6
「奥に行こう」と、ギーはおだやかに言った。
カウンターから離れ、一番奥のボックス席にすわると、店主は何も言わずに極力薄めにいれたコーヒーを二杯もってきた。
ギーは遠慮なく口をつけた。
もう、喧嘩をすることはなかった。
セブンスは静かで、朝靄のように柔らかくてぼんやりした空気が漂っている。
一年前はまだギーも本気だったかもしれない。
でも最近は声色に諦めの感情が含まれていることが多かった。
それがここの住人のコミュニケーションなのだと、段々わかってきたのだ。
それと、住民たちがギーをなかなか認めようとしないのは、新入りに染みついている外の世界の空気のせいだということも。
「おはよう、ギー」
「おはよう、相棒」
「さっきは余計なことを言ってしまったよね」
「いいんだよ、ミモリ」
僕は声をひそめた。
「みんな、きみがうらやましいんだ」
「いいジョークだ」
ジョークではないけれど、ギーが笑ってくれたので少しだけほっとした。
彼がミルドタウンを離れれば、僕は寂しい。
「さっそくだけど、きみに相談したいことがあるんだ、いろいろと。人手が必要そうなんだ、落書きを消したり……」
言いかけると、ギーは申し訳なさそうな顔をした。
「そのつもりだったなら本当に悪い。今日は先約があるんだ、夜に話を聞くよ」
うながされて窓の外に目をやった。
革製のジャンパーを着た大柄な男が、通りのむこうに立って煙草をふかしていた。そばに控えめな大きさのトラックが停まってる。
「……仕方がないね」
「本当に、話を聞くよ、ミモリ」
「ああ、うん……」
「だから、その話は取っておいてくれ」
青色のブルゾンの両ポケットに手を突っ込み、彼が大男と行ってしまうと、客たちは納得できない、という表情をそれぞれの顔に浮かべた。
*
コーヒーを飲んでから、店の外に出た。
ギーが知らない奴と行ってしまって、十分くらい経った頃あいだ。
トラックが停まっていたあたりに煙草の吸殻が落ちていた。
タバコなんて何がいいんだろう。
体に悪いし、汚した空気を吸ってるだけだ。
煙が吸いたいなら、落ち葉でも集めて火をつければいいのに。
いつまでも未練がましくそれを眺めていると、近くでクラクションが鳴った。
ふり返るとそこに、赤いランプをくっつけた保安官事務所の車があった。
ずいぶんぼうっとしていたのか、車がもともとそこにいたことにも気がつかなかったか、どちらかだ。
これは、散歩中に轢かれる日も近いな。
おっとりとした窓がやや勿体つけながら開いて、保安官のバルガドが片手を大きく上げて合図をしてくる。
「ふられたのかい」と、大きな声で言う。
あまり大きな声でそういうことを言わないでほしい、と思う。
そういうことがなんなのか、自分でもよくわからないけれど。
「残念ながら……」
「ギーを連れてったあいつは西ブロックのチンピラだ。付き合うにはあまりよろしくない手合いだな。まあ、心配はない。あいつもチンピラのようなものだしな」
「心配なんかはしていないけれど」
もちろんがっかりはしたけれど、僕が探偵であるようにギーにも仕事がある。
彼は正式な仕事の斡旋は受けずに、何でも屋のようなことをしていた。
掃除とか、重いものを運ぶとか、機械を修理するとか、そんなことだ。
「保安官、病院で火事があったって聞きました」
話題をかえると、バルはめずらしく疲れた表情を浮かべた。
「誰からきいた?」
「ニュースで」
「ああ、もう報道されたのか。昨日は消火活動の手伝い、今日の午後からは関係者に話を聞きにいかなくちゃならん。おまけに西ブロックで死体が見つかったから、めずらしく大忙しだよ」
「死体? 物騒ですね」
「気になるなら保安官事務所にいってくれ。リドが相手をする。お前さんが来るかもしれないって朝から戦々恐々としていた」
「もしかして嫌われているのかな」
「うーん……どうだろうな。誰にも来てほしくないんじゃないかと思うよ」
バルガドは悪戯っぽく笑っている。
「ちょうど寄って行こうと思っていたところです。ギーに断られたから……」
「病院に行きなよ、ミモリ」
バルはそう、釘をさした。
ケントルム病院の近くにいるからだろう。
「今日は日記帳を持ってきていないから、きっと怒られるだろうな」
家を出るときに、迷ったんだ。でも持って出なかった。
なぜなら、僕のポケットはハーブキャンディと届いた紙切れのことでいっぱいだったからだ。
少し居心地の悪さを感じたが、そういうことにしておこう……。
これから病院に行くというバルと別れ、僕は保安官事務所のほうへと足を向けた。
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