第5話 代わる 1/3

 その日、偶然が噛み合ったおかげで、俺は一つの小さな事件を解決した。しかしその夜、社に繋がる石段で不気味な声を聞く。俺は初めて、八白に助けを求めるためにその名を叫んだ。


 次の瞬間、いつかの言葉の通り彼女は現れて、同時に不気味な声は聞こえなくなった。そして、同じ怪異がまた現れないか見張るためと、その声が何者なのかを説明するために八白は今夜、我が家に泊まることになった。


 さて、俺にとってはここからが大変だった。普段から頭の上がらない相手である八白と、八白と縁があると言っても家に泊めることなど前代未聞である神谷家。不意のお泊り会にテンションが上がった家族と、八白のいたずら心が悪い具合に合わさった結果、俺は散々いじり倒されることになった。


 それが一段落ついて、眠りにつく時間が近づいたころ、ようやく俺は八白の話を聞ける状況になった。紬のパジャマを借りた八白が、満足そうな笑顔で俺の部屋に入ってくる。

「あー、楽しかった」

「俺は疲れましたよ。父さんがあんなに喋る人だとは知らなかった」

「酒も飲んどったからの。あと、今回の件で息子に頼られて嬉しかったんじゃろう」

「それにしたって、あんなに……八白さんは気にしないんですか?」

「何を気にすることがあるんじゃ?」

「嫁に来てもらえ、みたいな話になってましたけど」

「くはははは。お前が儂をめとるなんぞ400年早いわ」

「俺だって、妹みたいな見た目と老師みたいな中身のハイブリッドは御免です」

「ま、酔っ払いの戯言なんぞ気にするな。明日には忘れとる」


 そうであって欲しい。ひとしきり笑った後、八白は居住まいを正して俺の前に座ると、真剣な顔で言った。

「で、本題なんじゃが、お前が聞いた声について話しておきたいことがあるんじゃ」

俺は黙ってうなずき、続きを待った。八白は目を伏して話し始める。

「大分長い話になるんじゃが、よく聞いとくれ」



 それは随分と昔の話だった。何年前なのかも判然としない、数百年も前の話だという。そのころの八白はまだ修行中の身であり、人の姿にもなれたが基本的には獣の姿で生活していた。八白は、とある霊山――名を伏せて語っていたので地域もはっきりしないが、そこで修行を重ねていたそうだ。

「ある時、修行として人助けをすることになったんじゃ。それも一人や二人ではなく、大勢を助けるという、気の長い修行じゃった」


 自分の力を使い、誰かを助ける。徳を高めるための修行であると同時に、自分の力を正しく使うための訓練でもあったのだろう、と八白は言っていた。そして、八白はその修行に入る時、こう考えた。

「人に化けて拝み屋やら薬屋やら始める者もおったが、儂はもっと効率の良い方法を探したんじゃ。それが、という方法じゃった」


 こうすれば、誰かを助けながら、その人が助けようとする人々も助けられる。しかも、困っている人を探す手間は向こうがやってくれる。さらに、人助けの成功率も一人で動くよりも上がるという寸法だ。


 そこで八白は、自分と同じような修行をしている人間、つまり人助けをしたがっている人間を探したそうだ。そして、人の噂を頼りにして、ある修験者に目を付けた。その修験者の名は“ゼツ”といった。


 ゼツもまた修行のために、悪霊やら妖鬼やらの討伐をしながら旅をしていたそうだ。ちょうどよく近くに来ているということで、八白はすぐにゼツに会いに行くと事情を話して、旅の同行者になった。


 それから、二人が諸国をめぐりながら妖怪退治を続ける話が始まるのだが、それは割愛する。というか、割愛してくれと頼んだ。

「なんじゃ、良い所なのに。おとぎ話ではない本物の妖怪退治の話じゃぞ?こんな話を聞ける機会は滅多にないじゃろ」

「それはそうですが、本題じゃないですよね」

「そうじゃけどなぁ……いやぁ、あの時のゼツの勇姿はお前も知っておいて損はないぞ?」


 割愛を頼んだ理由がこれだ。ゼツとの冒険譚に話が移ってから、八白の昔話には惚気のろけが混じるようになっていた。

「八白さんが惚気るなんて、相当良い男だったんでしょうね」

「そうじゃぞ。良い男じゃった。器量も度胸もあっての」

「そうですかそうですか」

「なんじゃ? 妬いておるのか?」

「本題が気になっているだけです」

「えー? 聞いとくれよー」

「……もしかして、酔っ払ってますか?」

「うむ。軽く頂いておる」

「子供用のパジャマ着ながら酒気を帯びないでください」

「見た目は妹でも、中身は老師じゃし? 別に構わんじゃろ」

「いや、そのパジャマ、紬のでしょ」

「あー……そうじゃな。酒の匂い、移らんじゃろうか? 大丈夫かの?」

「知りませんよ」

 

