日記帳は離れ離れ
7 日記帳は離れ離れ
事務所に併設された遺体安置室には、ひんやりと冷たい空気が流れている。
バルに会って事件の話を聞いたというと、保安官補佐のリドが冷蔵庫から夫婦の遺体を引き出して、覆いを外して見せてくれた。
「亡くなったのはアモとミサだ。西ブロックの集合住宅に住んでいた夫婦だよ。アモは工場勤務、ミサは娘ができてから雑貨店の仕事をやめている。ふたりとも昨日の夜十二時過ぎに、自宅の非常階段下で死んでいるのを発見されたんだ」
ふたりの傷はひどいものだったが、表情は不思議と安らかだった。
夫婦にはほかに身よりがいないので、遺体は運ばれて火葬にされる。
親しい友人か、それとも仕事場の同僚たちが見送ってくれるかもしれない。
「僕もわりと近くにいたのに、騒ぎに気がつかなかったなぁ……」
「いや、騒ぎにはならなかったよ、あまり人気のない区画だから」
「自殺ですか」
訊ねると、リドは神妙な顔つきで頷いた。
「死亡推定時刻は見つかった時刻の一時間くらい前だろう。とくに遺書らしいものはみつかっていない。それから、ふたりの体内から睡眠薬を検出した」
「処方箋は……」
「ケントルム中央病院のものだ。ミサに処方されたものだが、常日頃から、アモもそれを拝借して服用していたらしい」
リドは曖昧な笑みを浮かべた。
横幅のあるバルに比べてリドは痩せていて背が高く、神経質そうにみえる。でもそうしていると、とても思いやり深く優しそうにも見える。
「平気かい? その、こんなふうに死体を見たりして……」
そう言われて僕はもう一度ふたりの遺体を眺めた。
血の通わないからだを目にするのは、なんとも言えない居心地の悪い気分がするが、ただそれだけだ。
「大丈夫だよ。前にも見たことがある気がする」
起き上がってしゃべりだしたら、ほんの少しだけ、びっくりするかもしれない。
でもそんなことはあり得ないのだから、意味が、よくわからない。
世間話みたいなものだろうか……。
「遺品を拝見してもいいですか?」
「構わないよ、こっちに来てくれ」
リドはひと抱えくらいの段ボール箱をひとつ、僕の前に差し出した。
段ボールの箱の中には、発見時アモとミサが身につけていた衣服や、腕時計なんかがパッキングされて几帳面におさめられている。
三冊の日記帳が目に入った。自宅からバルとリドが持ち出したものだろうか。
リドは、証拠品をひっくり返す僕には、さして注意を払わずに自分のデスクへともどった。
彼の机の上には新しい写真立てが飾られている。ニスを塗った木枠の中で、笑窪のかわいらしい女性がカメラに向かいポーズをとっていた。
しかし写真の画質は粗く、人物のポートレイトにしては中途半端に切りとられている。
注意深くみれば、それが雑誌の切り抜きであることはすぐにわかっただろう。
「リドの奥さん?」
リドは肩を竦め、写真立てを伏せた。
「似てるってだけでね、意味はないんだ」
「そうだね、わかるよ」
「本当さ」
リドの鳶色の瞳にじんわりと、淡い感情がにじんだ。
僕は、いつもそこに含まれた感情をうまく読みとることができないでいる。
悲しみだろうか。それとも、傷ついた自分をいたわるための、優しさだろうか。
「ところで、日記が三冊あるみたいだね」
「夫婦には娘がいたんだ。実子だよ」
「へえ……」
ミルドタウンでは養子縁組が奨励されている。
特殊な環境から実子を望む人も、少ない。
不可能ではないが、珍しいケースだ。
「その娘さんって、いま、どこにいるの?」
「それが、事件の後、どこかに消えてしまったんだ。たぶんショックで逃げ出したんだろうね。なに、きっとすぐにみつかる」
日記の表紙に、ジュリ、と書かれている。
ジュリ。それがアモとミサの娘の名まえだ。
頭の中のメモ帳に太字で書きこんで、アンダーラインを引いておく。
好奇心から、彼女の日記帳を開いてみた。
内容は当たりさわりのないものだが、最後の数ページが乱暴にやぶり取られていた。
ふと思い立って、これはやはり勘というしかないが、今朝方とどいた手紙をその破り目に当てがってみた。
すると、ふたつはぴったりと一致して、たちまち、それがかつてはひとつだったものだと主張しはじめたのだった。
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