第10話 眠る 1/3

 分かっている事実を箇条書きにする。八白の行動に関係しそうな出来事を思い出す。


● 裏山に近づけない

● 俺の部屋に札の入った箱があった

● 箱には手紙が入っていた。字は八白のものだった

● 俺の記憶が封じ込められていた

● 封じられた記憶は八白にかかわるものに限られる

● 記憶が封じられたのは、数日前である

● 数日前、俺は八白宅に泊まった


 そこまで書いて“泊まった”に打消し線を引く。


● 数日前、俺は八白宅に泊まるはずだったが、気が付いたら自室にいた


 今、俺は八白が何をしようとしているのかを、できるだけ正確に理解しようとしている。そのために、思い込みや見落としがないか情報を書き出す作業中だ。心情としては、今すぐに走り出したいのだが、どこに向かって走ればいいのかもわからない。そのまま、がむしゃらに動いても何もできない。


 もし、俺が物語の主人公なら、闇雲に走り回ればいつの間にか物事が上手い方向に転がってくれるのだろうか。そうだったら、どれだけよかったか。感情にまかせて動きたい。つい、そんな空想をしてしまう。


 だが主人公ではないただの人間が、闇雲に走ってしまえば他人を蹴飛ばしかねないことを、俺は知っている。


 そのせいで、坂本という人間が――人が死んでいる。どうしようもないクズだった、と今でも思っている。でも、救えたかもしれない人間だ。そして、その死は別の人を深く傷つけた。それも防げたかも知れないことだ。


 だから、少しでも状況を理解してから動きたかった。他に分かっていることはないだろうか。推測を挟まず、はっきりしていることだけを書き出す。しかし、驚くほど少ない。それだけ、八白は独りでこの問題を抱えていたということだ。


 そうだ、人形についても書いておくべきだろう。八白が俺を遠ざけて裏山ごと結界で覆う理由は、今のところ人形しか考えられない。もっと他にとんでもない何かが登場した可能性もあるにはあるが、そんなものがいるとしても手がかりがなさすぎて考える余地がない。


● 人形はトンネルにいる


 そう書いて、手を止める。

「これは推測になるな」

 独りちて、打消し線を引く。

「人形は、どこにいるんだろう?」

 わからない。わからないから、後回しにする。


● トンネルに人形の気配がある


 書き直して、また手を止める。他に、人形について何も知らないからだ。人形とは何なのか、八白の昔話しか俺には情報がない。


● 人形は人の望みを叶えようとする


 これは確実な情報としていいだろう。八白の話でもそうだし、俺が見た気配も俺が会いたいと願っていたことを叶えた。

「あれ?」

 違和感に気がつく。人形とは“呪う”、“殺す”、“執着する”くらいしかできないような、ひどく不完全な物ではなかったか。ただ望む姿を見せるだけというのは、妙に大人しすぎないだろうか。それに、以前のような声も聞こえなかった。

「性質が変化しているのかも?」

 そろそろ確実だと思えることがなくなってきたので、推測の段階に入る。


 まず、記憶の封印は俺を遠ざけるためだろう。しかし、八白が俺の前から姿を消すためだけに記憶を封じたなら、そのあとはどこか他の土地に移動するだけいい。俺には後を追う手段がないのだから。それに札と手紙があったから、俺を見捨てたとか愛想が尽きたとかではない……はず。


 だとすれば、遠ざける理由は危険があるから。真っ先に考えられるのは、人形との決戦だ。ここまでは、トンネルからの帰宅中に推測した内容をなぞって確かめているだけ。


 つぎに、記憶が封じられたのはいつか。数日前に八白宅に泊まったつもりだったのに自室で起きた日、俺の記憶が封じられたのがその日だ。そのあと、八白と会っていないのだから、術がかけられたのはその時しか考えられない。