 わざとらしく鼻を鳴らして服の袖を嗅いでみせた八白は、俺の呆れた顔を見ると呼吸を整えるように息を吐き出した。深呼吸か、ため息か分からない息の後、八白は本題の怪異――石段で聞いた声の主について語り始めた。


 あるときゼツと八白の二人は、山間の村を訪れた。そこに何か怪異の噂があった訳ではなく、街の間を移動する道中だったそうだ。しかし、運が良いのか悪いのか、そこで人助けの機会に恵まれた。


 助けを求めたのは、その村で祀られている祠を管理する一族の家長だった。山の洞窟の奥に祠があり、代々その山を管理していたそうだ。神職などの特別な立場として扱われているのかと思ったが、その村では他の村人と違いはなかったという。


 その家の七歳の娘が病に伏せており、祈祷をしてもらいたいということだった。その娘は突然倒れ、手を尽くして看病したのだが回復せず、悪い物が憑いたせいではないかと考えて、修験者に助けを求めたのだ。


「その子に憑いていたのが、例の怪異なんですか?」

「いや、そうじゃないのじゃ。その娘を一目見て、怪異の仕業じゃないと分かった。ただの病気だったんじゃよ。じゃが、小さな村では医者もおらんし儂らも大した薬は持ってはおらんかった。痛みを和らげるくらいのことしかできず、打つ手はなかったんじゃ」

「どんな病気だったんですか?」

「身体を硬直させて歯を食いしばっておった。顔は引きつり、獣のような形相じゃった。何かに憑かれたと思うのも致し方ない。最期には弓なりにって苦しんでおった」

「壮絶ですね……」

「今にして思えば、破傷風と言う奴だったんじゃろうかの。ま、儂は医者でも薬師でもない。はっきりしたことは言えん」

「名前だけは聞いたことあります。その病気」

「子供が死ににくくなっただけでも、今は昔よりだいぶマシじゃよ」

「そうですね」

「あの時、祠の一族に金や伝手つてがあれば、医者を呼びつけて……もしかしたら、助けられたかも知れんがの」

「山の中の村じゃ、医者に連れて行くのも難しかったでしょうからね」

「そもそも、どこに医者が住んどるかも分からんからの。病人を背負って当てもなく山を行く訳にもいかん」


 結局、その娘は助からなかったそうだ。ゼツと八白はせめてもの慰めとして娘を供養して、その村を後にした。それからしばらくして、おかしな噂が流れるようになる。例の村に、どんな願いでも叶える神様が現れたというのだ。


「あまりに突飛な話なんでな。儂は鼻で笑ったんじゃが、ゼツはどうしても気になる様子だったんじゃ。嫌な予感する、と言っての」

「それで、その村に戻ったんですか?」

「そうじゃ。そして、その判断は正しかった。ゼツの勘はよく当たるんじゃ。頭も回るし、土壇場ではいつも頼りになってな……」

「あ、それはもういいです」

「……むぅ」

 俺は、何が“むぅ”だよ、とは口に出さずに話の続きを待った。


 村に戻った二人の迎えたのは、祠の一族だった。客人として歓迎された二人は、彼らの家を見て驚いた。前は簡素な家だったのが、屋敷と言って差し支えない物になっていた。神様の噂を聞いてやってきた者たちが祠に願掛けしていくからか、以前と比べると随分と金回りが良くなっている様子で、それがゼツの“嫌な予感”を後押ししたという。


 このとき、二人は一族が祠を金儲けに利用し始めたのではないかと疑っていた。“金さえあれば娘は助かった”という思いが、良からぬ方向へ向かったのではないかと。


「じゃが、実際はもっと厄介なことになっていた」

「どういうことですか」

「その一族は、怪異を生み出してしまったんじゃ」

「もしかして、それが?」

「ああ、お主が聞いた声の主――、じゃ」

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