14
「自殺をするつもりなら、俺なら、どっちかは素面にするよ」
「睡眠薬のことだね」
「そうだ。死に損ねたら大変だと思わないか」
「死ぬのが怖かったのかもしれない。朦朧としていたかったのかも」
「そういう考え方もあるな」
「病院で処方される睡眠薬はきき始めるまで、どんなにはやくても三十分のタイムラグがある。この寒い時期に屋上に上がって睡眠薬を飲んで、潮風にあたりながらそれが効いてくるのを待つ、なんて考えるだけでいやだな」
「賛成してるのか、していないのか、どっちなんだ?」
「どっちでもない。確かめるすべがないよ、ギー」
僕は肩を竦めてみせた。
監視カメラのたぐいは、この周辺には見当たらない。事件当時のようすは、推測するしかないし、どんなに考えをめぐらせても、答え合わせができない類のものだ。
「それはそうと、僕も妙なところをみつけたよ」
「何だ?」
「急な階段や暗い廊下。とても子育てをしようっていう夫婦の住まいには見えない。引っ越そうと思えば、いつでも引っ越せるのに」
「たしかに」
「ほかに人も住んでいないみたいだしね」
夫妻の住まいは最上階の一室だった。
部屋には鍵がかかっている。
僕は鍵穴をじっと見つめた。
「鍵をバルに借りてきたんだろう?」
僕は首を横にふった。
「君が開けてくれるんじゃないかな、と思って……」
そういうと、ギーが怪訝そうな顔をして溜息を吐いた。
何か言いたげだな、ということだけはわかった。
彼はさっき店先でもてあそんでいたキューブを取り出すと、その両端を包み込むように持ち、おもむろに両側をひねった。
立方体に切り込みが入り、同じ体積の立方体二つになってスライドする。
同じ動作を続けるたび、細胞が分かれるように小さな立方体が生まれ、やがてひとつひとつの断面がなめらかに見えるほどの数になり、球形になった。
それを鍵穴にあてがう。
三秒ほどそうしていて、手首をひねるとガチャリと鍵があく音がした。
最初、硬質な立方体だったキューブは一部が変形し鍵の形になっている。
「使い方のこつを思い出してきたみたいだね」
「これだけは、忘れようと思ったって忘れようがないからな」
このキューブはギーの体の一部分だ。そして物質でもある。
完全にギーとは切り離されている物体だけれど、自らの手足に《動け》と命じることができるようにキューブもコントロールすることができる。
たとえば白い立方体であるときはただ固いだけだが、そこに彼の意志が加われば、滑らかにも、柔らかくも、もっとずっと硬質にもさせることができる。形状だって変えられる。
ギーの知識とコントロールの精度しだいで、かなり複雑な形状を再現させることができるだろう。
これは未分化の万能細胞のようなものなのだ。
どういう仕組みでできているのかあまりにも難解すぎて、理解することができないその《完全な立方体》を軍事利用するために、ギーは兵士としてデザインされている。
だからこそ、ふたつは切り離すことができないものとして、ミルドタウンに持ち込むことが許可されたのだった。
扉を開けるとまずギーが中に入って室内を調べた。
扉をあけるということにギーはとても敏感だ。ドアを開けた瞬間に爆弾が作動して吹き飛ばされる、というような経験をしたことがあるのかもしれない。
「入っていいぞ」
おそるおそる室内を覗く。
寒々として物の少ない部屋だった。
入ってすぐが居間で右手側にキッチンがある。
窓が無いからか薄暗くて気づまりな部屋だ。
左手にソファ、三人掛け。テレビ。雑誌や本は、左側の壁際に置かれた本棚にひとまとめにされているが棚はあまり埋まっていない。
あいている棚にきちんと血の通った夫妻の写真が飾られていた。
それから壁に鮮やかなタペストリーがかけてあった。
それが唯一といっていい装飾品だ。
「中はまだましだな」と、ギー。
「家族写真の一枚くらいあってもよかったね」
白いむきだしの壁を示す。
「絵本やおもちゃや、ぬいぐるみ……子どもを感じさせるものがひとつもない」
僕たちは寝室や家のすみずみまで見て回った。
しばらく探索を続けて、居間の棚と壁のあいだがぴったりと重なっていないことに気がついた。
ギーと協力して棚を動かした。
棚をどけたところにも布がかかっている。
ギーは手を伸ばして、赤と青の毛糸が複雑に混じった壁掛けを外した。
すると明らかに材質の違う木製のドアが現れた。
「外側から鍵がかかるようになってるな」
ただしそのカギは、いまは、開いている。
扉のむこうに夫婦の寝室とは別の小部屋があった。
壁を無理矢理くり抜いて、隣の空き部屋の寝室と繋げてあるらしい。扉があったと思しき箇所はセメントでかためられている。
隠し部屋の中には本棚がびっしりと並んでいた。
それから、壁にメモやゴシップ記事や似顔絵が大量に貼り付けられている。
床にはすり切れた毛布と汚いくまのぬいぐるみが転がっていた。
その部屋に一歩踏み込んだとたん、自分の意識をどこか遠いところに連れ去っていく、その強い引力を感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます