8
その後、俺はにわかに忙しくなった。
というのも、ミモリが風邪を引いた、という情報をききつけたやつらが、いっせいにアパートに押しかけてきたからだ。
まずは病院の仕事に飽き飽きした様子のクレアがワインのボトルをもって現れた。
次にやってきたのはバルガドとリドだ。どうやらふたりは別々にやってきて、アパートの下で偶然かち合ったらしい。信用の置けない話だ。リドは事務所からそのまま来たらしくジャケットの下は制服だった。バルガドはミモリが好き(で自分も好き)なドーナツを大量に、リドはいいにおいのする鳥の丸焼きを下げてきた。ふたりはマーシャが差しいれてくれたローストビーフとサンドイッチをつまみに、クレアのもってきた酒をのみはじめた。
「示しあわせてきたわけじゃないだろうな?」
「邪推だね」とリドが言う。
「ワインを取り上げろ、そいつは勤務中だ。まったく嫌がらせのつもりか」
クレアがにっこりした。嫌なやつらだ。
そうこうしている内に、料理のにおいを嗅ぎつけた隣人があれこれと立ち寄り、誰かが酒と料理を足し、いつの間にかクリスマスソングのレコードはミモリの部屋でかかっている、ということになった。きわめつけが、昼間しか働かないはずの、ひょうきんな顔をした郵便屋がやってきた。
「ミモリは風邪だよ」
「知ってるよ。バルガドさんがあちこち触れまわってたからね」
「どういうつもりなんだ、非常識だ」
「この間まで倉庫に住んでた君が言うとはね。ミモリだから、集まる口実になるのさ」
「どういうことだって聞いたんだ」
「あいつには世話になってるからさ」
俺は、つい、言葉に詰まった。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
「これはお見舞い」
郵便屋が持って来たのは、ハーブキャンディの大袋だった。一応、みんな、見舞いを口実に来るから、甘いものが多い。そこは評価しよう。だが、ワインをこぼしただの、取り皿が足りないだの、そういったことで俺を東西奔走させるのはいただけない。
「そしてこっちは、お届け物。あいかわらず誰からかは知らない」
そういって差し出したのは、大きな白いケーキの箱だ。カードが添えてある。
署名は「Leslie」。簡潔に「Merry Christmas」とある。
「ちくしょう、これで帳消しにしたつもりかよ」
「何か言った?」
「メリークリスマスって言ったのさ」
「メリークリスマス。ところで、うまそうなにおいがするな。俺も寄っていっていい?」
「風邪がうつってもいいならな」
俺はため息を吐いた。
背後で誰かが、パイを切り分けるためのナイフが消えたといって怒鳴っている。
*
その夜の記憶は新品のテープに保存し、様々な出来事のとなりに置いてある。騒ぎの間じゅう、俺はなぜか走りまわっていたし、ミモリは羨ましそうにみているだけで、その後、風邪を悪化させ、治ったあともひどい咳をしていた。腹の立つことに来客で感染した者はいなかった。
そのときのテープをデッキに押し込むと、ふしぎと過去はセピア色をしてみえる。過去と現在はきちんと色わけされているのだ。それは俺が、ちゃんと過去を通り過ぎて生きているということかもしれない。そしていつか今を通り過ぎて遠くに去っていく……。
そこには色もついていないし、音も無い。景色もないかもしれない。
そのときがきたならば、俺というものは、きれいに消えるつもりだ。
何も求めずに。誰からも奪い取ったりしない。それは変わらない。
それが俺だから。
ただ、あの夜の後は、俺はテープにしまった、ミモリのために集まったたくさんの人々を眺めながら、こんなことも考えるようになった。去って行く者は残された者にさよならを言わなければいけない。そのことについて。
俺はミモリと別れるとき、どうしたら笑って別れられるだろう?
その答えはたぶん、とても簡単で、ときには困難だ。
書き加えておくならば、ミルドタウンに初雪がふった翌朝、俺は雪かきに出かけた。これがヒント、そしてひとつの区切り目だ。
こういうことを日記に書くのは、もうこりごりだ。
もう二度とやってみようとはしないはずだ。
誰にも伝わらないだろう。それは自分でみつけるべきだ。
たぶん、その答えを探すことが……。
もう、黙っていよう。
よけいなことは言わずに。
大切なことは大声で話すべきではない、ときいたことがある。
臆病者は怒鳴られると遠くに消え去ってしまうのだ。
大切なことは臆病者だ。
たぶんそのとおりだ。
「風邪が治ったら」
と、俺は、まだ鼻をぐずつかせているミモリに言った。
「本を片づけよう。物置にしている部屋のだよ。もしかしたら、俺のベッドが入るかもしれない」
ミモリは少し何かを考え、うれしそうに微笑んでいた。
ミルドタウン 実里晶 @minori_akira
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