第2話 別れる 3/3

 俺は、気が付くと公園に独りで立っていた。八白はもう帰ったのだろうか。俺は八白の問いに何と答えたのだろう。思い出せない。


 八白は帰ったとして、それは俺が怒らせるような返答をしたからか? 術で本心を聞き出しておいて、その内容に怒るのは理不尽だ。いや、怒ったなら俺に直接文句を言うはずだ。八白は感情的になっても、衝動的にはならない。感情を隠し切れない時も、行動まで感情に任せることはない。と、俺は今までの経験から確信している。


 なら、呆れるような答えを言ったから放置されたのか? あるいは、もう顔も見たくないと思うほど侮辱的な答えか? いや、思い出せば今回、八白が妙に急いでいた気がする。それは俺は避けられているからで、解決したら最初から置いてきぼりにするつもりだったのか?


 考えを巡らせても、俺が独りで残されている現状からは“八白が居ない”以外のことは分からなかった。そこで俺は、このまま公園で黄昏たそがれることにした。正直、休憩したかった。


「舞浜さん。どんな気持ちだったのかな」

 ふと、ビーズの小瓶を思い出して、花ちゃんにそれを渡した舞浜さんに思いを馳せた。純粋に別れを惜しんだ物だったのだろう。


 偶然それを見た森下君が嫉妬を抱いたことは、責められることなのか? 俺はそうではないと思う。まだ10歳にもなっていないような子供が抱いた“誰かの一番になりたい”と思う気持ちが、否定されなければならない執着だとは思えない。こんな素朴な気持ちを、悪だと思いたくなかった。


「もう一度、村雨さん家に行ってみようかな」

 思い返して気になることが出来た。そして俺は期待した。この疑問から、八白に会いに行く口実が産まれるかも知れない。



 村雨家の呼び鈴を鳴らす。今度は父親が出た。先ほどの騒がしい来訪を改めて詫びた上でもう一度上がらせてもらい、今度は村雨夫妻にリビングに通される。廊下側の壁紙が何ヶ所か破けており、相当な勢いで何かが衝突したことが一目見て想像できた。ソファに座ってすぐ、品の良いカップで紅茶が出された。俺がそれに手を付ける前に、父親が言う。

「お祓い、して貰ったそうで」

「え、ええ。もう、大丈夫なはずです」


 村雨夫妻の顔には不信感がにじみ出ている。当たり前だろう。ポルターガイストにった上に、突然やってきた巫女服の小学生と私服の高校生がズカズカと家に上がり込んで、うんにゃらうんにゃらと呪文を唱えて帰った。それで“大丈夫”と思う方がおかしい。今度は母親が言う。


「あの……申し上げにくいことですけど……お金は……」

「あー、いえ。お代を頂こうとか、そういうことでは無いんで。ただ、もう少し詳しく話を伺いたいな、と」

「そうですか。すみません」

 霊感商法を心配するも分かる。このままではまともに会話できないと思い、こちらも話せることは話して、信頼してもらうことにする。


「今回の事は、娘さんの友人の贈り物に念がこもっていて、それが起こしたことでした。念と言っても悪い物ではなかったので、きちんと封じてあげればこれ以上何かを起こすことはないですよ」

「そうなんですか」

「念、と言われてもね。にわかには信じられない話だな」

「ご夫妻は実際に、ポルターガイストを目撃されたんですよね?」

「え……ええ」


 父親が目を逸らした。

「お父さんも、目撃されたんですよね?」

「ああ。見たよ」

「その時のことを、詳しく伺いたいんですが良いですか」

「なぁ、順序がおかしくないか? 普通、そういうことを聞いてから解決するだろ」


 もっともな指摘だ。八白は解釈までの最短コースを通った。だから、解決に必要な――納得できる結末のために必要なことは、これからやらなければならない。

「おっしゃる通りです。ですが、より確実な解決のために、お願いします」

「もう大丈夫なんだろ? なら、それで良いじゃないか」


 何か隠したいのかも知れない。なら、母親の方に聞こう。

「奥さんが見た時はどういう状態でしたか?」

「え……あ、あの」

「何も言わなくて良いぞ」


 俺は紅茶を一口飲んでから言った。

「お二人はその時、喧嘩していたんですか?」

「何を言い出すんだ、あんた」

「お父さん、手首の怪我って、奥さんを叩いた時にしたんじゃないですか?奥さんの額の湿布は、叩かれた時の怪我。それでカッとなった奥さんは、手近な物を投げつけて応戦した」

「どうして……そう思うんでしょうか?」

「娘さんはずっとポルターガイストを“見た”と言っていたんです。誰かが襲われたなら“襲われた”と言うかな?と思いまして。それで、お二人の怪我が気になっていたんです」

