第10話 眠る 3/3

「えっと、順番に話すね」

「お願いします」

「今、小百合が不安定でさ。僕もできるだけ家にいるようにしてるのね。アトリエじゃなくて」

 小百合というのは間宮さんの奥さんの名前だ。たしか、今は妊娠中。何かあったら……と思うとゾっとする。


「で、さっき、変な声が聞こえたの。でも小百合には聞こえてないみたいでさ」

「よかった」

「よくはないよね?」

「あ、すみません。その、妊婦さんに何かあったらって」

「あ、ああ、そういうことね。うん、確かに。僕でよかった」

「いえ、すみません」


「でね。なんかやばいなこれって思ったんだけど、ずっと“願いごとはない?”って聞いてくるんだよ」

「何か、答えましたか?」

「“もう十分幸せだよ”って」

「それで、どうなりました?」

「今、めっちゃ眠い」

「え?」

「たぶん、あれね。幸せにしようとしてるんだね」

「は?」

「寝ると幸せじゃない?」

「あの、そういう話じゃないんじゃ……」

「あれは、そういう物だと思う。直感だけど」

「はぁ?」

「だから、わりといい奴なのかも?」

 何を言っているんだ、この人は。


 間宮さんは話を続ける。

「でね。声が聞こえたときは焦ったんだけどさ。“こういう話なら霊能力者に相談だー”って思ったんだ」

「そうですね」

「で、そしたら僕は君しか心当たりがないから、思い出すよね」

「そうなりますか」

「そしたらね。その声が笑ったんだよ」

「笑った?」

「笑ったというか、微笑ほほえんだ」


 意味がわからないことがどんどん増えていく。

「その声が“あはは”とか“うふふ”とか言ったんですか?」

「いや、何も言ってないんだけど、嬉しそうな雰囲気でね」

「……ちょっとよくわからないです」

「僕もわからないけど、君が誰かに頼られるのが嬉しかったんじゃないかな」

「はぁ?」

「うん。だから、たぶんいい奴なんだよ。あいつ」

「あの、言ってませんでしたけど、こっちは妹と友だちがやられて、意識が戻らないんです……そういう……いい奴なんかじゃないですよ……絶対」

「あー……そうなんだ。ごめんね」

「いえ、言ってなかったんで、しかたないです」


 少しだけ重い空気が流れた。と思ったのは俺だけで、すぐに間宮さんは変わらない調子で話し始めた。

「うーん。そうなると、僕が三人目か」

「え?」

「じゃぁ、切るね。そろそろ限界」

「え、ちょっと……!」

「小百合には言ってあるから、こっちの心配はしないで良いよぉ」

「間宮さん!?」

「おやすみー」


 電話が切れた。訳のわからない現象に対して、動じなさすぎる。いや、昏睡するほどの眠気を精神力だけで押しのけながら俺に連絡をくれたんだ。訳のわからない人だが、とんでもない人でもある。改めて、その変人っぷりを見せつけられた。


 しかし、外の空気に触れて頭が冷えたおかげか、違う視点の意見を聞いたせいか、俺の思考は殻を破ったように自由になった。そして、ある仮説――とてつもなく飛躍した、ある可能性にたどり着いた。


「あれは人形じゃない。八白だ」


 トンネルで最初に臭気に出会ったとき、俺の札だけが破壊された。人形の執着は俺に向いていたと考えればそれは説明できる。臭いは人形のものだった。十年前に嗅いだ臭いだ。当時は知覚すらできていなかったが、記憶が一度封印されて、取り戻した今だからこそわかる。あれが人形の執着の臭い。


 そして、次にトンネルを訪れたときの残った臭いに混じった別の臭い。人形の臭いに混ざった八白に似た臭いこそが、俺の周りで人を眠らせているモノの正体……だとしたら、つじつまの合わなかったことが説明できるかもしれない。


 仮にこの怪異をと呼ぶことにする。


 残り香は人形とは別の怪異だ。別の臭いが混ざっているように感じたのも、そもそも別のものだとしたら説明がつく。そして、核になった臭いが八白のものなら、残り香は人形ではなく、八白であると考えておいた方がいいだろう。


 地井に渡した札は人形の臭気によって破かれたはずだが、そのあとすぐには地井に異常は出なかった。俺の家まで自力で来て、到着したあとで倒れたのだから数十分のタイムラグがある。この期間に人形の臭気が残り香に変化したとすれば、そのあとで札が反応しなくなったことも、つじつまが合う。


 人形に反応していた結界札は、新たに現れた残り香には反応しなかった。残り香に危害を加えているという意識がないなら――間宮さんが言ったように、いい奴だとしたら結界札が反応しないのも当たり前だ。この札が弾こうとしているのは“危険な物”なのだから、危険を自覚していない物には反応しない。


 そして、意志を持って動くこと。眠りをばらまいている残り香の行動は、八白の意志だとしたら――違う。これは説明がつかない。一体、何がしたいんだ?


