第5話 代わる 3/3

 八白が口を開く。

「飲み物を持って来ようかの」


 それだけ言って、八白は部屋を出た。俺は、そのまま八白が戻って来ないんじゃないかと不安になっていたが、八白はあっけなく数分で戻って来た。左手にはお茶が、右手には水が、なみなみと入ったガラスコップを持っている。八白は、俺にお茶を差し出しながら言った。


「お前、本当に阿呆じゃな」

「……はい」

 答えながら、コップを受け取って一口飲む。八白も同じように一口飲んで、喉を鳴らした。長く話して喉が渇いていたのだろう。


「確か、前にも言ったな。学校の時じゃったか」

「あの時も、阿呆って言われましたね」

「その時にも言ったが、お前には命綱が必要じゃ。まったく、どうしようもない阿呆じゃ」


 八白は苦笑しながら言う。

「お前は、ほっとくと勝手に死ぬ。じゃから、せめて儂のそばで死ね」

「えっと……助かる道はないんですか?」

「人はいつか死ぬじゃろ」

「そういうことではなくてですね」

「安心せい。簡単には死なせんよ」

「……はい」


 八白は、俺の“待った”を受けてくれたらしい。そして、同時に俺の自問には仮の答えが見つかった。俺は保護の対象らしい。手のかかる子供、と言ったところだろう。改めて考えると身も蓋もないが、小間使いよりは良いと思えば、とりあえず納得できた。


 八白は俺が落ち着くのを待ってから、話の続きを始めた。



 ゼツと八白は、近づくだけで分かるほど異質な空気を放つ洞窟に、意を決して入ったそうだ。昼間だと言うのに、中は冷たく暗かった。そして、例の悪臭――“死の臭い”に満ちていた。その淀んだ闇の中に家長が倒れており、その身体を膝に乗せて座っている人形がいた。


「人形が“いた”んじゃ」

「“あった”、じゃないんですか?」

「“いた”、じゃ。アレはもう、ただの物ではなかった」


 二人が見つけた時点で、家長は死んでいたそうだ。人形はその死体を膝に抱いて、額に手を当てていた。まるで、膝枕で子供を寝かせる母のようだったという。ゼツはその様子を見て、家長の死因を察した。同時に、人形という怪異がどういう物なのかゼツは直感したのだそうだ。


 人形は与えられた役割を果たそうとしていた。その人形は病死した娘の代わりとして作られた。だが、多くの人間に求められた役割は、願いを叶える神だった。だから、家長が願ってことを、人形は叶えた。その結果、自分で作りだした呪物に憑り殺された。


「“娘に会いたい”と願ったんじゃろう、とゼツは言っておった」

「それで、死んだ?……いや、人形が殺した、ってことですか?あの世で会わせてあげる、みたいな」

「人形に生死感や彼岸の概念などないじゃろう。じゃから、単純に“同じ状態にした”としか、アレは思っておらんよ。たぶん、の」

「そんな、滅茶苦茶な話がありますか……」

「アレは呪物でもあるが、自分の意志で動く怪異でもあるんじゃ。じゃから、与えられた役割の通りに動こうとした」

「友だち役の人形なら友だちに、生贄役なら生贄に……神様なら、神様に、ですか」

「ああ。願いを叶えるために行動する。じゃが、叶える方法はとことん雑なんじゃよ。何も分からん赤子のようなもんじゃからな」


 殺された何十人分かの旅人たちの無念と、一族の未練が混ぜ合わされて作られた怪異は、願いを叶える存在になろうとした。そんな作られ方をした神様モドキが、まともに何かを叶えるはずがない。人形にできることは呪うこと、憑り殺すこと、執着すること。たったそれだけの手段しか持たず、それでも願いを叶えようと闇雲に行動し続けてしまう怪異が、人形なのだと八白は言った。


「今、街で起きていることも恐らく同じじゃ。アレが歩き回り、薄っすらとでも何かを願う者がおれば、それに応える」

「その結果が、生霊や、呪いだと?」

「お前にも、そういう声が聞こえたじゃろ?」


 確かに、俺が聞いた声も“願いを叶えようとする”ものだった気がする。ただし、その方法が“死ぬ”か“殺す”かしかないというような、幼稚で乱暴な提案だった。その声に、意識的に乗るか、あるいは無意識に引きずられたら……凶行に及ぶ人間も出てくるだろう。人形は、その性質から人間の多い場所ほど被害が出ることも想定できる。今まさに、それが起きている訳だ。


 人形に初めて相対したゼツは、直感的にその性質を見抜き、それをすぐに八白に伝えて人形を洞窟から出さないために行動を起こしたそうだ。八白が言うように、度胸も判断力もある人だったのだろう。


 人形との戦いは、熾烈を極めた……のかと思ったが、実際はすぐに終わったそうだ。八白には何が起こったのか、それすら分からなかったという。洞窟の奥へ向かって飛び出したゼツが、人形の前に立つなり倒れた。同時に人形が座った姿勢から崩れ落ち、人形が放つ禍々しい気配が奥へと沈み込むように、しぼんで消えたそうだ。


 倒れたゼツに駆け寄った八白は、あの言葉を残され――その言葉に


「“お前は、幸せになってくれ”と言って、アイツは息を引き取った」

「ゼツさんの遺言だったんですか」

「それなりに付き合いは深かったんじゃ。信頼しとった。信頼されていると思っておった。それをなんじゃあの男、言うにことかいて」

「……あれ? なんか酔い、酷くなってませんか?」

「“お前は”ってなんじゃ。“は”って……あー……」

「あのー、八白さーん?」


 八白は天井に向かって“あー”とか“もー”とかうなっている。八白の様子が少しおかしい気がして、よく観察してみると、手に持ったコップからアルコールの香りがした。

「それ、水じゃなくて、日本酒ですか?」

「は? そうじゃよ?」

「妹のパジャマ着てコップ酒しないでください」

「えー……」

「“えー”じゃねぇよ!?」

「お、今度は口に出したな。良いぞ、その調子じゃ。お前は頭の中でグルグル考えすぎる癖があるからの」


 外見は清楚な黒髪ロングの小学生。それが片膝を立てて座りながら、ガラスコップに入った日本酒をごくごく飲んでいる。その威容に俺は気圧されたのか呆れ果てたのか、ともかく言葉を失った。


「威容と言うか、異様じゃな」

「自分で言わないでください」

「心を読まれることにはもう慣れっこじゃな」

「ええ、ええ。とっくに」

「……ゼツはな。儂に心を読ませんかった」

「え?」

「儂が未熟だった以上に、アイツが手練れだった。初めて会った時から、一度も本心が見えんかった」

「そういえば、前に“もっとすごい奴がいた”とか言ってましたね」

「ああ、だから、儂も興味を持ったのかも知れんの」


 俺は、喉から出かかった言葉を一旦飲み込んで、でもどうせ読まれるんだからと思い、口に出した。

「信頼し合っていたん……ですよね?」

「儂はそう思っとる。心など見えんでもな」

「でもゼツさんは、心を隠してたんですよね?」

「どうじゃろうな。意識せずともそれだけのことをしていたのか、隠し事があったのか……」

「でも……」


 俺は“でも”の後に、何を言いたいのか自分でも分からなくなった。八白は、目を薄くして言った。

「お前も、儂の心なんぞ見えんじゃろ?」

「そりゃそうですよ」

「なら、信頼できんのか?」


 俺は、顔が熱くなるのを感じた。必死で言い返す。もしかすると、八白の酒気に当てられたのかも知れない。

「違います。そうじゃなくて……逆なんです」

「逆、じゃと?」

「ゼツさんが、心を隠した理由が……分からない」

「それは、儂にも分からんよ」


 八白は困った顔で笑う。そして、コップの中身を飲み干してから言った。

「ま、昔話はお終いにしとこうかの。最後に、これからの話じゃ」

「人形を探して、封じるんですよね」

「封じられるかは分からんが、野放しにもできん。探す必要はある」

「人形が願いを叶えようとして、その結果、他の怪異が産まれているなら……怪異を追っていれば見つかるかも知れませんね」

「そういうことじゃ。やることは今までと変わらん。ただし、より危険になる」


 事件の選り好みはできない。と言うことだ。

「分かりました。怪しい事件があったら、すぐ連絡します」

「うむ。だが、先走るなよ。あと、儂の名を忘れんようにな」

「忘れませんよ」


 八白は“うむ”とだけ言うと、いつの間にか布かれていた布団に潜り込んだ。こうして、俺の長い夜は終わった。人形がもし近くにいるなら――あるいは、追うことができるのなら呑気に酒を飲みはしないだろう。今できることはない。俺も自分の布団に入り、目を閉じる。



「ところで、八白さん」

「なんじゃ?」

「俺の部屋で寝るんですか?」

「そうじゃが? なんじゃ今更」

「普通、唯の部屋では? パジャマも借りてるし」

「小学生の部屋で酒が飲める訳ないじゃろ。教育に悪い」

「高校生の部屋でも同じでしょ!」


 八白は俺の言葉に答えず、わざとらしい寝息を立て始めた。俺も観念して目をつぶる。瞼の裏で、ゼツという人間のことを想像しながら、やはり答えなど出ない自問を続けてしまう。俺の、悪い癖だ。



代わる 終

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