第8話 消える 1/3

 儂がこの山に住み着いてから随分と時間が経った。全ては、儂の相棒――ゼツが遺した封印を見守るため。そして、奴が遺した言葉の意味を知るため。


 最近になってゼツが封じたはずのは、また動き始めた。しかし謎が多い。姿を消したのは10年も前、結が洞窟に誘い込まれたときだろう。その後、今まで動きはなく、突然動き始めたと思えば相も変わらず“願いを叶える”ために呪いを振りまいている。


 願いを叶える――その行動原理は何も変わっていないはずなのに、おかしなことばかりだ。行動にあいだが空いた理由もわからないし、その後も犠牲者が少なすぎる。あの呪物が関わっているにしては、願いの叶え方が穏健すぎる――それでも、次々と小さな怪異が生み出されているのだから、危険には違いない。


 人形に何か変化が起きているのかもしれない。


「死ぬか殺すかしかできぬ、作り物の神のはずじゃが……」

 儂はぐっすりと眠った結の横に座ってつぶやいた。人形を直接叩けば、そのときにわかるだろうか。戦いを前にして、わからないことをそのままにしているのは、喉に小骨が引っかかったような気持ちになる。


「儂は、幸せなのかの」

 わからないことをもう一つ思い出す。ゼツが動かなくなってから、ずっと考えていることであり、わからないままのことだ。


「もう、同じ思いはしたくないもんじゃな」

 結の寝顔を見つめる。存外、置いてかれるというのはこたえるもので、どうしていいか分からなくなる。足元を崩されたような気持ちになる。儂は立ち上がるまでにどれだけかかったか……あのとき、目の前にやらねばならないことがあったのは、逆に幸いだったのかもしれない。


 人形を封じるために山に住み着き、洞窟を封じ、祠の一族――現在の神谷家の先祖たちを説得して、旅人殺しをおおやけにしない代わりに封印を守らせ続けてきた。互いに警戒し、敵視し、それでも離れる訳にはいかず、さりとて儂にとっては守るべき者たちだ。


 そんなとげとげしい因縁も、何百年もの時間が鈍く埋めてくれた。結と友人のように接することができて、どれほど救われただろうか。


 儂が“人の執着を知りたい”と思っているのは本当だ。ゼツの言葉の意味を知りたいのも本当だ。結が持ち込む話に乗るのも、そのためだ。そこに一つの嘘もない。だが、それが理由の全てというわけでもない。


 誰かといられるだけでも、楽しかった。


「関わり過ぎるべきでは、ないんじゃけどな」

 こんなことをするならもっと早くするべきだった。儂は今、結の記憶を封じようとしている。関わりを絶つなら、もっと幼い時に「夢」だったことにしてしまえばよかった。でも、もう儂は繋がりを失えなくなってしまっていた。


 寝息を立てる結の額に指を置く。結の中の儂に関わる記憶をすべて塗りつぶす。人形との決着がついたら術を解けばいい。儂が人形とやり合っているうちは遠ざけておいて、終わったら元に戻そう。そうすれば、結も紬も巻き込まれずにすむ。


 そして、もしも儂が戻って来られなくなっても、そのまま忘れていてくれればいい。不可思議な事件に関わってきた記憶まで消すと矛盾が出て気がつかれるだろうから、それらは結が一人で解決したように改竄かいざんする。


 結は何度も“儂に執着している”と言っていた。儂のことを思い出さなければ、不可思議な物に近寄る理由がなくなっていくはずだ。念入りに、念入りに記憶を塗りつぶす。記憶をつぶしていくたびに、胸の中で小さな実がつぶれていくような痛みを感じる。それでも、しなければならないことだ。


 どんな因縁があったとしても、たまたまその家に生まれただけの者がせきうなど馬鹿げている。まして、それが子供ならなおさらだ。なにかを犠牲にするとしても、それは儂一人で片付けねばならない。


 ……そのために、背中を流すなどと言って風呂にまで入ったのだから、あの恥ずかしい思いも無駄にはできない。結の体には、しっかりと術をかけてある。記憶を封じるだけでなく、護身のための術も仕込むには直接肌に触れねばならなかった。


