第4話 確かめる 3/3

 八白がひとしきり笑い終わるまで、八白宅の玄関で俺は呆然としていた。そして、笑い終わった八白に促されて、「今日は遅いから」と言うことで呆然ぼうぜんとしたまま家に帰された。


 “お前は事件を解決した”“何も心配ないから帰って寝ろ”という八白の言葉を信じて――いや、自分がしたことの正しさは全く信じられていないのだが、八白の言葉を信じて俺は石段を下る。


 頼りない懐中電灯で足元を確かめながらの家路。不安で押しつぶされそうだ。

「飛び降りるといいよ」

「え?」


 突然、耳の中で声がした。何かいる。俺は、八白に教えられた術を必死で思い出して、身を守ろうとする。だが、声は消えない。

「楽になる方法」

「俺は、お前の、思い通りに、ならない」


 ゆっくり、大きな声で、思考を宣言する。これは護身術の一つだ。自分の声を自分に聞かせる。頭の中を巡る思考と、声を出すための体の制御と、声を聴いている意識を自分の物に一致させる。思考と体と意識の三つをで満たして、他からの介入を防ぐ。それでも、声が消えない。

「安心したいんでしょ?」

「俺は! お前の! 思い通りに! ならない!」


 さっきから“臭い”が酷い。鼻の奥が焼け焦げそうなほどの刺激臭がする。臭いの方向も分からない。ヤバい! と言うか、これ、八白は気が付いてないのか!? そんなことがあるのか!? いや! そうだ! 八白は前に言っていた! 名前だ!


「八白さん!!」

「分かっとるわ!」


 俺の視界を、黒い布が切り裂く。夜の闇よりなお黒く、きらきらと輝く滑らかな布が、ふわりと目の前でたなびいた。それが八白の髪の毛だと理解できた時には、酷い臭いはもう消えていた。

「本当に、呼んだら来てくれるんですね……ありがとうございます」

「無事でよかった」

「はぁ、腰抜けそう」

「かはははは。アレに当てられてぶっ倒れなかったんじゃから、上出来じゃよ」

「あれ?もしかして、ストップ高ですか?」

に上場できていたつもりとは、ずいぶん調子に乗っておるな」

「あ、そこからですか」

「ああ、そこからじゃ。精進せい」


 俺たちは安堵からかケラケラと笑い合った後、短い相談の結果、俺は家まで八白に送ってもらうことになった。そうなったのには、先ほど現れた何者かが神谷家――俺の家族の所に現れないとも限らないから、と言う理由ともう一つ別の理由があった。

