第3話 傷つける 1/3

 俺は自分の部屋で布団を被って外界を遮断していた。嫌悪感と、悔しさと、怒りが頭の中で暴れ回り、いっそのこと内側から出来の悪いこの頭を吹き飛ばしてくれればと思う。だが、頭を整理しないといけない。現状を可能な限り冷淡に理解しようと努める。


 人が一人死んだ。彼は、酷く身勝手な理由で自殺した。だから、俺は怒るべきだ。嫌悪感は何の足しにもならないし、無力な自分を悔いるのは全部終わってからで良い。


 俺は怒りに任せて、布団を蹴飛ばして机の前についた。ノートとペンを乱暴に取り出し、出来事を順に書き出す。頭からノートに流し出された文字は、文章の体を成しておらず、乱雑な図形にも見える。それでも、頭に居座られるよりはマシだった。



 俺は今まで、大体、月に一度くらいの頻度で八白に“不思議な出来事”を持ち込んでいた。その中には勘違いや嘘から生まれた、不思議でも何でもない事件もあった。今回の事件は、直前にが二つ、短い期間で続いていた。学校の生霊とポルターガイストの二件だ。どちらも大きな被害はなく、俺は八白を観察できたし八白は人の業に触れられる、理想的な事件だった。


 だが俺は、その中で小さな違和感を覚えた。ポルターガイストの件で、八白は解決を焦っていたように思えた。そして、衝動的に俺を放置して帰るという滅多にない行動と合わせて、八白が不安定になっていると感じた。


 ここで俺は最初の失敗を犯す。八白の変化を、距離を詰めるチャンスだと思ってしまった。だから、急いで次の事件を探して、いつもなら避ける案件を引き受けた。


 俺が避ける物は大雑把に分けると三種類。一つ目は心霊スポットに関わる事件。心霊スポットは“観光客”が多いためトラブルが心配だし、八白を連れて行くのもはばかられる。二つ目は、警察が動くような事件だ。理由は単純にではないからだ。


 そして、三つ目。人間同士の生臭く、尾を引くトラブルに巻き込まれないように避けていた事件――金と恋愛が絡む事件。俺の失敗は、恋愛絡みの事件に首を突っ込んだことだ。


 その事件は生霊の調査をしていた三人組、トンチンカンのトン担当である東野とうのから持ち込まれた。“後輩が幽霊に付きまとわれている”と言う内容だった。


 俺が生霊調査中のトンチンカンと出会っていたことや、チン担当の地井から情報を貰ったこと、そして、その後に事件が解決したこと。何よりも、以前からその手の噂話を追っていることが知られたことで、白羽の矢が立ったらしい。


 東野は相変わらずの喧嘩口調だが、相談内容は純粋に後輩を心配する物だったし、何より俺にはちょうど良い事件に思えた。相談された時に“元カレが怪しい”と聞いていたからだ。


 俺は先入観を持った。付きまとっている霊とは生霊のたぐいで、別れた後に付きまとうのは嫉妬や独占欲が原因だろう、と。つまり、の事件だ、と。これが、二つ目の失敗。


 八白の状態を見誤り、事件の本質を見誤り、俺はいつもの調子で八白を連れ出した。思えば、八白も乗り気だったように思う。いや、あれはポルターガイストの時と同様に焦っていたのだろうか。どちらにしても、やけにスムースに調査は始まった。


 八白は最短コースで生霊の正体にたどり着くために、巫女服でを出して、相談者の女性――川崎かわさき美幸みゆきに会った。そして、八白は俺の横で“俺から聞いた話”と“臭いで分かること”を繋げて語り、霊能者のように振舞った。


「あなたは、人でない物に付きまとわれていますね?」

「それは、二か月ほど前からですね?」

「付きまとっているのは、男。恋仲だった者でしょう?」

「男はあなたを恨んでいるが、その者が誰なのか分かれば封じるのは簡単です」


 などと、話を聞かなくても全て分かっていると思わせて信用させた上で、元カレの身元を入手した。八白には、確かに霊能力のような力があるのだろう。何度も術を使う所を見ている。だが、それを俺以外に誇示するようなことはなかった。子供のフリは何度となくしているが、霊能者と思い込ませるような調査方法は初めてだった。やはり、焦っていたのだろう。


