第10話 眠る 2/3

 俺はまたバス揺れられている。急いでいるが、バスを急かしてもどうしようもない。地井の札が割れた。危険な何かが近くに来ているということだ。トンネルから祓った人形の臭気が、地井のところに集まったのだろうか。


 しかし、個人を狙い撃ちできるような意志が残っているとも思えない。あのトンネルはもともと心霊スポットとして有名な場所だ。そういう物が吹き溜まりやすいから、偶然影響が出ただけだ……と思う。だとしたら、何かが地井に迫っているのか?


 どうしようもない居心地の悪さでジッとしていられない。

「八白なら、どうするか」

 きっと、地井の周りの気配を探って魔除けをするか、祓いをするかして終わりだ。移動はバスではなく、自分の脚で飛んでいくかもしれないけれど。


「俺にも手際よくできるといいんだけど」

 不安が頭をぎった一瞬、“結界に穴があれば中に入れるかも”と考えて首を横に振る。俺が結界に入るのは、そうしなければならないときだけだ。迂闊うかつな行動を取れば、八白の脚を引っ張ることになる。そして、そんなときはきっと来ない。来ない方がいいのだ。



 俺は急いで家に戻った。地井から結界札が割れたと連絡が来たとき、俺の家に来るように言っておいたので、家で待っていてくれることだろう。俺の家の方が近いし、もし札が足りなかった時に補充できるので都合がいい。


「ただいま!地井来てる!?」

「あ、お兄ちゃん。居間で待ってもらってるよ」


 靴を脱ぎ散らして上がり、急いで居間に向かう。居間のソファで地井が眠っていた。

「おい、地井。起きろ」

 肩をゆするが反応がない。

「おい!」

 両手で身体をゆすっても、声を荒げても、顔を平手で叩いても目を開けない。

「おい!しっかりしろ!」

 まったく反応がない。


 さすがに異常だ。熟睡しているのではなく、気絶しているようだ。だが、ゆっくりと穏やかに呼吸しているその顔は、心地よさそうですらある。


「くそ!何が起きてんだよ!」

 考えられる原因は、、他の怪異、急病、ケガ。地井の身体に一見してわかるケガはない。急病だったら俺は何もできない。医者を呼んでおかないと危ないかも。


「紬!地井の様子がおかしい!110番してくれ!」

「え?……どうしたの!?」

 自分の部屋に行っていた紬に声をかける。

「わからないけど、地井の意識がない」

「ええ!?」

「落ち着け。救急車を呼んでくれ」

「わかった。救急車ね……119番だよね」

「え、俺なんて言った?」

「110番」

 紬はすぐにスマートフォンを取り出して救急車を呼んだ。


 紬が電話口で状況と家の住所を伝えている声を聞きながら、俺は深呼吸する。救急の番号を間違えるくらいには、今の俺は冷静さを失っている。そんな状態ではできることもできない。地井がこうなった原因が怪異なら、俺がどうにかしないと。


 周囲の臭いを探る。薄い臭いが残っている。人形の臭いだ……だが、トンネルのときと同じで別の臭いが混じっている。八白のような、そうでないような臭いだ。原因はトンネルに溜まった臭気だ。


「おかしい」

 意志を持って動いていなければ、ただ散り散りになって消えるはずなのに。人に向かって集まることも、影響を与えることもできない。結界札を近づけてみる。札に変化はない。

「ここには、もう何もいない」


 ならば、どこにいるのか追ってみよう。読心の術を込めた札を取り出して、地井の精神の中を覗いてみる。札に念を込めて、地井の額に当てる。その上で手を重ねて目をつぶる。瞼の裏を睨み、その闇に飛び込むように集中する。


 すぐに視界が明るくなる。真っ白な部屋の中に、雑然とさまざまな物が置かれている。八白のときと比べると物が明らかに少ない。切り貼りされた景色も俺が見知った場所が多いようだ。そして、一番の違いはがいないことだ。


 精神がからになっている。意識がないというよりも魂を抜かれたというべき状態だ。白い空間の中で臭いを追う。地井の臭いは……裏山の方向に進んでいる。そして、もう一つの臭い――悪臭は……