 結界はその直後からあったのだろうか。認識できていなかったからハッキリしない。しかし、戦いの影響を裏山の中だけに抑えるために結界を作ったなら、今も戦いは続いているということになる。


「もしそうだとしたら、もう三日以上戦い続けていることになるのか」

 信じられない。どんな体力だ。だが、戦いが終わったなら結界が残っている理由がわからない。いまさら、人払いして引きこもるとも思えないし、結界を維持しているからにはもその中に存在し続けているはずだ。


「自分と一緒に封印している……とかもあり得るか」

 あらためて状況を整理すると、八白の身を案じずにはいられない。

「いや、だめだ。まずは、壁の外でできることをしよう」

 それが、ここまでして裏山の外にいる全ての人を守ろうとしてくれている八白にたいして、俺ができることだ。


 さて、ここまで推測してみて、ピタリとハマってくれないピースがある。

「なぜトンネルに人形の気配があったのか」

 考えられるのは、人形が結界を越えて影響を与えられるほど強いから。もう一つは――考えたくないが、八白が戦っているのが人形以外の脅威であり、人形の方は野放しになってしまっているから。


「よし。決まった」

 今、俺がするべきことはトンネルの調査だ。あれが何なのか調べて、無関係の人間が餌食にならないようにすること。もしかするとこの調査から人形の状態、ひいては八白の状態がわかるかもしれない。


 俺はすこし遅い昼飯を腹に詰め込んでから、ありったけの札を準備して万全の態勢でトンネルに向かった。



 午前中にも乗ったバスにもう一度乗り、一人で山道を進む。しばらく行くとトンネルが見えてくる。今度は結界札を手に持ちながら慎重に近づく。


 今朝のように破けたりはしない。臭いも薄いのだが、まったく臭わないわけではなく、残り香のように執着がこびりついている。変わらず慎重に進み、トンネルの入り口まで来たところで、意識を集中する。


 以前、石段で嗅いだ悪臭と同じだ。人形に間違えない。それに加えて、少し違う臭いも混じっている気がする。八白の臭いに似ている気がするのだが、普段の臭いではない。戦闘中の――本気のときの臭いということだろうか。


 残り香から出所を探す。臭いは裏山の方向から漂っている。

「八白と人形が裏山の結界の中にいるのは確定か」

 そして、臭いの出所を探るのと同時に、どこに向けられた執着なのかも探る。こちらは、集中するまでもなく簡単にわかる。

「この執着は、俺に向かっている」

 人形の執着は、自分を作った祠の一族の末裔――神谷の子である俺に向かっている。いや、それだけじゃない。八白も俺に向けて念を飛ばしている。だから、臭いが混じっているんだ。


 何が起きたらそんなことになるんだろう。それだけ、八白が弱っていたのか……。

「どんなに弱っていても、俺に助けを求めるとは思えない」

 実力差が歴然としているので、悔しくも何ともない。ただの事実である。


 だとしたら、何かを心配したと考えた方がいい。事実、結界から臭気――執着とも呪いとも言える物が漏れ出して、このトンネルに吹き黙ってしまって怪異を成しかけた。もうここにはいないようだが、完全に消えたのか移動したのかわからない。


 まずはこの場に“祓い”をしてしまおう。この場所とこの想いは関係無い、という確かな壁を打ち込む。それで人形の執着はこの場所から全てなくなる。正確にいえば、何もできなくなる。


 “繋がりのない相手への感情には、行き場がなく無力。故に繋がりを絶てば無力”とは、八白がこの術を俺に教えたときのべんである。“繋がりを認識できない意志なき者の執着は、自然と散り散りになる”とも言っていた。


「つぎは、結界の状態をチェックしないとな」

 臭気の漏れが一時的なことなのか、結界が破壊されたから起きたことなのかわからない。結界に何かがあったなら、それを塞がなければ。


 そう考えているとスマートフォンが鳴った。地井からだ。

「どうした?」

「あのさ! 大変なの! 札が割れたの!」

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