第3話 傷つける 3/3

 次の日、俺と八白はあらためて川崎宅を訪れた。両親には見舞いと言って、部屋に通してもらう。謎の高熱を解決した実績があるためか、信用とも畏怖とも言える感情を持たれたようで、すんなりと川崎と三人で話せる状態になった。


 俺が最初に声をかける。

「こんにちは」

「……こんにちは」

「今回の件は、本当に申し訳ありませんでした」

「いえ、とんでもないです。助けてくれたじゃないですか?」


 多分、東野から聞いた“刃物を持った坂本が、何かを嫌がるように川崎から離れた”ことを言っているんだろう。隣に座る八白が、その現象を短く説明した。

「貴方が寝込んだときに、念入りに魔除けをしていたの。だから、貴方を傷つけようとして近づいてきた者は弾き出された」

「やっぱりそうだったんですね。お二人が居なかったら、どうなっていたか」

「それで、体調はどうですか?」

「体調は大丈夫なんですが……外に出るのが怖くて……」


 あんなことがあれば、当たり前だ。俺がするべきことは、少しでもこの恐怖を和らげることのはずだ。

「実は昨日、坂本の霊を降霊しました」

「え?」

「不気味に思うでしょうし、怖いと思います。でも、大切なことを聞きました」

「……何ですか?」

「彼は、もう川崎さんを恨んでいません」


 八白が白い目でこちらを見ている。だが、俺はこの嘘を突き通す。

「降霊した坂本から、話を聞きました。どんな別れ方をしたのか、どれほど恨んでいるのか。全て聞きました」

「……私も、悪かったんです。彼と付き合ううちに、何かにつけて威張り散らす彼といるのが辛くなって」

「霊と言うのは、感情の残り香のようなもので、いつまでもくすぶることもあるんですが、逆に全て吐き出せば消える物でもあるんです」


 八白がこちらを睨み続けている。覚悟の上だ。俺は退かない。

「そして、彼の念は全て吐き出させました。だから、もう彼はあなたのことを覚えてもいない」

「そんなことって、あるんですか?」

「はい。坂本の霊を降ろしたのは、僕の身体なんです。だから、自信を持って言えます。彼に未練はありません。迷わず成仏しました」


 俺の話は、大嘘を経由して事実に着地した。坂本の霊がもうこの世に残っていないことは八白が保証してくれる。悪霊として残してしまうようなはしていないはずだ。

「そうですよね? シロさん」

「……ええ、私が保証します。彼は、もう貴方に何もできません」

「そう……ですか」


 川崎は、まだ割り切れない様子だった。だが、シロの言葉を聞いて、わずかにではあるが表情に安心の色を滲ませた。俺は次に、彼女の罪悪感を薄めるための手段を講じた。

「もし、彼に負い目を感じているなら……線香をあげてみてはどうでしょうか」

「線香……」

「彼の家に行くのは、辛いと思いますから、この部屋で」


 そう言って、俺は用意していた線香立てと線香、100円ライターを取り出した。八白が小声で、俺にだけ聞こえるように言う。

「準備が良いの」

「丸一日考えましたから」

俺も小声で答えた。


 さて、ここからはまた舌先三寸。嘘でも誤魔化しでも、目の前の憔悴しきった人間を救えるならば構わない。俺が罪悪感を抱えるだけで済むなら、詐欺でもペテンでもやってやる。それが、俺が積み重ねた失敗への、俺なりの罰だ。

「俺は坂本の霊を降ろした関係で、まだほんの少しだけ魂が繋がっています」

「そうなんですか」

「だから、川崎さんが彼に謝りたいと思ったなら、線香を焚いて手を合わせてくれれば、俺を通して彼にも伝わります」


 川崎はためらっているように見えた。俺は、彼女の背を押す。

「お話した通り、もう、彼はあなたに何もできません。だから、意味が無いと思われるかも知れません。でも、手を合わせることが、川崎さんが心を整理するきっかけになると思うんです」


 川崎は少し考えてから、線香の箱に手を伸ばした。

「……そうかも知れませんね」

彼女はゆっくりした動作で線香に火を灯す。橙色の柔らかな光から、白い煙が真上に昇り、香りが部屋に広がった。


 川崎は、深く息を吸ってから、静かに手を合わせた。指先が少し震えている。


 それから数分間、彼女は動かなかった。指の震えもなくなり、落ち着いているのが分かる。彼女は今、許しを乞うているのだろうか。それとも、怒りをぶつけているのか。あるいは、ただ無心に手を合わせているのか。その内心は計れない。


