第6話 まみれる 1/3

 キャンバスに向かう男が、振り返らずに俺にたずねる。

「感情を色で表すとしたら、どんな色を使う?」

「例えば、どんな感情ですか?」


 男は筆を動かしながら言う。

「例えば愛情。僕なら朱華はねず色かな」

「はねず……? 俺なら、ピンクですかね」

「ああ、近い色だね」

「近いんですか」


 男は質問を続ける。

「悲しみだったら? 僕なら藍鉄あいてつ色かな」

「俺なら、紺色ですね」

「また近い色だね」

「そうなんですか」


 男は筆を置いてから言った。

「ねぇ、結くん……殺意の色って、どんな色か分かる?」

「それは……黒とか、赤とか?」

「僕はね、見たことがあるんだ」


 男はこちらを向いた。

「見たことがあるんだよ。殺意の色をね」



 この街では、少し前から怪異が頻発していた。オカルトじみた事件や噂なら以前からあったのだが、もちろんそのほとんどが勘違いや面白半分のデマだった。だが、ここ最近は本物の怪異事件が短い期間に続いていた。


 そして、その原因が何百年も前に封じられたはずの怪異、“人形”であると八白に聞かされたのが、数日前のことだ。俺は今、八白と共にその人形を追っている。人形がまき散らす呪いと、それが生み出す怪異を止めるために。そして今日、一つの事件が俺の下に持ち込まれた。


 俺は、以前の事件で同級生の東野から信頼を勝ち取ってしまった。そのため図らずも、そして望まずも東野を含めた三人組、通称かつ自称“トンチンカン”の三人から奇妙な事件の情報が持ち込まれるようになっていた。今回は“カン”担当の香取からの依頼だった。


「画家は全員、変人だと思わないか?」

「なんだよ。藪から棒に」

「表現において大抵の人間は言葉を使う。口下手だったり、口に出しにくいことばかり考えたりしている変態でも文字を使うだろう。だが、絵描きは絵を使う。言葉で表し切れないことを考えているからだ。大抵の人間が見落とす不要なことまで詳細に、繊細に、敏感に考えて表現しようとする変人だからに違いない」

