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