 生霊の出所がハッキリした。この時点で、八白は川崎を守るために術をかけた。依頼人にとっては事件解決と言っていい。だが、俺たちは依頼人の安全を確保した後で、元カレ――坂本さかもと満男みつおについて調べ始めた。これは、深追いとも言えるがいつものことだった。


 最大の失敗は、近づき方を間違えたこと。俺は、学校の生霊の件と同様に、本人が自覚すれば止まるだろうとタカを括っていた。坂本と言う男が、幼稚で身勝手だと考えなかった。つまり、今度は犯人の本質を見誤った。


 俺たちは、坂本に直接会い、最近おかしなことが無いか聞いた。すると“ひどい寝不足”であり“二か月前に分かれた元カノのことばかり考えてしまう”ことが原因だと語った。だから、自覚がないのだと思い、事情を話した。そして、無事にその情念が封じられたことも伝えた。坂本は唐突な話に驚き、苦笑した後、“それなら、今夜はよく寝られるかな?”と言って、立ち去った。


 次の週、川崎が原因不明の高熱で倒れた。嫌な予感がした。すぐに八白に連絡して、その日の内に様子を見に行く。彼女の部屋に、両親を押しのけて半ば強引に上がり込んだ。ドアを開けた瞬間、部屋の臭気に胃酸が込み上げた。生ごみが腐ったような悪臭が立ち込めていた。


 八白がその有り様を見て、溜息を吐いた。八白はその場で短冊状に切った紙に筆で何かを書き始める。神社のお札のように見えたが、何故か直視できないほどの禍々しさがあった。そして、それを丸めて、熱にうなされている彼女に風邪薬のように飲み込ませた。瞬間、彼女の身体から不気味な熱の塊が抜け出て、どこかに散った。川崎の体調は、それを境に急速に回復した。


 すぐに部屋を後にすると、今度は部屋の戸に口に含んだ何かを吹き付けている。呪文を呟き、印を組み、もう一度何かを吹き付けることを何度か繰り返した。そして、挨拶を済ませて家を出た後に家の周辺にも同じことをした。その念の入った儀式を見て、誰が何をしたか、俺も想像が付いた。


 坂本は呪いに手を出したのだろう。自分が生霊を飛ばしていたことを知り、呪いや霊障――オカルトが、彼女への執着を示す手段になると気が付いた。東野に事情を話して坂本の様子を聞くと、俺たちと会った次の日から学校を休んでいた。休みが続くので心配した仲の良い友達が連絡をしたが、一切音信不通だと言う。


 この後、八白は街のいたる所で同じようにを行った。同行する中で、奴が選んだ方法は最悪の物だと八白は語った。時間が前後するが、俺は護身用に八白から少しずつ術を習っていた。術は力を込めるだけではなく、規則に沿って適切な使い方をしなければ効果が出ない。これは呪いも同じだそうだ。


 呪いが成り立つにはいくつかの条件があり、正しく満たされなければ望む効果は発揮されない。それどころか自分に跳ね返り破滅する。坂本は、かなり稚拙な方法を使ったそうだ。ネットで探し回って見つかった方法を、端から試したのではないかと八白は推測していた。


 “稚拙”なのは、ネットで呪法を探したことではない。本当に危険な術の知識はそれだけ厳重に秘匿されるし、万が一知られて形だけ真似されたとしても機能しないそうだ。“最悪”で“稚拙”なのは、中途半端な知識でめちゃくちゃに混ぜてしまったことだと言う。


 これは俺の感覚の話だが、術はに似ているように思う。水を目的地に届けるには、正しく配管を繋いで道を作り、適切な圧力をかけて水を送り出す必要がある。水が念、配管が術だ。圧力が強すぎれば配管が壊れて自滅することになるし、弱ければ届かない。配管が不適切でも結果は同じ訳で、念に堪えられるだけの術式が必要になる。どちらが欠けても失敗するのだ。

 

 坂本がしたことは、素人がめちゃくちゃに繋いだ配管に、ありったけの力で水を流し込む行為だ。結果的に、目的地に念は届いた。だが、その途中には、あらゆる所で水漏れや破裂が起きた。だから、八白はその水漏れを丁寧に封じた。出口を失った念は圧力を高め、爆発する。爆発が起きる場所は、念が最も強い場所。つまり、術者自身。


 時間が罰を与えてくれるはずだった。八白にとっては、ここで事件は解決した。だが、俺が期待した解決は坂本が次にとった行動で破綻した。

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