「正直に術をかけると言ったら、たぶん必死に抵抗するじゃろうしなぁ」

 それで術のが悪くなったら意味がない。騙すようだが仕方ない。賢い子供だから、理解してくれるだろう。


「すまんな。アレの相手は、お前では200年早いんじゃ」

 結のほほをなでる。守るためだ。仕方ないことだ。自分にそう言い聞かせる。置いていかれる悲しさを、この子がせめて感じないように。



 結を家に送り、念のため家族にも術をかける。儂を知る者でも、本当の名を知らなければ繋がりはずっと弱い。簡単な術と、これからかける山の結界で十分に遠ざけられるだろう。


 長く時間を共にし、本当の名前を知っていて、儂自身が特別に思ってしまった相手には、どうしても念入りに術をかけねばならなかった。それと比べると、ずいぶん簡単に感じた。

「ほんとに、手間のかかる奴じゃな」

 苦笑いしながら、結を部屋に寝かせる。


 もしものために、札を入れた箱を置いておくことにした。改竄した事件の記憶を頼りに、しばらくは不可思議な事件に首を突っ込むだろう。儂がいないのときに、自分の身を守れるようにするための修行だったのだから、これでいい。予定通りだ。


 ふと、結に何か言い残したくなった。遺言……というと縁起でもないが、もしかしたら、結が何かの拍子に記憶を取り戻すかもしれない。そのときのために、何か伝えたい。


「何を書くべきか」

 机の上にあるボールペンを適当に選び、札入れの中の紙を一枚取って思案する。


――事態の詳細を書く。

「違うな。思い出しておるなら書く意味もないじゃろ」


――謝る。

「なんとなく、嫌じゃな」


――礼を言う。

「むずがゆい……ダメじゃ」


 書いては捨て、書いては捨て。紙がムダになっていく。一旦、落ち着いて考えをまとめる。儂が、結に伝えるべきことは何か。寝顔に目をやる。

「……結局、これだけしか言えんな」

 結が見たら怒るだろうか。あまりにも短い、たった一言だけ書いた手紙。それを丁寧に折りたたんで、箱の底に隠した。できるなら、結がこれを読むことがないように祈りながら。


 結が記憶を取り戻すとしたら、儂の力が弱まったときくらいのものだろう。だから、に伝えるべき言葉は、これしかなかった。



 10年前に結が洞窟に呼び寄せられたのは、動き始めた人形がそうしたからだろう。では、そもそも人形が動き始めた原因はなんなのか。一つの可能性は、結が山に出入りするようになったこと。もう一つの可能性は、紬が産まれたこと。結も紬も、どちらも人形と縁がある神谷の子供。きっかけになることも、狙われることも不思議ではない。


 人形が当時、どんな状態だったのかは儂にもわからない。身体が朽ちかけていて、神谷の子供を新たな依り代にしようとしていたことも考えられる。あるいは、別の原因で封印が弱まっていたところに、近しい存在である神谷の子供の出現が重なり偶然に目覚めただけなのかもしれない。


 山に戻り、人形を呼ぶ準備をする。結の気配はたっぷりと儂の家に染み込んでいる。この気配をおとりに使う。今までの入り浸りようを思えば、実家と同等になっているだろう。


 以前から探っていたが、人形は神谷の子供たち――結と紬の周りをうろついている。担任の教師、学校の友人、学校の後輩、通学路の子供、そして結。人間関係の距離として考えれば人伝ひとづてに話を聞く程度の距離だが、物理的な距離で考えればどれも“近しい”者だ。


 そして遠出したついでに、離れた場所から気配の移動を追ってみて確信できた。間違えなく、今、人形に追われているのは結の方だ。


 それがわかったからこそ、儂は今日、動くことにした。本人は記憶を封じ、気配を隠して守り、偽の気配で人形をおびき寄せてから山に結界を張り、誰も出入りできなくする。


 それで皆を守れる。

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