第8話 消える 3/3

 縛術で動きを封じられた人形の中――吐き気をもよおす悪臭が渦巻く中から、懐かしい声が聞こえる。

「僕の声、忘れちゃった?」

「……忘れるわけ……ッ!!」


 これは人形の呪いだ。奴は願いを叶えるために行動している。儂が望んだ物を見せているだけだ。まだ、戦いは終わっていない。こちらは動けない。一方で、あちらは動けないが。状況は、最悪と言っていい。


「最悪って……もう少し喜んでよ」

阿呆あほう! アイツの声は、貴様が使って良いものではない!!」

「いやぁ……本人なんだけど……まぁ、生きてはないけどね」

「くそッ!」


 心も読まれている。すぐに自分の心を封じて対抗する。

「すごいね、八白。僕がいなくなってからもちゃんと修行してたんだ?」

「黙れ」

「前は心を隠せなかったのに、今はぜんぜんわからない。成長したね」


 挑発のつもりだろう。乗せられてはいけない。心を乱せば付け込まれる。呼吸は深く、ゆっくりと。常に集中を切らさず、人形を睨み続ける。


 状況を打破するには縛術を解かなくてはいけない。自分の術を自分で弾くには、全力の自分をさらに上回る力で押しのける必要がある。熟達した者ほど困難ではあるが、決して不可能ではない。


 それは、同調している人形側の術も同時に解けてしまうことを意味する。そして、以降の攻撃は自爆覚悟で行わなければならなくなる。すべての攻撃は自分にも影響してしまうからだ。


 だが、それらの危険は覚悟の上だ。ここで死んでもいいように、できることはしてきたはずだ。


 ゆっくり、ゆっくりと力を蓄える。その間も、人形は――ゼツの声を発する。

「ねぇ。久しぶりなんだから、もっと話そうよ」

「ねぇってば」

「八白って怒ると、いっつも黙るんだよね」

「そういうの良くないって言ったら、わけわかんない言葉作るようになってさ」

「やれ“殴り潰す”だの“蹴り穿うがつ”だの」

「あれ、結構好きだったんだよ?」

「ねぇ、何か言ってよ?」


「黙れ」

「えー、もっとひねってよ。八白らしくないな」

「儂は、鏡と話す趣味はない」


「だからさ、本物なんだって」

「人形風情に、アイツの役は務まらん」

「ほんと、強情だなぁ」


 臭いの渦の中に顔が見える。懐かしい、何百年も見たかった、もう一度会いたかった顔だ。そこにあるはずのない顔だ。

「貴様……!」

「ぜんぜん信用してくれてない……」

「これ以上アイツを愚弄ぐろうするなら……ッ!!」


 慌てて息を止める。呼吸を戻す。深く、長く、静かに。まんまと乗せられて、気を乱してしまった。もう一度気を練り直す。



 どれだけ時間が経ったか。空が白み、夜が明けて、日が沈み、月が出て……三度目の陽光が社に差し込み始めても状況は変わっていなかった。術を解くために気を練り続け、人形はつまらなそうに――そう見えるゼツの顔を浮かべながら、地面に転がっていた。


 既に50時間を超える睨み合いが続いていた。どちらも動けず、しかし人形は揺さぶりをかけ続ける。愛する者の顔と声で昼夜問わず語りかけ、思い出話をほがらかに話し、時には問いかけ、あいづちを求め、他愛なくかけがえのない――遥か昔に失われた日常を見せつける。


 気を緩めることは許されない。一瞬でも“懐かしい”と思えば呪いに飲み込まれる。“失ったものを取り戻したい”、“あの頃に戻りたい”、“もう一度共にいたい”。そう思った瞬間、それはしてしまう。人形の力で、ひどく幼稚で取り返しのつかない方法で。


 それも、ようやく終わる。急がなければならない。山を覆うほどに広がった念は、結界があってもその外に影響を出しかねない。人形をどうにかせねば、被害が広がってしまうかも知れない。

ケッ!!!」


 渾身の力で術を破る。自分でかけた術を力づくで振りほどく。当然、その反動は自分に返ってくる。激痛が全身を襲い、気が遠くなる。だが、動く。動ける。痛みを噛み殺して身体を跳ね起こし、人形を睨む。


 人形は地面からずるりと立ち上がり、また悪臭を放ち始める。状況は振り出しに戻った……というわけではない。こちらに勝ちの目はなくなった。同調していることがはっきりした以上、善戦しても引き分け。悪くて、死だ。