「紬!」

「何?お兄ちゃん、救急車すぐ来てくれるっ……」

 言い終わる前に紬が崩れ落ちた。結界札は反応していない。すぐに紬の精神を覗く。


 そこには、小さな家具やお気に入りの小物が並んでいる。

「紬!」

 名前を呼んで、空間を見渡すがやはり誰もいない。臭いは、やはり山へ向かっている。そして、悪臭は外に向かって……街に出て行ったのだろう。


 紬は穏やかな顔で眠っている。呆然としていると救急隊が到着したらしく呼び鈴が鳴らされた。俺は紬と地井を居間に寝かせて玄関へ――向かう前に辺りに散らばった札をかき集めて懐に入れた。救急隊員に怪しまれることを心配した以上に、身を守る武器を失いたくなかった。



 その後、救急車がもう一台呼ばれて、二人は病院に運ばれた。俺も付き添いとして乗り込み、検査を受けることになった。俺の両親にも地井の両親にも連絡が行っているだろうから、今こっちに向かっているかもしれない。それは、近づいてきてしまった両親たちも狙われる可能性があるということだ。俺はエントランスの長椅子に座りながら頭を抱えた。


 顔を上げて、近くを通った看護師に言う。

「あの、俺、ちょっと外出たいんですけど」

「ダメですよ。お友だちと妹さんが倒れた原因が食中毒や何かのガスとかなら、あなただって危ないかも知れないんです。ちゃんと検査してからでないと……それに、すぐにご両親もいらっしゃいますから」

「……わかりました」


 もしここで俺が、地井と紬が倒れたのは魂がどうのこうの、なんて言ったら意識が朦朧もうろうとしていると思われて、余計に面倒なことになるだろう。


 状況はとても悪い。八白が張った結界の外で、人形の臭気が暴れている……臭気なのかどうかも定かではない。意志を持って動くのなら、人形の一部と考えた方がいいだろうか。そして、何より結界の札が効かない。あの臭気のかたまりは何なのか。わからないことだらけだ。


 八白に助けを求めたい――弱気な思考が頭の中でぐるぐる回りながら、層を作って積み上がっていく。

「ダメだ。八白も今、戦っている」

 これは、俺が解決しなければならないことだ。八白の助けをあてにしてはダメだ。


 感情は暴れ回っているが、それを無理やり理性で押さえつける。今はまず、頭を冷やすことが最優先だ。長椅子から立ち上がって、待合室の中をあてもなく歩き回る。ゆっくり歩くリズムに合わせて、呼吸を整える。脚の動きと呼吸にだけ集中し、一時的に現実を忘れる。


 中庭が見える大きな窓の前まで来たところで、差し込む光に目を向けた。うっすらと赤みがかった空気が中庭に満ちている。そろそろ夕暮れになる。この色を見ると、八白を思い出す。


 八白と会うのは夕暮れ時が多い。放課後に会いに行くのが日課だからだろう。石段から見上げる鳥居の背景は、いつものこの暖かな赤だった。俺はこの時間の空の色が好きだ。思い出せば、八白はずっと俺を守ってきてくれた。だから、今はこんなにも心細いのだと、ようやく気が付いた。


「守ってくれていた……」

 そうだ。俺が人形に出会った日、八白は俺の家に来た。人形への対策なら、その時にしていたはずじゃないか?こうもあっさりと、俺の家にいた地井や紬がやられるのはおかしい。


「何か……見落としている気がする」

 意志を持って動くこと、結界の札が反応しないこと、臭いがわずかに違うこと。全部繋がっているのではないか?


 思考をさえぎるようにスマートフォンが鳴った。見ると誰かわからない番号が表示されている。

「あ、電源切ってなかった」

 と無意識に口に出していた。

「エントランスは大丈夫ですよ」

 それを聞いて、さっきの看護師がにこやかに教えてくれた。


 とりあえず応答する操作をしながら、病院の玄関を出た。出入口の脇まで歩いたところで電話に出た。

「はい、神谷です」

「あ、結君?覚えてる?間宮です」

「え?間宮さん」

「そうそう。絵描きの間宮さん。今、大丈夫?」

「ちょっと、大丈夫じゃないです」

「あ、やっぱり?いやさ、僕のところに変なのが来たから、もしかしてと思ってね」

「は?」

「うん、で心配だったから義信よしのぶくんから番号教えてもらって連絡したんだ」


 何が起きているんだ、一体。

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