自殺の引力

13 自殺の引力


 翌日、ギーと一緒にこの地区にある生活用品を取り扱う雑貨店を訪ねた。

 住民が住んでいるのはほとんどが中央か東ブロックだが、西ブロックには工場があり、そこで働く工員のための住宅が用意されている。でも空家の多さは東ブロックの比ではない。昼間でもゴーストタウンのようだし、建物のメンテナンスが行き届かずに、いろいろがたついている。

 思いっきりジャンプしたら、ドミノみたいに、近くのビルやアパートが次々に倒れてしまうかもしれない。

 それでなくとも空模様が悪い。

 ミルドタウンに灰色のふたをした雲は、いまにもふりだしそうな微妙な緊張を保っていた。


 そこは昨日、遺体となった夫婦のうちミサが働いていた商店だった。


 バルガドに連絡を入れてアモとミサの身辺を個人的に調べたいと申し入れると、バルは渋ったが、僕にはその権利がある。なにしろ探偵なので。結局、ひとりではなくギーと一緒に行動することを条件にあっさりと許可がおりた。


 保安官たちは昨日の火事の件にかかりきりのようだった。

 そういえば昨日、地下倉庫に行くまで病院のスタッフにすれ違わなかったのはバルが来ていたからかもしれない。


 ミサのかつての職場は食品から生活用品まで幅広く扱う小さな個人商店のようだった。

 店主は恰幅のいい女性で、鮮やかな赤色のエプロンを身につけている。

 僕が名乗ると、彼女は忙しそうに棚の同じところに置いてある同じ缶詰をカウンターに下ろしたり、それをタオルで拭いて元の場所に入れたりといった動作をくり返しはじめた。

 ギーは店の外で待っている。

 退屈そうな背中がほこりのへばりついた硝子窓ごしに見えた。


「そりゃもちろん事件のことなら聞いてるわ」

「自殺の原因について、ご存知では?」

「心当たりないね。だって、ここはミルドタウンよ。いっそ働かなくても、生活は保障されてるもの。工場で何でも作れるんだし」


 それは、彼女の言うとおりだった。

 市民の生活は交換券と呼ばれるミルドタウン専用の代替通貨を介して行われる。

 交換券の発給はそれを受け取る市民の職業によって変動するものの、定期的に発行される基本のものでも飢えて死ぬということはない。

 職業をもつ人々は通貨を得るためというより自分自身の満足のためにそうしている、というほうが圧倒的に多い。


「夫妻には子供がいたそうですね。事件の後で見かけませんでしたか?」

「さあ……でも、すれ違っていたとしてもわからないわよ。子供なんかに注意は払わないし、それに、ミサは店に子供を連れてきたことは一度もなかったわ」

「連れてこなかった? 本当に、ただの一度も?」

「そうよ。連れて来られても困るけどね。だいたい、本人たちは子供はいらないって言ってたのよ。だけど旦那のほうが上司の……なんていったっけ、たしかシモンってやつに薦められたかなにかで、その気になったみたい」

「はあ、シモン……」


 すかさず、名前を手帳に書きつけておく。忘れないように。

 あるいは、いつ忘れてもいいように。


「まあね、体外受精、出産で母体には負担はないわけだから、暇つぶしには丁度いいかもしれないわね」


 僕は、どうも、とだけ言って店を出た。

 ギーは四角いルービックキューブのようなものを手でもてあそんでいた。切れ目がうっすらとみえるが、色分けはまったくされていない、光沢のある純白のキューブだ。

 ギーが顔を上げてこっちをみた。僕は首を横にふった。

 手がかりはなし、という意味だ。

 アモとミサの自宅は、ここから十分もかからない場所にある。そっちに行ってみよう、と話しあい、歩きだす。

 少しだけ、ギーは天気を気にした素振りだった。


 ふたりが暮らしていたアパートは、これは廃墟か、それともアパートなのか、小一時間ほど議論したくなるような、ほこりまみれの建物だった。

 僕のアパートだって上等とはいえないけれど、廃墟とまちがえたりはしない。

 ふたりで硝子が割れたまま明らかにだれも修理をしていない玄関をたっぷり五分くらい見つめたあと、先にアパートの非常階段に回ってみることにした。

 そこには確かな現実として非常階段が、灰色がかった緑色の建物の横手にへばりつくようにして、あった。

 アモとミサが倒れていただろう場所にリドのチョークの痕跡も残ってる。

 そこはアパートと隣の建物のあいだの狭い空間で、空調の室外機や乗り捨てられた錆びた自転車、そしてゴミ箱が並んでいるという、陰気な場所だった。

 大してすることもなく、仕方なくもう一度、正面に回って、黒い扉をあけて中に入ることになった。

 正面に階段がある。

 枯れた観葉植物の鉢が置かれており、管理人室の窓は板が打ちつけられていた。

 とても冷たく凍えた空間だ。

 それに少しだけかび臭い。


「ふたり一緒にって、やはり妙じゃないか」と、先を歩いていたギーが振り返る。


「妙って、何が?」


 コートに汚れがつかないよう細心の注意をはらいながら、彼の後ろをついて階段をのぼって行く。

 階段には埃や泥がこびりつき、捨てられたごみもそのままになっていた。

 こんなところを歩いたら、どんなにぴかぴかな靴を新調したとしても一瞬で台無しだろう。

 階段は急勾配で、人がふたりすれ違うじゅうぶんな広さもない。

 壁が崩れて配管が剥き出しになっていたり、廊下の明かりはところどころ切れていた。

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