「“動く人形”の件、やっぱり今日中に説明してください。気になって眠れません」

「堪え性のない奴じゃな」


 ゆっくり話したい、と言うことで八白は家に泊まることになった。俺はそのことをすぐに家に連絡した。



「シロちゃん! いらっしゃい」

「すまぬが、今日はこちらに泊まりたいんじゃ。大丈夫かの?」

八白ことシロが家に着くと、玄関で紬が出迎えた。喜色満面と言った喜びようだ。たぶん、友だちがお泊りに来たくらいに思っているのだろう。母も嫌な顔はしていない。

「ええ、どうぞ遠慮なく。お夕食は済ませました?」

「あいや、儂は食事せんでも大丈夫じゃから。お構いなく」

「へー、そうなんですね」

 父が相槌を打つ。どことなく楽しげに見える。


 何となく疎外感を覚えて俺も会話に混ざる。

「でも、いつもお稲荷さん食べて、お茶飲んでますよね?」

「あれは味を楽しむための食じゃ。生きていくだけならかすみを食えばいい」

「ほんとに仙人みたいですね」


 それを聞いた母が、意地悪そうに笑いながら言った。

「あれ? 結って“シロさんのことは誰よりも知ってる”って言ってなかったっけ?」

「そんなこと言ってないだろ!?」

「ほう。お前、そんな不遜なことを抜かしておったのか?」

「言ってませんよ! “父さんよりは詳しい”って言っただけです」

「そんな風に張り合う人なんて、シロさんが初めてですけどね」

 父の相槌。と言うか、追い打ち。


 家族と八白が結託してニヤニヤしている。何故、俺は文字通りのホームでアウェイ気分を味わうことになっているんだろう。ともかく、俺は話を切り上げた。

「で、お客さんをいつまで玄関に立たせておくつもり?」

「おっと、そうだな。すみませんシロさん。上がってください」

「いえいえ、突然押しかけたのにありがたい。失礼するぞ」


 いつもの居間ではなく、我が家の居間に上がった八白はいつも通りちょこんと座ってお茶をすすっている。少し経って落ち着いた時、話を切り出したのは意外にも父だった。

「今日って、人形の件でいらしたんですよね」

「ん? まぁ、それもあるの」

「俺も結に話聞いて、どういうことなのか気になってるんです。一緒に聞いても良いですか?」

「儂は構わんぞ。結もに対しては、そのくらいの筋は通すじゃろ?」


 俺は、父の協力で情報収集を進めたことを八白には話していない。心どころか、記憶まで読まれているのではないかと、背筋が寒くなる。

「読んどるよ?」

 さらっと肯定された。


 それはそれと割り切って、俺は話を進める。

「説明をお願いします」

「まず、あの人形じゃが、念がこもって動いたのは確かじゃ」

「やっぱり、前妻の念ですか?」

 父の相槌。本当に今日は積極的だ。いつもこんなに喋らないのに。


「そうではない。まぁ、お前に説明すると長くなるから割愛するが、ある男が呪詛をバラまいての。もう封じ終えてはいるがその残滓ざんしが事件のきっかけになったんじゃ」

父のことも“お前”と呼ぶんだな。などと、関係ないことが気になった。

「原因じゃなくてきっかけ、なんですね」

「そうじゃ。そして、残滓によって人形が動いた。これは半日程度のことじゃろ」

「噂が出回るよりも前ってことですね。シロさん」

 父よ。何故、そんなにノリノリなんだ。


「そうじゃ。じゃから、結が調べ始めたころにはもう別の念が入っておった」

「持ち主の、子供の念ですね」

 俺も話に加わる。

「うむ。じゃがな、結。お前は“その念とは寂しさ”じゃと考えとるじゃろ?」

「最初はそう考えてましたけど、今は違うと思ってます。でも何なのか分かりません」

「えーっと、ごめん。ちょっと話についていけてない。結、教えて」

父よ……。


「えっと。まず、人形は前妻の遺品だったよね。それで、子供がずっと大事にしていた。その子は人形のチカちゃんといつも遊んでたんだ。だから、人形が動いたのは“一緒に遊ぶ相手が欲しい”という持ち主の念だと思ってたんだ」

「うんうん。そういう話なら、そう思うよな」

「でもそうじゃない。って話をしてるの」

「違うのか」

「違うんじゃ」

 父は何故か楽しそうだが、俺は早く話を進めたい。


 それを察してか、八白が単刀直入に答えを言った。

「恐怖じゃ」

「え?」

「いやいや、シロさん。なんでいつも遊んでる人形を怖がるんですか?」

「そうです。あの子、人形が動いて喜んでたんですよ?」

「言いふらしていたからといって、喜んでいるとは限らんよ。不安じゃから誰かに観測してもらおうとすることもある」

「……不安だから、関係を確かにする」

「“恋人を失ってすぐ、別の恋人を作る”みたいな話じゃよ」


 嫌なことを思い出した。八白は絶対にわざと言っている。そして、そんな精神攻撃に気が付くはずのない父が話を進めた。

「“この人形は友だち”だと言いふらすことで“人形を友だちにしようとした”ってことですか」

「うむ。その子の前の母親、家族に暴力を振るっておったんじゃろ?人形が動いた時、遊んでくれる母と、暴れている母の2つの顔が想起された。どちらになるか分からぬ人形に、その子は恐怖したんじゃろ」

「俺が“人形が怖い人もいる”って言った時、強く否定していたのはそういう意味か」

「結、お前、何も知らないでそんなこと言ったのか?」

「完全にまぐれ当たり」

「じゃが、そのまぐれが良かった。悪い気持ちが入らないようにするおまじないは、その子にとっては“祓い”じゃった」

「結、ごめん。また解説してくれ」


 俺も理解できているのか不安だが、間違えても八白が訂正するだろうと思い、自分の解釈を話した。

「俺は“悪い気持ちが人形に入るのを防ぐおまじない”をしたんだ。出まかせだけど。それが、人形に恐怖していたあの子にとっては“人形が怖い物にならないようにするおまじない”になったんだと思う。あの子が抱えていた恐怖と人形って存在の間に壁を作って、切り離したから祓いになったってことじゃないかな」

「そういうことか」

「そういうことじゃ」

正解だったらしい。


 おまじないで、あの子の恐怖は具現化しなくなった。説得で人形が眠りにつくことも受け入れている。だから、この事件はこれで解決した。ホッとした。ホッとしたついでに、俺は疑問を八白と父に投げかけた。


「シロ、今回ぜんぜんやる気なかっただろ?」

「当り前じゃ。情念ではなく、呪詛の残りカスが起こした事件じゃぞ?」

「次に、父さん。なんでそんなに楽しそうなの?」

「いやぁ、ほんとは父さんもシロさんと仲良くしたかったから」

「お、そうかそうか。神谷家当代。苦しゅうないぞ」


 この日、神谷家は八白を中心に回り、主に俺が振り回される形になった。その台風のような回転が収まった後、帰りの石段で俺を襲った怪異――怪異頻発の原因について聞いたのだが、それはまた別の話だ。



確かめる 終

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