「本当に……面倒な奴じゃよ……」

「……会いたくないの?」

「……もう会えないんじゃよ」

「会えるのに?」

「黙れ」


 臭いが濃くなる。同調されているなら、この鼻を突く悪臭は、儂が抱えた執着なのか。儂は何百年も、何をしてきたのだろう。何も変わっていないのではないか。何も変えられていないのではないか。


「それでも、くらいはしてから消える。それが最低限のケジメじゃ」

「……八白」


 ゼツの声が響く。

「その生き方が、君の答えかい?」

「黙れ」

「君には、幸せになって欲しかったのにな」


 視界が赤く染まる。


 怒鳴り声が響く。


 泣き声に近い絶叫だ。


 叫んでいたのは、自分だった。


 迫りくる悪臭の中で、がむしゃらに爪を振り回す。引き裂き、踏み潰し、嚙み砕く。そのすべてが自分自身をも傷つける。それでも、そうせずにいられなかった。


 悪臭は、どこまでも深く、黒ずんでいく。



 汚水に沈んだような息苦しさだった。鼻の奥の、そのまた奥にまで悪臭がこびりついている。身体に力が入らない。生きているのが不思議なくらいだ。どれだけ続けていたのだろう。高かった日は沈み、また東に登って場違いなほど暖かな光を社に届けている。


 人形は目の前をふらふらと漂っている。ぼろぼろになるまで攻撃しても、効いているのかどうかわからない。


「ああ、酷い。本当に酷い……しくじりじゃ」

 いまさら、後悔しても遅い。それでも、相手も消耗している。このまま、相打ちには持ち込めるだろう。十分だ。ただ、恰好がつかなかっただけにすぎない。やるべきことは、達成できた。


「これで……この件は、解決じゃな」

 儂は、儂の執着を……どうしようもできないのだと理解した。だから、もう十分だ。これ以上、を見せつけられるのは耐えられそうにない。


 最後の力を振り絞る。もう一度、術をかける。印を結び、念を込めて、人形に――アイツの顔をした悪臭のかたまりに、力いっぱいぶつける。

「終わりじゃ」



 ――“……八白さん?”



 遠くで、名を呼ぶ声がした。


 意識がそちらに引っ張られた瞬間、術が人形にぶつかった。


「会いたいんだね……」

 人形がここにいない誰かに向けて語りかける。

「早すぎる……」

 結が儂の名を呼んだ。すなわち結にかけた術が解けた、ということだ。無茶な戦いをして儂が弱ったからか、人形の臭気が結界の外にまで漏れて、それに当てたられた。どんな理由があるにしろ記憶の封印が解けるには早すぎる。


 結の声で集中が途切れた。そのせいで、意識ごとすべての精神力をぶつけるつもりが全力を出せなかったようだ。結に繋ぎ止められたと言うべきか、命を落とさずにすんだが、それは人形も同じだ。


「気がそれたが……それでも、力の限りの封印じゃ。さぞつらかろう?」

「……会いたい」


「……儂が会いたいのは、誰なんじゃろうな」

 朦朧とした意識の中で自問する。もう、今となっては願わずにいられるだけの力も残っていない。幸いにも、人形の方も弱っているようだ。封印を弾き返せるほどの力は残っていない。


「無茶苦茶するなぁ」

 背筋が凍った。

「なぜ……話せる?」

 力が残っていないはずの人形から、ゼツの声がする。

「ずっと言ってるじゃない。本物だって」

「やめろ……聞きたくない……」

「ほんと、死ななくてよかったよ。君も、この子も」

「お前は……何を言っているんだ?」


 ゼツの声が響く。耳の中で。もう悪臭はしない。


「儂は取り込まれたのか?」

「違うって。心配しすぎだよ」

 ゼツが笑う。

「封印されたからね。君も僕もこの子も動けない」

「意味がわからん」

「いや、封印したのは八白でしょ?」

「お前が! ゼツであるはずがない! アイツは死んだ!」

「ちょっとちょっと! そんなに暴れたら危ないよ?」

「お前は……何なんだ……?」

「ゼツだよ。初めから、そう言ってるじゃないか」


 悲しそうにそういうゼツの顔が見える。


 人形は儂と共に封印された。これから続く無限の苦しみを、山に張られた結界が保証してくれる。これで、誰もが守られた。気掛かりなのは、結の記憶が戻ったことか。しかし、それもすぐに忘れてくれるだろう。そのための手紙だ。


「ああ、会いたいな」

 最後にそうつぶやいたところで、儂の意識は途絶えた。



消える 終

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