 川崎が目を開けた。そして、両手をストンと降ろして、言った。

「もう、大丈夫です」

「落ち着きましたか?」

「はい。ほんのちょっとだけ、って思えました」

「良かった。この線香は、ご両親に渡しておきます。また、気が向いたら使ってみてください」

「ありがとうございます」

「あ、火の扱いには注意して。ご両親と一緒に使った方が良いですよ」

「え?私、そこまで子供じゃないですよ?」

「あ、いや……誰かと一緒の方が、もっと落ち着けますから」

「……そうですね。そうします」


 そう言った川崎は、少しだけ微笑んで見えた。



「なんじゃあれは。お前、いつから霊感商法に手を染めた?」

「嘘も方便です。それに、彼女が安全だってことは間違いなく事実でしょ」

「よくもまぁ、次から次へとデタラメを並べられたもんじゃな。お前の将来が不安でならんわ」


 いつもの居間に戻った俺は、八白から懇々こんこんと説教をされていた。

「良いか? 嘘で救った所で、嘘はいつか明らかになる。一時しのぎに過ぎん」

「死人の気持ちがバレることなんてありませんよ」

「儂なら聞き出せるぞ?」

「八白さんはそんなことしませんよ」

「何故そう言い切れる?」

「八白さんだって、今回の件ではんですから、恥の上塗りみたいなことはしないはずです」

「うぐぅ……!」

「それに、俺は八白を信用してますから」

「どういう意味じゃ?」

「坂本の霊が悪さできるような状態で、ほっとく訳が無い」

「そりゃそうじゃ。きっちり成仏させてやったわ」

「そして、わざわざ事実を話して川崎さんを傷つける人でもない」

「当り前じゃろ!」

「だから、俺が嘘つきになるだけでこの問題は解決するんです」


 俺は自信満々にそう言った。だが、そんな自信はやすやすと八白に突き崩された。

「他の霊能力者がったらどうするんじゃ?」

「え?」

「他の霊能力者が“そこのお嬢さん、あなたには悪い男の霊が憑いています”なんて声をかけてきたらどうするんじゃ?」

「いや、それこそ霊感商法でしょ。坂本の霊はもういませんよ」

「言われた側がどう思うか、じゃ」

「……いろいろフラッシュバックしそうですね」

「そして、不安になった女がお前に連絡を寄越すかも知れん。それが、何年先かは分からんが、お前はすぐに今日の噓の続きが言えるか?」

「……言います。言ってみせます」

「不意打ちで聞かれた、何年も前の噓をほころびなく、か?」

「それは……」

「そういうことじゃ。“嘘はバレる”という言葉は、誰かがバラすという意味じゃないのじゃ。“嘘は事実よりも頼りない”という話じゃ。寄る辺にしてもろくなことにならんぞ」


 途端に不安になってきた。俺は、また間違ったのだろうか……


「じゃから。最後まで面倒を見るんじゃ」

俯いていた俺の顔を、八白が両手で引き上げて言った。

「これでと思うな。あの女が立ち直るまでがの罪滅ぼしじゃ」

「俺は、嘘つきになれますかね?」

「無理じゃろうな。お前はお人好しが過ぎる」

「……どうしましょう」


 八白は子供のように笑って言った。

「大丈夫じゃよ。その頃にはお前ももう少し大人になっとるからな」

「そんなもんですか?」

「お前の努力次第じゃがな。打てる手も増えておるだろうよ」


 そうかも知れない。俺は、もっと成長しなくてはいけない。他人がかかえる厄介事に首を突っ込むには、俺はまだおさなぎた。俺はしばらく考えてから言った。

「分かりました。とにかく、安全だということは事実なんで、そこを重点的にアピールする方針で行きます」

「うん? 何じゃって?」

「どんな噓を言うか、事前にアウトラインを固めておけば、不意打ちで聞かれても対応できると思うんです」

「お、おう……」

「あまり細かく決めると対応できないシチュエーションが生まれると思うんで、川崎さんが安心できることを最優先にして、情報を整理してですね」

「あー、そうじゃな。情報整理は大事じゃな……」

「真面目に聞いてください。“儂ら”の罪滅ぼしなんでしょ?」

「あー、このまま行くと、また資料作りを始めそうじゃな」

「いえ、文章に残すと漏洩ろうえいが心配なのでしません」

「何にせよ、今考えても仕方ないじゃろ。空回りするな」


 そう言われても、俺の空回りは止まらず……結局、夜を徹して八白にプランをぶつけてしまった。そして、明け方になって気絶するように眠った。昼過ぎに起きてから、俺はようやく後悔の涙を流した。何年でも何十年でも嘘を突き通す覚悟が決まった時、俺にも、この事件の解決が訪れたようだ。


 こうして、一人の死者を出した後味の悪い事件は、俺と八白に踏み込むことの恐怖を教えて終わりを告げた。



傷つける 終

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