「そうか。だとしても、お前よりはまともだよ」

 香取は何かと冗長で、冗談めかした話し方をする。とても疲れる。


「俺のことはどうでもいい。俺が非凡なのは分かっている」

「何かの小説にでも影響されたのか?話し方がキモイ」

「ある画家が、心霊に詳しい人間を探している」

「それは職業と関係なく変な人だ。だからお前は、さっきの偏見に満ちた発言について、今すぐに世界の表現者に謝罪した方がいい」

「そうだな。誠に申し訳ございません」

「よし」


「俺の謝罪を裁定する権利を神谷が持っていることが納得できないが、その画家の言っていることも納得できないんだよ」

「どういうことだ」

「行方不明になった妻を探してくれ、と言うんだ」

「警察の仕事だな。俺は関わらないぞ」

「そう思う。だが、その画家は警察でも探偵でも、超能力者でも予言者でもなく、心霊に詳しい人を探している」


 明らかに事件の香りがしている。俺は人形の件を優先したい。

「香取、お前が言いたいことは分かった。ますます関わりたくない」

「まるで行方不明の妻は既に霊体になっていると言わんばかりだ。そう思っただろ?」

「警察に言ってくれ。あるいは行ってくれ」

「文字でしか分からない洒落を口頭で言う辺り、お前も高等な変態だな」

 本当に疲れる。


「もう何でもいいから、この話はナシだ」

「待て。バイト代が出るぞ。お前、方々で事件を追うには先立つ物が必要じゃないか?」

「それは……」

「俺にも仲介料が入る約束になっている。金額が不満なら、俺の取り分もお前にやる」


 香取の顔が急に真剣になった。それを見て俺は、不覚にも相手のペースにはまってしまった。

「なぜ、そんなにこだわるんだ?」

「行方不明の妻と言うのが、俺の初恋の相手なんだ」

「え?」


「親戚のお姉さんでな。初恋って言っても、ガキのころの甘酸っぱい思い出さ」

「そうなのか……そりゃ、心配だな」

「嘘だけどな」

「」

「はっはっは。言葉を失ったな。文字で書いたら中身のないかぎ括弧かっこになりそうだ」

疲労が溜まっている。ストレスもだ。


「お前は何がしたいんだ」

「画家の真意が知りたい。金を出してまで行方不明の妻を探させる。しかも、心霊がらみの人間を指定して、だ」

「何度も言ってるけど、警察に持ち込めよ」

「とっくに持ち込まれてるさ。失踪届けを出したって話で、親戚連中が大騒ぎしてたからな」

「は? 嘘じゃなかったのか?」

「親戚なのは本当さ。初恋ってのは嘘だがな」

「お前さぁ」


「で、失踪届けも出さずに仕事に没頭していた夫は、もし妻が死んでいれば真っ先に疑われる訳だが、死体も証拠もないから事情聴取はされているけど、それだけだ」

「そんな旦那が、心霊関係者を探している……か」

「気になるだろ?俺の想い人のかたきを討ってくれないか?」

「嘘じゃなかったのか?」

「初恋じゃないだけで、恋はしていたさ」

「お前さぁ」


 香取がくっくっと笑って言う。

誤魔化ごまかす嘘はできるだけ小さい方が良い。俺の持論だ」

「知らねぇよ」

おどらせる嘘はできるだけ大きい方が良い。これも俺の持論だ」

「俺にはお前が何をしたいのか分からねぇ」

「引き受けてくれるか?」

「……考えさせてくれ」

 疲労がピークに達していた俺は、丸め込まれる形で話を持ち帰った。



 そして、いつもの居間。

「俺は、この件を受けないつもりでいます」

「なら何故、儂に話した? いつもそっちで良さそうな物を決めておるじゃろ」

「いえ、この前の人形の話ですよ。アレがあるから、念のため」

「そうじゃな……」

 普段は、俺が八白の好みを踏まえて事件を取捨選択し、プレゼンし、八白を巻き込む形だ。だから、依頼を受けるかどうかの相談をしたのは今回が初めてだった。


「で、どうしますか? 優先度は低いと思います」

「優先度と言っても、他に優先することもないじゃろ」

「そうなんです。少しでも人形を追う手がかりが欲しいのに」

「じゃが、明らかに警察の仕事じゃというお前の意見も分かる」

「関わりたくないけど、放置もしたくない」

「そうなんじゃよなぁ……」

 しばし、沈黙。


「……様子見しませんか?」

「……そうじゃの」


 極めて消極的な相談の結果、俺たちが出した結論は“香取の話に乗りつつ、様子を見て切り上げる”というものだった。画家に対しては申し訳ないので、早々に切り上げることになった場合は、報酬を断ろうとも決めていた。


 その旨を香取にも伝えて、それでも構わないというので俺は間宮まみや大佐夢おさむという画家の家に向かった。


 間宮邸は電車で数駅行った所にあり、香取に連れられて、その戸を叩いた。“集中したいから”という理由でインターホンを付けていないそうだ。香取が大声で家の中に呼びかける。


だいさん! 居ますかー」

しばらくしても返事がない。俺は、香取に聞こえないように八白に声をかけた。

「八白さん、何かいますか?」

「いや、何もおらん」

八白は今、俺以外には見えていない。今回の依頼内容では子供の姿で動き回るのは不自然だと判断したためだ。それなら「大人の姿に化けられないのか?」と聞いたが「隠れる方が良い」とのことだった。確かに大人でも警戒されずに動ける訳ではないから、これで正解なのだろう。


 俺と八白がこそこそと会話している間も、家の中から返事はない。香取はすぐに踵を返して言った。

「たぶん、アトリエの方だ。ついてきてくれ」

「アトリエもあるのか」

「物置を改造した小さな部屋だよ」

「自分で作ったのか?」

「ああ。“集中したいから”だそうだ」

「なんか、いかにも画家って感じだな」

「言ったろ。“画家は変人だ”って」


 香取に連れられて家の脇を奥へ歩くと、裏手に小屋が見えた。薄そうな金属の外装で、一目で物置だとわかる。

「こんなところで作業してるのか?」

「断熱と空調と電気は完備してあるよ。意外と快適だ」

「お前、やけに詳しくないか?」

「そら、何度も来てるからな」


 香取は物置の前まで行き、また中へ声をかける

「大さん。いますかー」

 すぐに中からごそごそと音がして、声が返って来た。若い男の柔らかい声だ。

義信よしのぶくんかい? いらっしゃい」

「探してた人、見つけてきましたよ」

「え? でも、義信くんと同い年くらいに見えるけど?」

「あ、初めまして。神谷結です。香取さんとはクラスメイトです」

「おっと、失礼。あまり人と会うのに慣れてなくてね。初めまして、間宮大佐夢です。画家……みたいなことしてます」


 にへら、とゆるく愛想笑いした男は、見た目だけなら十代後半に見えるほど若々しかった。よれよれのワイシャツは絵の具で汚れていて、カラフルかつ小汚い。

「話は、義信くん……香取くんから聞いてるよね?」

「ええ、奥さんが行方不明だと」

「うん。だから、ちょっと話し相手になってほしいんだ」


 話が微妙に噛み合わない。“この人は香取とは別のベクトルに疲れるタイプだ”と俺は確信し、早くも帰る口実を探し始めていた。

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