「それだけで、何の証拠になるって言うんだ」

「もう一つ気になった点は、壁紙の傷が廊下側の壁にだけあることです。ポルターガイストって不規則に物が飛び回るそうですから、片側の壁だけに物が当たるのは不自然だな、と。誰かが誰かに向かって、投げつけたみたいだ」

「あなた、もう隠す必要なんてないでしょ?」

「家の中のことを関係ない人間に話すなんて、恥ずかしいと思わないのか」

「一番の決め手はあなたの態度ですよ。お父さん。何かを隠したがっているのは、誰にでも分かる。他言しません。お約束します」


 ようやく聞き出した真相。ポルターガイストが起きた日、村雨夫妻は些細なことから口論になった。衝動的に妻の頬を平手で打った夫。よろけて額をぶつける妻。激怒した妻は、怒号とともに手に付いた物を闇雲に投げつける。夫の手の怪我は、妻に投げつけられた食器が原因だった。俺の推測は、ここだけ不正解。


 そして、その騒ぎに気が付いて娘がリビングのドアを開けた時、妻の手を離れた物が空中で静止した。目の前で起きた不思議な出来事を利用して、夫婦喧嘩を誤魔化し、家具が飛び回ったことにしたのが真相らしい。


 事情を聴き終えた俺は、夫妻に“ポルターガイストが花ちゃんを守ろうとしたこと”だけは伝えてほしいと頼んだ。喧嘩のことは秘密のままでも、彼女が友達から受け取った物と思いは、恐ろしいものになって欲しくなかった。


 俺は夫妻に話してくれた礼を言ってから、村雨家を後にした。帰り道は夕焼けに染まっていたが、俺はそのまま八白に会いに行くことにした。先日得た教訓「謝りに行くなら次の日の予定を確保しろ」だけは確認して、真っ直ぐに社へ向かう。



「八白さーん。居ますかー」

 俺は既に日が落ちた暗い境内に声をかける。返事は帰って来ない。すぐに、併設された小さな家――八白宅の戸を叩く。


 だいぶ経ってから、誰が見ても不機嫌そうな八白が戸を開けた

「なんじゃ」

「置いてけぼりは酷いじゃないですか」

「それだけか……すまんかったな」


 投げやりではあるが、八白が詫びたことに俺は大いに驚いた。意外にも、八白は衝動的に俺の前から立ち去ったらしい。俺はと直感した。

「……俺、何て答えたんですか?」

「黙れ。殴り縫い付けるぞ」

「随分、乱暴な裁縫ですね。そんなに恥ずかしいこと言ったんですか?」


 八白は、小さな体をさらに小さくしながら、俯いて言った。

「あやつと、同じことを言いおった」

「信頼していた人、ですか?」

「生意気じゃ。500年早い」


 八白がとても小さく、頼りなく見えてしまって、俺はそれ以上聞けなくなった。すっかり忘れかけていたの方に話を逸らす。

「瓶の念。確かにポルターガイストを起こしましたけど、それは花ちゃんを守ろうとしてやったことです」


 八白は黙って聞いている。

「夫婦喧嘩で放り投げられた物を空中で止めた。花ちゃんが怪我しないためか、夫婦喧嘩に気がつかせないためか。どちらにしても、森下君の気持ちは花ちゃんを守ろうとしたんです」

「幼稚な嫉妬だとしても、か?」

「はい。幼稚な嫉妬でも、特別な人への思いです。それを正しい行動で示せたんだと、俺は思います」

「そうか……そうかも知れんの。あの瓶自体、舞浜と言う少女が友を思って渡した物じゃ。宿った念がどんな物であれ、守るためにその力が使われることもあるじゃろ」

「まぁ、今はもう封じられましたけどね」

「それはそれで必要なことじゃ。思いが正しくとも、行いを誤れば害。行いが正しくとも、加減を誤れば害じゃからな」


 気持ちと善悪が常に一致するとは限らない。だから、この事件はこれで良かった。八白は間違っていない。そして、俺も間違っていなかった。


「八白さん、これからもよろしくお願いします」

「……とりあえず、中に入れ。長々立ち話させおって。寒いじゃろうが」


 俺はいつもの湯呑で、いつものお茶を頂く。こっちの方が、上品な紅茶よりも俺の性に合う。お詫びの品のお稲荷さんを忘れたことについてのお小言も、仕方ないと呆れられながら頂いた羊羹も、この居間も、八白と過ごす時間が俺の性に合う。


 だから、俺はまだ、俺の本心を聞かなくて良い。八白の中にある冷たい壁をどうしたいのか、まだ考えていたいから。



別れる 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る