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保安官事務所を出たあと、ケントルム中央病院に寄ってみることにした。
本当は来たくなかった。
何度も何度も、今日はやめておこうかなと思った。
寒いし……。
でもギーと落ち会うまでにアパートに戻って、また出てくるのは面倒くさい。
ケントルム中央病院は、その名前通り、街のちょうど中央部分にある。
敷地の中に建物がいくつかあり、市民が利用する外来と長期入院患者のための医療施設とに分かれている。
ミルドタウンの住民にとって病院はなくてはならないものだ。
定期的に訪れなくてはならないもの、という決まり事がある。
スプーンの持ち方さえ怪しい人間がうろついているのだから、当然といえば当然だ。
こういう閉鎖型コミューンに義務や制約はつきもの、とはいえ、前に一か月半くらい行かなかったときなど、救急車がやってきて強制的に連れて来られるはめになった。あれはもういやだ。
火事があったという話だけど、病院は思ったよりも静かだった。
少なくとも正面にある一番大きな棟は無傷にみえる。
受付で来院を告げるとすぐに一階の奥にあるクレアの診察室に呼ばれた。
クレアはケントルムで働く精神科医だ。
彼女の診察室はほかの場所よりも窓が大きくとってあり、よく手入れされた明るい森が見わたせる気もちの良い部屋で、僕も気に入っている。
それなのにあまり頻繁に訪れる気がしないのは、やっぱり、ここが病院だからだろう。
それに彼女は僕たちとは違う。
ギーとも、ちがう。外の世界のにおいがするとか、そういうことではない。
なにをかくそう、彼女は記憶喪失者ではないのだ。
彼女の過去はきちんとした頭のなかに整理整頓されて、収納され、いつでも望んだときに取りだすことができる。
ただそれだけのことだけど大きなちがいだ。
クレアのすらりとした体はデスクの前に、カルテを手に立っていた。
「日記の提出が遅れているわね、ミモリ。一日に一度日記を書き、市政府に提出するのはミルドタウン市民の義務よ」
「ごめんよ、クレア。いろいろあって」
僕は丸椅子に腰かけた。
「いろいろって何よ」
クレアは形の良い細い眉を歪めて不機嫌そうな表情を浮かべた。
彼女は自分の仕事が蔑ろにされることを他の何よりも嫌っている。でも僕を筆頭にカウンセリングが嫌いな患者は増えこそすれ絶対に少なくならないのだ。
「昨日火事があったんだってね」
クレアはため息を吐いて話題を無理矢理変えたことを許してくれた。
「そうよ。おかげでうちは今忙しいのよ……死人だって出たんだし」
「それは大変だ」
「長期療養棟の入院患者がパニックを起こしたの。不幸な事故だったわ」
「放火犯は見つかった?」
「まだよ……あら? 私、放火だと話したかしら?」
僕はにこりと微笑んだ。
クレアも唇をにこりとさせ、いすの上で足を組み替えた。
僕は彼女との関係を友人どうしであると認識している。そして探偵としての僕と彼女は、四年前からずっと良好な共犯関係にあるといえる。
もちろん医師である彼女と患者である僕というのも、その側面として常に存在していた。
「目的はなんだろう。火事が起きた建物には何があったの?」
「火事が起きたのは奥にある旧館よ。今は診療ではなく病院の研究施設として使われているの。市民の個人情報の一部が扱われていて、いくらか燃えて灰になった。つまり……あの場所には、あなたがこの街に来る前の情報もあったということ」
少しだけ驚いた。
この町に来る前の記録だって?
ミルドタウンに個人のものを持ち込むことは、特別な許可が降りなければできないことになっている。
たとえば生命維持に関わる装置とか薬とか、そういうものでもないかぎり、持ち物も身分証も何もかもすべて市政府に提出させられる決まりだ。
「だって、そういうものがあったほうが治療の役に立つでしょう」
まるで至極当然なことだといわんばかりの口ぶりだ。
彼女がここで言う治療というのは、もちろん……ナイフとフォークの使い方さえ忘れてしまった長期入院患者たちが生活を取り戻すための医療行為のことだ。
僕もいったんはあそこに放り込まれたクチだから、なんとなくわかる。
「それは、まあ、どこかにあるだろうなとは思ってたけど」
「もちろん秘密よ。でもいい機会だから、あなたの記録を見せましょうか?」
「いいの?」
「私はね、ケントルム病院の秘密体質には疑問なのよ。何かあってからでは遅いわ。その前に誰かと少しでも情報を共有していたいの。もちろん、信頼できる人物よ。そしてここでは、それはとても少ない……。あなたも興味があるはずよ」
あるだろうか?
あるかもしれない、でも、よくわからない……。
「でもそれは火事で燃えたんじゃ……」
「研究データはね」
クレアは意味ありげに微笑んで、頬にかかった金色の髪の束を耳にかけてみせた。
大振りなアクセサリーが眩く輝いている。
くらくらしたのは、その光のせいだろうか。
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