 俺の思い付きはここで止まった。行動の目的が……いや、狙われる条件がわからない。人形の意志で動いているなら、初めから俺が狙われていたけれど、俺が八白に守られていたから周囲に影響が出た、と考えられる。


「待て。今は八白がいないだろ」

 そうだ。残り香の狙いが俺だとしたら、俺が真っ先にやられているはずだ。もしも狙いが神谷家だとしても、地井がやられる意味がわからない。地井はトンネルに行ったから巻き添えを食ったのだと考えても、間宮さんがやられたのはなぜだ? あまりに脈絡がないじゃないか。


「……そうか。俺だ」

 残り香の行動は、俺の周りにいる人間。今日、特に多く関わった地井が狙われ、ひとつ屋根の下に暮らす紬が狙われ、たった一日でも長時間会話していた間宮さんが狙われた。


 ……それでも、順番がめちゃくちゃじゃないか?俺は、地井とも間宮さんともそこまで近しいとは――友好的には思っているけど、関係はただの友人だ。別の共通点があるのか……


――“君が誰かに頼られるのが嬉しかったんじゃないかな”


 間宮さんの言葉を思い出す。


「俺を頼っている人……」

 親しい順番なら両親が入ってくる。最近会った順番なら近所の住人が入ってくる。でも、俺を頼っている人となれば直近で頼ってきた地井、兄として信頼してくれているであろう紬、そして悩みを解決できた間宮さん。


「確かめないと……」

 俺が病院を出ようとした所で、看護師が声をかけてきた。

「あ、こんなところにいたんですか? 検査始まりますよ」

「……すみません!すぐに行かないといけないんです!」


 俺は自分の身体に隠遁術の札を貼った。



 俺は家の近くまで来たところで札を取って、東野に連絡を入れた。すぐに声が返ってくる。

「どうした?」

「東野、川崎さんの体調、その後大丈夫?」

「心配しすぎだよ。あの件のあとは元気なもんさ」

「そうか。それならいいんだけど……気をつけてくれ」

「は? いきなりなんだよ? こえぇんだけど?」

「とりあえず、様子見てくれ」


 東野にそう伝えると俺は電話を切る。そして、また札を身体に貼り移動した。俺が真っ先に来たのは“動く人形”を持っていた子供の家だ。“おまじない”をした俺を、あの子が覚えていて、頼りに思ったなら狙われる可能性がある。隠遁術を使ったまま、こっそりと様子を見る。家の電気が付いていない。出かけているのか、あるいはあの子が倒れたからか。


 次に俺は、ポルターガイスト事件で関わった村雨家に移動した。しばらくすると、サイレンが聞こえ、救急車が村雨家の前に止まった。担架で運ばれてくるのは奥さんだ。付き添いに父親も花ちゃんも出てきた。二人は無事らしい。父親が隠そうとしたことを見抜いた俺を、少しばかりでも頼もしく思ったのだろうか。


 偶然かもしれない。しかし、今は何かを仮定して動かないと動きようがない。俺を頼る人が幸せになること。それが、残り香の行動目的だと仮定する。そして、幸せにする手段は眠りに落とすこと。


 人形から生まれて、八白の意志を曲解して動く怪異が残り香である。だとするなら……。

「八白を、助け出さないといけない」

 残り香を追う方法も倒す方法も、影響を防ぐ方法もない。攻撃であるという自覚もない攻撃は、術では防げない。だから、出所を対処するしかない。

「でも、どうやって」

 八白が退治している相手は、ゼツが命を落としても倒し切れなかった怪異だ。俺が行って、何ができるというのか。


 そのとき、鼻に残り香が放つ悪臭が触れた。救急車に運び込まれた奥さんから流れてきた臭いだ。人形の悪臭と、いつもと違う八白の臭いが混ざっている。


「この臭いって……」

 もしかしたら……。そうか。でもそれなら……10年も動きがなかったことも、人形の影響が八白の話よりも軽かったことも、納得できる。

「助けられるかもしれない」



眠る 終

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